飛んで飛んで飛びまくる
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記憶というのは、実にいい加減なものである。堂倉谷の石楠花谷を登ったのは、何年前のことだろうか?今回、再び堂倉谷に入って見覚えがあったのは、堂倉谷の出合と最初の堰堤手前の深い淵くらいで、あとは記憶にないか、あるいはそうと思っていたが別の谷の記憶と混同していたかだった。また、ロープなんか使った覚えがないという記憶も見事に裏切られることになった。
8/1 アメリカ留学時代の恩師が40年ぶりに京都を訪れるとあって、この夜の宴会はどうしても最後まで抜けることができなかった。午後9時半にようやく終了し、10時20分に帰宅。集合は京都駅に10時半、もちろん間に合うはずもない。A子に久御山のジャスコまで送ってもらい、そこでみなと合流した。この日は酒を飲んでいたので運転できず、らくちんだ。駐車場に着いたのは2時頃だったか?一面の星空がすばらしい一日を約束してくれる。それにしても寒い。星空のもとで寝る。
8/2 6時起床。7時半に駐車場を出る。もう8月というのに、いつもの夏空はまだ来ない。それでもまずまずの好天で、気温もぐんぐん上昇した。8時に日出ヶ岳山頂を通過し、尾根道をずんずん下った。10時、見慣れた堂倉出合に到着。ここで沢支度をする。S氏は爆睡。新緑の釜に豪快に注ぎ込むこの滝は、それほど美しいわけではないが、ほてった体には非常に魅力的だ。しかしここは我慢して水に入らなかった。これは失敗。この谷はまず出合の滝の巻きから始まるが、その暑いこと。寝不足と疲れのたまった体には、酷暑の中で乾いた斜面を登るほどこたえるものはない。三度の懸垂をまじえて(少なくとも最後の2回は不要だった)、12時前にようやく沢床に下り立った。あれほど焦がれた沢だが、水は冷たく、飛び込む気にならなかった。ネオプレンのジャケットを新調したY氏が川に飛び込むのを見て思わず身震いがするほどだった。K氏を先頭に歩き始める。すぐにまた大きな滝に行く手を阻まれる。普通は大きく巻くらしいが(溯行図だけしか持っておらず、そのことを知らなかった)、左岸から落ち口に直接出るルートをとる。最後がちょっといやらしいが、いいところにハーケンが打ってあった。すでに1時がすぎ、先が思いやられる。いわゆる中七つ釜に入る。いよいよ泳ぎが始まった。沢が初めてのS氏は唇が青白くなっていて、いかにも寒そうだが、果敢な飛込みで喝采を浴びる。同じく沢が初めてのO嬢はなんと半袖だ!このときは観客だった彼女も、やがて飛び込みに「はまる」ことになる。滝はほとんど登れる。淵も飛び込みを多用して快適に溯行できる。やがてこの谷のハイライト、奥七つ釜が姿を現した。午後3時、できれば二俣と思っていた僕にとって、決して早い時間ではないが、しかしこの釜を素通りすることはできなかった。僕とY氏、O嬢とK氏がペアを組んで釜に飛び込む。寒さで打ち震えていたS氏は何を思ったか、誰かを釜へ放り込むことを提案し、じゃんけんで(予想通り)負け、自ら放り込まれることになった。これまたすばらしい写真がとれた。今日の彼は量より質で勝負だ。無駄な飛び込みを繰り返したが、日が傾いてきたさいか、さすがに寒くなり、見覚えのある堰堤手前の淵に着いたときは、すでに飛び込む気力が残っていなかった。このどこまでも深く済んだ淵は、確か前回飛び込んだような気がする。今は少し後悔している。堰堤を越えると、気持ちの良い河原が広がっていた。時間は5時をすぎていたので、ここを本日の宿とする。
8/3 5時起床。昨夜の天気予報では、今日はあまり天気が良くないはずだったが、幸いいい天気だった。午前中に稜線に抜けたいと思っていたが、そうは行かなかった。それもやはり釜を見ては飛び込みたくなり、滝を見ては打たれたくなるあの悪い癖のためだ。飛び込みの型もずいぶんレパートリーが増えてきた。二俣のどこかなつかしい景色は今回最も美しいと感じたところだ。ここで一日のんびりするのもいいかもしえない。石楠花谷を右に見送ると、水流は急に少なくなる。最後の釜でS氏は水上歩行を試みる。写真では大成功だが、実際には全く歩けなかった。僕も空中浮遊を試みるが、完成までには時間がかかりそうだ。あとはナメと滝が交互に現れ、ぐんぐん高度をあげていった。あてにならない記憶では、石楠花谷のほうが面白かったように思う。最後はヤブ漕ぎもなく稜線にたった。その向こうにあるはずの路が見当たらず、少し迷ったが、なんとか登山道にでた。まもなく雨が降り始めた。2時すぎに駐車場に到着。実は核心はこのあとで、入の波温泉までの道でK氏とS氏と僕はメロメロに酔ってしまった。
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メンバー:CL高嶋、SL島、中川、玉田、鈴木、高橋
日程:2003/11/21夜-2003/11/24
11月21日(金)雨 アプローチ
京都(22:45)→→五竜遠見スキー場(28:15)
先発隊は午後9時に京都駅集合。島号と山形号の二台に分乗して出発。島号は2時半ころ(?)にスキー場に到着した。鈴木氏は建物内で、ほかの4名は車内で仮眠。
11月22日(土)雪 歩荷
エスカルプラザ(8:40)→ゴンドラ→ゴンゴラ終点発(9:20)→地蔵の頭発(9:50)→一ノ髪(10:35~10:50)→小遠見通過(11:20) →中遠見通過(11:40) →大遠見通過(13:00頃) →天場着(13:40) →就寝(20:00?)
小雨がぱらつく。スキー場に雪はなく、閑散とした雰囲気。遠くの空が明るいのはかすかな希望だが、山の方はガスで覆われて何も見えない。気の進まない状態でゴンドラに乗り込む。山の上では雨が雪に変わっていた。それでも積雪はわずか。準備を済ませて、他パーティと抜きつ抜かれつしながら、遠見尾根を登る。総勢15名、カラフルな彩りが単調な雪景色に映える。知らぬ間に大遠見山をすぎ、西遠見山手前の台地に3張りのテントを設営する。その後、玉田氏と明日の下降点の下見のため西遠見山まで足を伸ばすが、ガスで展望がきかず、地形がよくわからなかった。山頂から下るよりは、手前からトラバースして尾根を下りるのがよいということだけ確認できた。この日の晩はキムチ鍋。軽量化のため、貧弱な食事をしていた縦走組を尻目に、飽きるほど食べた。周りにほかのパーティがいなかったこともあり、おおいに騒いだ。
11月23日(日)晴れ 登攀
起床(4:00)→出発(5:45)→白岳沢の底(7:20)→下部?岸壁着(9:10)→1P終了(10:40)→藪漕ぎ急登を終え、稜線に出る(12:30)→主稜線、登攀終了(14:40) →五竜頂上(15:40~16:00) →五竜山荘(16:30) →先行組天場着(17:20) →後続天場着(18:00) →就寝(23:00?)
午前4時起床、6時出発。縦走組も同時に出発するはずだったが、予想通りまだ準備ができていないので、一足先に出発する。下降点の見極めがなかなか難しかったが、結局途中からルンゼを降りていった。深いところは腰近くまではまるが、だいたい20cmそこそこの積雪だった。ルンゼと白岳沢の合流点にはぼっかりシュルンドが口を開いていたので、右側の尾根の末端から沢を渡る。ここでは念のためロープを張った。結果的には雪渓は意外としっかりついており、何の心配も無かった。しかし沢を下って尾根を回りこみ、GII尾根にとりつくなどという選択肢はなく、目の前の小さなリッジを上がった。一旦、ルンゼに下り、また横のリッジにとりつく。今回はずっと最後尾についていたので、ラッセルがどれほどしんどかったのかはわからないが、わかんを持ってくればよかったと思うようなほどの積雪ではなかった。この日は天気が素晴らしく、鹿島槍北壁や五竜東面をながめながら、まるで春山のような快適な登攀だった。
やがて小さな壁につきあたる。ワンポイントだったが、ややトラバース気味のムーブが入るのでロープをだした。玉田くんがリードした。いくらワンポイントとはいえ、6人もいると一度ロープを出すだけでかなり時間がかかる。ただ、天気がよく、時間も十分あるので、精神的にはゆとりがあった。そこからしばらくで、再びロープを出す。尾根の左のルンゼを登るのだが、これも途中で一ヵ所傾斜のつよいところがある。鈴木氏が苦労しながらも突破した。1ピッチでは安全地帯にとどかず、2俣手前でピッチを切った。ここには残置ロープがあり、それは右俣へあがっていたが、鈴木氏は左俣を登っていった。結果的にはこれが正解で、もし右俣をとっていれば、かなりの藪漕ぎを強いられただろう。
2ピッチめの終了点からは先の見えない藪こぎが始まった。事前の予想では、こういう藪漕ぎをかなりしなければならないと覚悟していたので、さほど苦にはならないが、しかし快適とはいえない。藪漕ぎは稜線に出たところで終わった。そこは素晴らしいところだった。雪と岩の世界の真っ只中にいきなり放り込まれたような錯覚を覚えた。上部は藪もなく、快適そうな尾根が続いている。これで核心部は終わった。高橋さんは藪漕ぎが大好きだという。探検部出身の女性は変わった人が多いが、彼女もその例に漏れない。午後2時50分頃、主稜線に抜けた。僕はここで交信のため3時まで待つことにする。他の人は五竜岳山頂を目指す。最初の交信は失敗したが、3時半の交信は成功した。縦走組はなぜだか知らないが縦走をあきらめ、昨日のテント場に向かっているという。疲れの出た中川さんと一緒に山頂に着いたときには、みんなもうすっかり待ちくたびれていた。頂上からの展望は最高で、毛勝、剣から槍、八ヶ岳、妙高、唐松と大パノラマを満喫した。
4人が先行し、僕と中川さんはゆっくりと下山した。夕焼けが素晴らしい。やがて街灯りがぽつぽつとつき始めた。辺りは急速に暗くなり、ヘッドライトをつけてよく踏まれた雪道を下った。急ぐ必要もないので、行動食を食べながら、久々のヘッドライト山行を楽しんだ。この日はジャンボテントにほぼ全員が集合し、夜遅くまで騒いでいた。とくに島さんは(あいかわらず)絶好調だった。
11月24日(月)晴れ 下山
起床(5:30)→出発(7:10)→小遠見(8:30~9:00)→ゴンドラ乗り場着(9:45)
前夜に7時半出発と決めていたので5時半に起床することになっていたが、縦走班は5時頃から起き出して準備を始めた。それでも結局7時半には出発できないだろうと思っていた我々は5時半までシュラフから出なかった。我々が食事をしていると、彼らはフライの撤収を始め、ようやく彼らが本気で早く出発しようとしていることに気づいた。縦走組は7時10分に出発し、我々もその10分後に後を追いかけた。展望を楽しみながら和気藹々と下っていったが、スキー場手前のケルンで、壮絶な雪合戦が始まった。だれが敵かもわからない雪合戦にはかなり消耗させられた。しかも一回では終わらず、ゴンドラの駅の直前まで激しい戦いが繰り広げられた。
大町で温泉に入り、これまた久々に昭和軒へ寄った。今回は奇跡的に店が開いており、何年かぶりに昭和軒のカツ丼を食べることができた。けれどもあまりに出てくるのが遅く、先に出てきた鈴木君のカツ丼を横取りして食べてしまうくらい腹が減っていたので、味わう余裕が無かったのは残念だった。その後、カモシカスポーツに寄り、雨の京都に戻った。
会計
一人当たり \10,900
(車代 \6,680)
(食料とゴンドラ \4,221)
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メンバー 高嶋、上田
最後まで行き先とメンバーが決まらないという、考えようによってはいつもの合宿となった。今年は槍穂の稜線を行くと思い込んでいたので、散髪も我慢していたのだが、天気が悪いという情報が入るとか、メンバーが入れ替わるとか、さまざまな紆余曲折の末、前々夜にようやく甲斐駒ヶ岳に行くことが決まった。前日は計画書の作成、準備、装備の調整、スタッドレスタイヤの交換などで丸一日がつぶれた。
12/31
出発当日は奈良で所用があり、午後3時すぎに八木駅から近鉄特急に乗って家に帰り、1時間ほどで食事、風呂、準備を済ませてあわただしく車に乗り込み、集合場所の京都駅へ向かった。京都駅には1月3日から甲斐駒ヶ岳に登るという鈴木君が差し入れを持ってきてくれていた。午後6時すぎに出発。小淵沢インターで高速をおりると、長野県富士見町という看板が目に付いた。岡田くんのいる町ではないか!この看板を目にするまで、彼の家が甲斐駒の近くにあることに全く思いがよらなかった。電話をしてみるが、出ない。12時すぎに、駒ヶ岳神社の駐車場についた。前田夫妻が来ているはずなので、福井ナンバーの車を探し、その近くにテントを張った。
1/1
6時に起床。まだ外は暗いが、隣のテントの人はもう準備をしている。おそらく前田夫妻だろうと思って話をしにいくと、案の定そうだった。我々は、のんびりゆっくりと用意をして、長い長い黒戸尾根の登りを開始した。この尾根を登るのは3度目だが、まだ一度も頂上まで行ったことがない。そして今回も結局頂上に立つことはできなかった。途中はなんということもなかったが、1998年の正月と比べて雪の量が極端に少ないことが印象に残った。前回は登山道に凍った箇所がかなり多くあったが、今回は雪が硬くなったところはあったが凍ったようなところは皆無だった。いつからか雪がちらついてきたが、たいして気にはならない。前回よりずっと早い時間に五合目に到着。あとはしゃべりと食事でもりあがる。僕は食後に若干気分が悪くなったが、すこし持病が少し出たようだ。明日がちょっと心配。
1/2
久々に重たい荷物を持ったので、腰が痛い。午後4時に起床、5時にはすでに黄蓮谷の下降を始めていた。昨日あったトレースは消えている。道らしきところをテープを追いながら下っていくが、とうとう分からなくなって明るくなるのを待つ。明るくなると、すぐに道は分かった。そのまま谷底へ。岩小屋でツェルトを張っているパーティがいたが、今日は停滞するという。こんな天気がいいのに・・・。谷に下りると、トレースがついている。ラッキーだ。沢は水がじゃんじゃん流れており、上の大滝が凍っているかどうか不安になる。事前に情報がなかったからだ。ぐんぐん歩いていくと、坊主の滝が見えた。一年ぶりの氷は新鮮に見えた。ここで先行パーティに追いつく。彼らは尾白川を詰めてきたらしい。かなり大変だったようだ。坊主の滝は3級なので、ロープは不要だが、シーズン最初ということもあって、ロープを出すことにした。上田さんにリードしてもらう。ちょっと足が滑っているのが気になった。履いていたアイゼンの前爪がほとんど出ていないことを知ったのは翌日のことであった。突然に氷へ行くことが決まったので、氷用アイゼンを買いに行く時間がなかったとのこと。その後は2級から3級プラスの滝が次々と出てくるが、これらはロープなしで通過。
そしていよいよ大滝だ。さすがに大滝というだけあって大きいが、1ピッチでぎりぎり行けそうな気もする。しかしここは無理をせず、2ピッチに切って登ることにした。東京のパーティが左からとりついたので、我々は右からとりついた。右はつらら状を縫って登り、途中でちょっとハング気味になる。久々のリードでランナウトにびびりながら、核心らしき部分を越えたが、6本しかないスクリューを4本使ってしまったので、若干傾斜がゆるくなったところでピッチを切った。上田さんはしばらく順調に登ってきていたが、垂直のところでテンションがかかった。核心も相当テンションをかけたが、クリアして登ってきた。後は80度くらいのカンテを10メートル登って終了である。と思っていたが、カンテを越えると延々とナメが続いている。これはロープが足りなくなると思い、早めにピッチを切った。東京パーティは僕よりもう少し上までいってピッチを切った。木で支点を取れると思い込んでいたので、途中にスクリューを3本も打ってしまい、スクリューが1本しか残っていない。バイル2本を氷にしっかり打ち込んでビレイ点を作った。1ピッチ目より易しいから落ちはしないだろうと思っていたのだが、上田さんが登りだした直後にテンションが入り、バイルが1本抜けた。一瞬の出来事で、事後にようやく状況を認識したが、背筋が寒くなった。テンションはなかなか抜けない。1本しかないスクリューに命を預けたくはないので、できるだけ体でふんばって持ちこたえる。最初のスクリューを回収した後、カンテを登っているときに腕がパンプしたらしく、そのまま下まで下ろして滝を巻いてもらうことにした。ロワーダウンも冷や汗もので、なるべくスクリューに力がかからないようにおろした。ロープ1本で足りるかどうか心配だったが、これは大丈夫だった。そこからロープをひっぱりつつ、フリーの状態で滝の上まで登る。
最後に4級プラスの滝があるが、これは巻くことにした。深いラッセルでしんどい。発作を抑えるため、本日2度目の頓服薬を飲む。懸垂で滝の上に戻ると、あとは雪とナメ氷が延々と続いている。上田さんは相当疲れた模様で、数歩あるいては休み、また数歩あるいては休んでいた。これは僕にとっても有難かった。精神的に余裕を持って行動できたからだ。最後に尾根にとりつき、なんとか明るいうちに稜線に抜けることができた。そこから見上げる頂上は遠かった。暮れゆく景色を見やりながら、下山を開始する。七合目の小屋に着いた頃にはすっかり日も暮れていた。上田さんはここで泊まることになった。僕も相当疲労困憊していたので泊まりたかったが、みんなが心配するだろうと思い、五合目まで一人で下ることにした(シーバーを忘れて連絡が取れなかった)。そこからは肉体的にも精神的にも辛い道のりだった。本日3錠目の頓服を飲んで精神を落ち着ける。はしごが多かったが、単調な道よりかえって気がまぎれてよかった。それでも一度ビバークを決意したが、やはりテントまで帰らねば、と気力を振り絞って下りた。テント場に着くと、何をしたらいいのかわからず、ともかくその場にへたりこんでいた。テントから人が出てきて、アイゼンを脱がせてくれたり、お茶を飲ませてくれたりした。しばらくしてテントに入ったが、すぐに夕食をたべることができず、みなの食べるのを横目に、若干震える手を押さえ、気持ちを静めていた。幸い、発作も起こらず、元気も回復してたらふく晩ご飯を食べることができた。
昨年の僕であれば、おそらくそのまま駒ヶ岳神社まで降りれるくらいの余裕があっただろうが、昨年に山から遠ざかったのと、病気を抱えていることで、体力的にも精神的にも弱くなっていた。ただ逆に考えると、昨年の夏、家から20メートルも歩くことができなかった状態からすれば、かなり持ち直してきたともいえる。頓服薬の助けをかりながらも、これだけ長時間にわたる行動をこなすことができたし、最後は一人で歩きぬいたのだから。まあ、少しずつリハビリをしていくしかない。
1/3
最終日、5時に起きたのになぜか(というか予想通り)出発は8時をまわっていた。黒戸尾根はどうしようもなく長く感じる。下山後、駒ヶ岳神社で初詣をすませ、駐車場でお汁粉を食べ、ゆっくり帰り支度をする。本来は、余力があれば岩間ルンゼで氷の講習会をすることになっていたが、みんな帰宅モードだったので中止にした(一応僕は乗り気だった)。ぐったり疲れて、温泉に長い間つかることができず、早々にあがって、休憩所で寝てしまったが、うつ伏せに寝たのが悪かったのか、みなが僕を発見できず、随分探し回ってくれたらしい。僕は爆酔して廣澤さんに起こされるまで全く意識が飛んでいた。富士見町の中華料理屋で遅い昼ご飯を食べる。岡田君と何度も連絡を試みるが一向につながらず、岡田家で新年会プランをあきらめ、高速に乗った。それから2時間ほどたって、岡田くんが連絡があり、戻ってくるよう誘われたが、さすがに恵那トンネルを越えるともう引き返す気にはなれず、また今度おじゃますることにして、京都に帰った。
今回は天気にも恵まれ、以前から行きそびれていた黄蓮谷も登ることができ、自分の現在の状況を知ることもでき、いろいろ実りの多い山行だった。だが、槍穂の縦走に向けて準備していた人たちには、少々物足りないものがあったかもしれない。全員で同じ場所に行けたのはよかったが、なかなかみんなが満足できる合宿というのは難しいと改めて感じた。それにもまして、毎度の事ながら、もう少し早く行き先とメンバーが確定できればよかったのだが。
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member 高嶋、廣澤、岡川、鈴木
1/23
今年度は氷の発達が遅かったせいで、今頃になってようやく最初のアイスクライミング講習会だ。午後10時に京都駅に集合。途中で交通事故による渋滞があったため、親和スキー場には午前4時に到着。早く起きればよかったのだが、起床を7時半とする。
1/24
だらだらと準備をする。スキー場の暖かいトイレは素晴らしい。しかし僕はどうもスキー場の雰囲気は好きではない。なにか野蛮人が文明世界に突然ほうりこまれたような居心地の悪さを感じる。出発は9時半ころ。ここ半年以上、時計を持たない幸せな生活を送っているので、時間の記録はなく、デジカメだけが頼り。まずはスキー場を横断し、林道へ。一昨年の12月に幸の川を登りに来たときは全く雪がなかったのだが、今回は早くもラッセルが始まった。わかんを持ってきてはいたが、人数分なかったことと、それほど積雪が多くなさそうだったことから置いてきてしまった。遅遅として進まない。女性2人は初めてのラッセルだということをしばらくたって知ったが、それまでは当然のようにローテーションでラッセルをした。なだらかな木々の林、溢れるような太陽、これに静寂が加わればいうことなしだが、スキー場の趣味の悪い音楽がどこまでもついてくる。左岸の1本目の沢で、一息入れる。そこから上流は、右岸はゆるやかだが左岸は急傾斜になる。すこし斜面を登って、行き詰まったところで懸垂下降して沢に下りる。細かい渡渉を繰り返し、ラッセルをしつつ前進。悪沢の出合到着は12時半だった。コースタイムではここまで1時間だから3倍もの時間を要したことになる。
このままでは、大滝に辿り着くどころか、氷に触ることができないかもしれない。いやな予感がしはじめる。少々責任を感じて、ラッセルをがんばる。F1はなんということはないが、一応ロープを出した。F2到着は2時半。とてもじゃないが、大滝まではいけない。この小さな滝で遊ぶことにした。トップロープを張って、右の滝と左の氷柱を登る。左は難しく、垂れ下がる氷の表側にバイルを打つところまではよかったが、ハングが大きすぎて足がとどかず、バイルと手袋を残してフォール。次に鈴木君が左側から攻め、フィギュア4でクリア。もう一度チャレンジしたかったが、時間がなかった。一人2回ずつ、廣澤さんは1回だけしか登れなかった。
4時半ころ、下山を開始する。来るときに通った渡渉点は使えないので、別のところから渡渉をしなければならない。暗くなるまえに渡渉点まで行きたかったが、とうとう日が暮れてしまった。ヘッドライトもつけず、渡渉点をさぐるが、なかなか良いところがない。最後はもうどうにでもなれ、という感じで強引に渡る。3回ほどはまって、ようやく1本目の沢に辿り着いた。靴のなかは水浸し。氷もほとんど登れず、ラッセルに終始した挙句にこの始末。みじめ。登攀具一式を残置して、暗い林をとぼとぼと歩いて帰った。8時すぎにスキー場到着。
こういうときにはスキー場はありがたい。ストーブで体を温め、服を乾かした。僕は鍋が待ちきれず、牛丼を食べてしまった。一人でコンビニへ行き、翌日の行動食を仕入れる。車で戻ってきたときには、鍋ができており、みんなもビールでできあがっていた。牛丼を食べたせいで、それほど食欲がわかず、おかげで極めて平和な鍋を楽しむことができた。
1/25
5時半に起床。朝から鍋の続きをする。7時半に出発。9時ころに昨夜荷物を残置した場所につく。このまま悪沢につっこんでも、大滝に登れるかどうか微妙な時間だった。せっかく講習会をしにきたのに、これではなんにもならない。スキー場のすぐ近くに、水道管から漏れた水でできた高さ10mほどの氷の塊があった。水の出口を塞げばなんとか登れそうであった。結局、その氷の塊を登ることにし、登攀具を回収して、もと来た道を戻る。
林のなかに青く輝くそのオブジェは、とても不思議な光景だった。左右二つの山があり、スキー場からみて左側の山から水が飛び出して、右側の山に水がかかっている。そこでまず左側の山に登り、水を塞ぐことにした。こんな氷は初めてだった。太陽の光を裏側から浴びて、まるでネオンのように輝いていた。上に登るにつれて明るさは増し、最上部はまるでガラスのようだった。果たして体重を支えきれるのだろうか。バイルが氷をつきぬけたときは心臓が止まりそうなくらいどきどきした。トラバース気味に登り、左手の木に支点をとってひと安心。そしておそるおそる水の噴出すところをのぞいてみる。それは驚くべき光景だった。10m下から水が吹き上がり、まるで大砲のような構造になっていた。上部の氷は予想以上に薄かった。ツェルトで穴を塞いだ。この作業を終えて、ようやく両方の氷が登れることになる。右の氷は鈴木くんにまかせて、ロープと新しいアイゼンをとりに車へ戻る。
右の氷の裏側は傾斜はないが、もろい。結局、ここも僕がリードする。上のほうは意外といい氷で、スクリューも打てた。あとはひたすら登った。自然の氷ではありえない、かぶった氷もあり、まるでコンペの氷のようだった。昼過ぎから雪が降り始めた。大滝に行ってたら、大変だったろう。みんな腕がパンプするまで存分に登った。
帰りはとりたてて書くこともないが、温泉だけはやはり書いておかねばならない。国道に出る少し手前に、怪しげな温泉マークのネオンがあらわれる。看板には「つりぼり温泉」と書いてある。なんというネーミングだ。近づいてみると「つりぼり」と「温泉」の間に「と」という字が小さく書かれていた。ますますもって怪しい。が、いちおう国民宿舎なのだ。建物はおんぼろ。長い長い渡り廊下ですっかり体が冷える。しかし温泉はよかった。蓋が自動というのは初めてだった。久々に露天風呂で雪合戦を楽しんだ。
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ここ数年、錫杖には縁がない。雨による現地での敗退が2回。計画したものの天気が悪いとのことで中止にしたのが何度か。昨年10月は予定日を過ぎても子供が産まれず、逃してしまった(予定日までに産まれないと錫杖<すずえ>と名づけると脅していたにも関わらず…)。2月も準備を整え、車に乗り込んだところで中止になった。そしてまた今回も縁がなかった。
3/2
午後8時ちょうどに京都駅に全員が集合し、出発。今回は運転手が僕一人。高速を降りるまでは順調だったが、途中、雪で隠れた縁石にタイヤをすりつけてしまった。大したことないだろうと思って、しばらく走ったが、助手席に座っていた林君がどうもおかしいというので、峠道の途中で車を降りてみてみると、タイヤがパンクしていた。一刻でも早く着いて寝ることばかり考えていたのに…。玉田君の奮闘でタイヤ交換もすみ、あともう少しで槍見温泉というところで、何故か渋滞。事故のようだ。幸い、それほど待たずに復旧し、槍見温泉に到着。岡田君の車の横に駐車。
3/3
明け方、車の横で登山者が準備をしていた。1ルンゼに行くのだろうか、それとも笠か。いずれにしろ、平日に来るんだから、暇人に違いない。これでラッセルせずに済むなあ、と思いながら、再び眠りについた。午前6時起床。肌を突くような寒さだ。今シーズンは冬山らしい冬山には行っていないから、なお更そう感じたのかもしれな。八ヶ岳、御岳と連戦中の岡田君は真っ黒に日焼けしていた。7時40分、あるいはもう8時近くになっていたかもしれないが、出発。トレースはばっちり。最初はわかんをつけていたが、結構凍って滑るので、わかんを外し、アイゼンをはめた。アプローチでアイゼンを使うとは思っていなかった。さらのアイゼンを持ってこなくてよかった。天気は上々で、暑い。沢に流れ込んだデブリをみていると、雪崩のことが少し頭をよぎった。
いつもの渡渉点は雪で埋まっていた。ここで水を汲もうと思っていたので誤算だ。そこからは沢を延々とつめていく。もうすぐ取り付き、というところで、先行パーティが下りてきた。京都ナンバーだったので、少し気になっていたが、野村さんということで納得した。北沢大滝に行って、2回雪(雪崩?スノーシャワー?)をかぶって下りて来たとのこと。10時前にとりつきに着いた。10時40分に林君がリードを開始。本来のF1は薄くて登れないので、左手から巻くことにした。岩の部分もおもしろそうだったが、時間もないので、もっと左の簡単なルートをとる。冬壁は慣れていないのか、少々手間取っていたので、別ルートから僕がリードし、玉田くんがフォローした。2ピッチ目は凹角の岩場を少し登って、右へトラバースし、緩い氷雪壁を二股手前まで登る。上には青い氷の筋が連なっていた。玉田、林の両名が登ってきたところで、続けて3ピッチ目のリードにかかった。真ん中の氷を登ってもよかったが、スクリューを打っていると時間がかかるので、右の岩とのコンタクトラインを登る。そこを抜けると傾斜は一旦落ちる。ビレイ点はしっかり出ている。岡田くんは左の氷のラインから登ってきた。12時40分、全員が3ピッチ目終了点に集合した。やはり4人で登ると時間がかかる。1ルンゼの右俣上部からは何度かスノーシャワーが落ちてきた。2ピッチ目の終了点でビレイしていた林くんたちは、もろにかぶったらしい。ここからいよいよ氷のピッチだ。岡田くんが10mばかり登ったところで、この先どうしよう、という話になった。少なくともあと3ピッチ、これから雪崩が多発する時間帯に突入する。陽はやや翳った感があるが、上部雪田には燦燦と降り注いでいるだろう。それぞれの意見を聞いたところ、雪崩の危険が高そうだということで撤退することになった。下降はわずか30分。降りてきて、1ルンゼを見上げると、いよいよ後悔が募った。もう少し早く出発していれば…。しかしやはり4人というのはしんどい。
帰りは尻セードのオンパレードだ。とりつきから渡渉点まではいうまでもなく、あちこちで楽めた。最後は、トラバース気味に槍見温泉へと降りていくのだが、そのまま川まで滑っていったほうが楽しそうだったので、岡田くんを先頭に、滑り下りた。川のほん手前まで滑り降り、あとは水道管の上を歩いていった。しばらく歩いてから川に降り、川を横切って、登りきったところが旅館の露天風呂だった。幸か不幸か男風呂で、幸か不幸か誰もいなかった。よっぽど浸かっていこうかと思ったが、そこまで大胆かつ非常識でもなかったので、指をくわえたままそこを通過し、道路に出た。ちゃんと登山道を歩いて帰った方が早かったかもしれないが、これはこれで楽しかった。
本来なら風呂に入って帰るところだが、とにかくスペアタイヤをきちんとしたタイヤに替えたかったので、ギア分けをした後、高山へ直行した。帰りにもトンネルのなかで軽トラックが一台転がっていた。高山でタイヤを交換している間に、ご飯を食べ、午後10時すぎに京都に戻ってきた。車の中では、1ルンゼのリベンジのことを話していた。林君なんかは、すっかり乗り気で、もしパートナーが居なければ是非誘ってくださいと言い残していった。
翌朝、岡田君には悪いなあと思いつつ、彼のヨーロッパ出発までに予定があわすことは無理だろうから、「ぬけがけ」になってしまうけど、リベンジするつもりの旨、メールを出したところ、それと入れ違いに、リベンジしましょうとのメールを受け取った。早速、電話で相談をした。なかなかうまく日程は合わなかったものの、11日出発で再チャレンジすることになった。この日は昼から会議なので、会議終了後に出発し、夜中のうちに取り付き近くまで登って、翌朝に登るという手はずだ。天気が悪ければ、あきらめるしかない。もうこの日しか取れないのだから。夜、家に帰ってメールをあけると、林君から熱いメールが届いていた。あのルートは何度行ってもいいルートだと思う。けれども、まず確実に完登しておきたい。結局、断らざるをえなかった。もう、後戻りはできない。あとは天気が味方してくれるのを祈るばかりだ。しかし最近の僕と錫杖の相性からすれば、いささか心配ではある。
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1度目の錫杖岳1ルンゼは、様々な要因がもとで敗退という結果に終わってしまった。しかしそれは、絶望的な敗退ではなく、登れるという確信のもとでの敗退だったので、すぐさまリベンジの計画が立てられることとなった。最初は、帰りの車内で玉田くんや林くんと行く約束をしていたのだが、あとで岡田くんもリベンジを考えていることを知った。1ルンゼを登ることになった経緯上、彼と登ることを優先させねばならない。ところが、様々な事情により、彼はバイト先の富士山から下山できなくなり、計画が流れてしまった。玉田くんは外国に行ってしまったし、はて誰と登ろうかと考えている時に思いついたのが大坂くんだった。金がない、リードはできない、など多くの条件つきながらも同行を承諾してくれ、これでいよいよ1ルンゼのリベンジの条件が整った。
3/13
土曜日の昼前、我が家で大坂くんと昼ごはんを食べてから出発した。この2人は何年か前の3月にも同じように昼前に出発して新穂高に行ったことがある。そのときは、滝谷四尾根を登るつもりが、僕がアプローチの途中でアイゼンを落としてしまい、あえなく敗退してしまった。そんな因縁があるので、また何事かありそうな気がしたが、とにかく氷に触れたらそれでいい、と気楽な気持ちでいた。
午後5時頃だったろうか、槍見温泉に到着し、十日前に通ったあの道をまた歩いた。前に比べると雪が格段に減っており、地面が露出しているところさえあった。氷は大丈夫だろうか。トレースは前とは若干違うコースについていた。暗くなる寸前に、渡渉点につき、テントを張った。目前には錫杖のどっしりとした黒い塊がそびえたち、1ルンゼが一条の白い光の筋となって輝いている。こんな魅力的なルートがあるだろうか。食事は簡素なものであったが、大坂くんは何を期待したのか、珍しくコッフェルを2つも持ってきていた。星は煌煌と雪景色を浮かび上がらせている。外でビールでも飲みたい気分だったが、あいにくそんな贅沢品はない。翌日の登攀にそなえて、早々に寝た。
3/14
4時起床。お茶漬けをかきこんで、4時50分に出発。とりつきまでの間にテントが1張りあって、僕らが通過したあと灯りがともった。(後で聞いたところ、彼らは前日に3ルンゼを登ったらしい。ほとんど雪壁に終始したとのこと。)50分ほどでとりつきに到着。準備をしているうちに、空が白んできた。さっさと準備をすませ、急いで登り始める。
1ピッチ目。先週と同じところから登る。岩の部分はドライツーリングだが、バイルの置き場所は鮮明に記憶に残っており、苦もなくクリア。2ピッチ目。リッジに出て、その上のクラックを登り、右手の氷雪面に出る。先週クラックに着いていた雪は見事にとけ切っており、支点のハーケンが露出していて、キャメロットを使うまでもなかった。最後の氷雪面を快調にぬけてビレイ点に到達。3ピッチ目も先週とは様子を異にしていた。シンアイスだった部分は岩が露出し、ミックスっぽい登りとなる。ここも支点が多く出ていて、キャメロットやスクリューは要らず、ずいぶん時間と労力を節約できた。ここまで1時間20分(前回は2時間かかった)。
4ピッチ目から実質的に氷のルートとなる。目の前の氷は薄そうではあったが、傾斜がなく、さほど難しくないように思えたが、いざとりついてみると、結構傾斜があり、難しかった。極短のスクリューを使い、上部はややかぶり気味になった氷を慎重に抜ける。氷が薄くて緊張した。そこを抜けるとあとは傾斜が落ち、スクリューでビレイ点をつくる。トイレ休憩の後、5ピッチ目に突入。ここも下から見ると楽勝っぽかったが、傾斜は見た目以上にあり、何よりも長かった。幸いだったのは、ハーケンがすべて露出していたことで、スクリューを打つ手間がはぶけた。途中に終了点らしきところがあったが、ともかく傾斜の強い部分を抜けるまで行こうと素通りした。最後はいい加減に疲れてきたが、ちょうどよい岩角があったので、そこにスリングをかけてビレイ点とした。6ピッチ目。おそらく最後であろう。階段状で易しく見えるが、これまた疲れた身体にはこたえる。氷を登り切ると、上部雪田の不思議な世界が広がっていた。10時。登攀時間は4時間20分だった。あっけない幕切れといえばそれまでだが、充実した面白いルートだった。こんな近くにこれほどのルートがあるのは驚きである。ロケーションもよく、また来たいルートである。下りはほとんど登りと同じ支点をつかって懸垂下降だが、4ピッチ目終了点は左手のテラスにある支点を使った。2ピッチ目終了点から一気に下まで降りられるかと思ったが、わずかにロープが足りなかった。ここは2ピッチ目終了点より10メートルほど下にあるビレイ点を使うとよい。
尻セードで快適に下り、心地よい疲れと充足感に満たされながら京都へ帰った。もちろん、岡田くんへの連絡は怠らなかった。来年度は2ルンゼに挑戦しようと思う。
雪稜のエセドリフターズがゆく
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面子 I野(ブー) H澤(チャ) T嶋(ケン) <不参加 M田(長介) O坂(工事)>
この山行の因縁は2月14日の錫杖岳1ルンゼ中止にまで遡る。T嶋がI野にかけた電話が発端だった。アイスクライミングへ行く約束をぶっちしてしまい、大きな借りを作ってしまった。その償いに今回の山行が計画されたのだが、最初は氷のルートでも、と考えていた。しかし錫杖のことで頭が一杯になり、もうどこでもええわ、という気になってしまった。日程が決まった後、O坂と錫杖の計画を立てている最中にO田から電話があり、この八ヶ岳山行の日に鹿島槍の氷のリボンに行かないかという誘いを受けた。前から行きたいと思っていたルートだったので、ぐらっと心が揺れた。八ヶ岳を一週間ずらすことはできないか。それはちょっとまずいやろというO坂とA子の説得で一旦は鹿島槍を思いとどまった。しかし一晩あけてI野からのメールを見て、再度鹿島への思いがメラメラと燃え上がり、I野とH澤に一週間延期が可能かを問い合わせた。本当は延期しないほうが都合がいいが、延期も可能との返事を得て鹿島槍へ向けて気持ちを高めていたところに、O田から予定が入ってしまったとの電話がきて、あえなく鹿島槍の夢は消えた。さんざん皆をひっかきまわした挙句、この日程でこのルートにこのメンバーで行くことに決まったのは、出発の3日前だった。
3/18
出発前夜、O坂の追い出しコンパを欠席して準備にいそしむ。久々の縦走、そして久々の食料係ということで、時間がかかり、夜遅くにやっと準備が完了した。出発当日は、3人とも仕事がずれこんで出発が遅れた。さらに計画書をM田に送ろうと何度も試みたがうまくいかず、そんなこんなで京都を出たのは12時すぎだった。結局、渋の湯までは到達できず、諏訪SAで仮眠した。
3/19
北八ッ岳は実は初めてである。ゆったりとした山容は南八ヶ岳と対照的だ。のんびりのんびり、話をしながら登っていった。樹林帯を抜けると、展望が開けた。北アルプスから南アルプスまで一望できる。睡眠不足で、今にも寝そうになりながら天狗岳への斜面を登る。H澤は途中で本当に寝てしまった。頂上から硫黄岳まではなだらかな稜線が連なっている。風を避けるため、樹林帯まで急いで下る。ぐんぐん下ってゆき、夏沢峠についた。ここでテントを張る。この日は粕汁とツナサラダ。
3/20
予報どおり、天気は悪い。いきなり硫黄岳への長い登り。稜線に出ると、強風が吹き荒れていた。久々に味わう雰囲気だが、冬とはちがって、風はそれほど冷たくはない。強風に足を取られながら、横岳へと向かう。横岳付近で天気は一旦好転するが、赤岳へ登る頃には再び悪化し、雪が混じり始めた。予定では赤岳頂上で泊まることになっていたが、なんせまだ11時、行者小屋まで下ることにした。悪天の中の赤岳下降と地蔵尾根のルートファインディングは結構やっかいだった。午後1時前に行者小屋に到着。いろいろな選択肢があったが、結局ここで泊まることにした。氷の道具を持っていれば、南沢大滝で遊べたのだが、登攀具はほとんど持っておらず、テントの中でぶらぶらするしかなかった。しりとりをして時間をつぶす。「冷蔵庫の中にあるもの」シリーズでは、2人の貧困な食生活を垣間見ることができて、哀れを催さずにはいられなかった。今晩はホタテとキノコと白菜の煮物にポテトサラダ。7時にはすでに就寝した。
3/21
絶好の天気。あとは下山するだけなので、惰眠をむさぼる。結局、腹が減って我慢できなくなったI野が起き出して食事を作りはじめた。T嶋は食事ができるのをじっと待ち、H澤はびくともせずに寝ていた。8時半に下山開始。大同心、小同心、中山尾根など、かつて登ったルートがくっきり見えた。やはり雪の山はいいなあ、とつくづく思った。昨年2月に来たときには、アイゼンなんてほとんど不要だったので、アイゼンをはめずに下山し始めたが、昨年以上に道に氷がはっていて、3回すべったところでたまらずアイゼンをつけた。時期が遅い方がよく凍っているのだろう。経験というのも、使い方を誤ると大変なことになるのを実感。先入観にとらわれず、状況を判断しなければならない。I野とH澤が美濃戸と美濃戸口を間違えるなどの行き違いもあったが、11時に無事下山。予約しておいたタクシーで渋の湯へ向かう。空腹のためすっかり気分が悪くなる。駐車場でラーメンを作って食べ、渋の湯であたたまってから、帰途につく。途中でヒッチの外人を車に乗せ、彼の別荘まで送る。お礼に別荘を見せてもらった。(飲食は出なかった…)彼はH澤の職場の近くに住んでいるらしく、ローカルな話でもりあがっていた。その後、おいしいそばを食べ、高速にのる。帰りはほとんどH澤が運転し、T嶋は爆睡した。T嶋が京都まで腹がもたないとダダをこね、大津SAで軽く夕食をとる。9時すぎに帰宅。
<感想>
久々の縦走だった。メインの2日目が荒れたので、のんびりハイキングというわけにはいかなかったが、たまには吹雪に吹かれないとよくないと思った。アイスクライミングばかりしていると、なかなか山頂を踏むことがない。実際、今回頂上を踏んだのは今シーズン始めてである。たまには縦走もいいなあと思った反面、南沢大滝や西面の岩壁を見ると、むらむらとこみあげてくるものがあった。食事は生野菜を持っていったので、若干重かったように思うが、量的にはまずまずだった。もう少し考える時間があればよかったのだが。それと日本茶を忘れたのは失敗だった。まあ、それにしても、よくしゃべること。体より口が疲れてしまった。標高に反比例して会話のレベルが落ちていったが、下山後もレベルがもどることはなかった。