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今夜の番組チェック

冬の毛勝をかいまみる

 

すべてはこの瞬間のためにある。檜の香りに包まれながら、そう思った。檜には、なにか人をうっとりさせる作用があるらしい。僕はそのとき、宇奈月の温泉で体を洗っていた。黒薙川カシ薙深層谷を登った帰りに立ち寄った、あの温泉だ。

 

コッ、コッ、コッ。

まるで巨大な魔物の毛細血管だ。僕はなんだろう。魔物の体を蝕むウイルスなのか、はたまた魔物にとってはチリのような存在に過ぎないのだろうか。

 

1229日の朝、宇奈月に着いた。僕を除く5名はそのまま黒部の懐へ入っていった。僕はひとり車を走らせる。魚津駅でタクシーをつかまえ、一緒に下山予定地である東蔵へ向かった。発電所前に車を止めて、タクシーで魚津駅までもどり、そこから富山地方電鉄に乗り込む。ところが、飛び乗ったその電車は黒部駅どまり。宇奈月行きは30分ほど待たねばならなかった。再び宇奈月に戻ってきたときは、彼らが出発して3時間がたっていた。もう鐘釣駅についただろうか。見えない彼らを全速力で追いかける。

 

延々と続くトンネル。僕の足音だけがこだまする。コッ、コッ、コッ。それはまるで脈を打っているかのようにこだまする。トンネルが曲がりくねっているためか、それとも素掘りのあのごつごつした表面のせいか、そのこだまは複雑に反響し、だれか後ろからおいかけてくるような錯覚に襲われる。そう思って立ち止まってみると、こだまは消え、静寂があたりをつつみこむ。ここは黒部の山の「中」なのだ。まるで血流が途絶えてしまうかのような、奇妙な不安を覚えた。もう止まらない。そう決心して歩き続ける。灯りのあるところには、コケ類やシダ類が繁茂している。色彩に乏しいトンネルの中で、蛍光灯の妙に白々しい光に照らし出された透明で弱々しい緑。安物の作り物のよう。そう、なんだか遊園地のアトラクションを見ているような、やけに人工的な緑だ。ひなびた温泉の歓楽街。寂れを感じさせまいと空威張りしたけばけばしさがかえって寂しさを沸き起こすあの感覚。一人でトンネルを歩いていると、どうも神経がおかしくなるらしい。僕が黒部を蝕んでいるのか、黒部が僕を蝕んでいるのか。

 

みなはいったい何を考えながら歩いていったのだろう。

 

2時間40分で鐘釣駅に到着。1時間半も待たせてしまった。僕はさすがにおなかがすき、そこで休憩することにし、みなには先に行ってもらった。また一人歩き始める。左手、黒部の河床に鐘釣温泉がみえた。川のほとりに石で囲っただけの素朴な温泉。計画段階では、ここに一泊して、翌日からとりつくということも考えていた。しかし目指す尾根には、860mをすぎると1400mまでジャンボテントを張れそうなところがなかったので、この素敵な案は断念しなければならなかった。素通りするにはあまりに魅力的だったので、ザックからカメラを取り出し、写真に収めた。そこに行く機会がすぐにおとづれるとはつゆしらずに。

 

もうちょっと行きすぎではないか、そう思ってスノーシェッドから上をのぞいてみたところ、どこからでも取り付けそうな気がしたので取り付くことにした。大坂君ががんがんラッセルしていく。急坂を登りつめたところで僕に交代。そこから鉄塔まで行ってみると、どうも地形がおかしい。よくよく地図をみると、ウド尾根の支尾根に取り付いてしまったようだ。取り付きでしっかり地図をみておくべきだった。一旦下って、トンネルの横をラッセルしてウド谷に出る。実は先発隊は途中ですれ違った関電のひとに、標高860mの鉄塔にいたる道を聞いてくれていた。それによると道は2つあるらしい。とりつきを探ってみるが、深い雪の中なので、道はわからないし、あってもラッセルには変わりない。一番傾斜のゆるそうなコースを選んで尾根に取り付く。大坂君と2人でラッセルして、尾根にでる。後続はすっかり遅れている。しばらく待って、ラッセルを交代してもらおうと思っていたが、全然姿が見えない。あきらめて2人でラッセルしていくことに決めた。鉄塔までは300mちょっとの登りだが、きつい。雪は重く、すぐに固まるのでラッセルしやすいが、如何せん、この急傾斜にくわえて、トンネルをぶっ飛ばしてきた疲れが重なり、体が思うように動かない。鉄塔は見えるのだが、なかなか近づかない。暗くなる前に、明日の分のラッセルをしておいたほうがいいと思い、僕が空身で鉄塔までラッセルする。大坂君は、鉄塔まで来た後、空身で明日のコースのトレースをつけにいった。僕は荷物を取りに下におりる。竹村さんからポールをうけとる。かなりしんどそうだ。一人で整地をすませるが、あの大きなテントを一人でたてるわけにはいかず、後続を待つ。とっさに、周囲が明るくなった。なんだろう、と左右を見渡す。山の端から煌煌とした月がのぼってきたのだ。その月の光に雪の結晶が反応し、舞台の幕開けのように黒部の山並みが鮮やかに浮かび上がった。あまりに美しい光景に、しばらくぼんやりする。

 

30分ほどで最後尾が到着する。テントのなかはもう別世界だ。さっそくキムチ鍋の支度をする。ビールがないのは玉に瑕だが、600gもある肉と増田さんが仕入れたキムチは食べ応えがあった。こんな贅沢は今宵限りだ。

 

1230日。4時起床。6時出発。昨日、大坂君がトレースをつけておいてくれたおかげで、順調に高度を伸ばす。そのトレースが尽きたところから僕がラッセルを交代する。1404mまでずっと急坂がつづく。今回の山行はラッセルが目的のひとつでもあったので、もともと全員で交代していくつもりだった。ところがいざみなにしてもらうと、スピードががっくり落ちてしまう。これでは今日の目標地点である1520mまで上がれない。一度ずつラッセルを「体験」してもらい、その後は僕と大坂君でトレースを伸ばしていった。予想外だったのは、後続のペースがあまりに遅いことである。雪がふかふかなうえ、トップは空身だから、2番目の人は結構沈む。僕がいくらトレースをつけても、ペースはちっとも上がらない。大坂君がトップのときは、できるだけ2番目を歩くように心がけたが、それでもペースがあがらない。歩くより止まっている時間のほうが長かった。雪が舞い、ときおり強風があおる。あまりに先にトレースをつけすぎると、後続が通過するころにはまた雪に埋もれてしまう。これほど後続に気を使いながらラッセルするのは、正直言って気がめげた。昨年、岡田くんと硫黄尾根にいったときには、頭が真っ白になるくらい猛烈な勢いでラッセルをし続けた。ラッセルを終えて荷物をとりにかえり、必死にトレースをおっかけると、岡田君がラッセルを終えて下りてくる。トレースの末端までゆき、荷物を置いてまたラッセルする。休むまもなく、3日間ラッセルし続けた。けれどもトレースがどんどん伸びていくから、ラッセルも気にならなかった。が、今回はいくらがんばってトレースを伸ばしていっても後ろがついてこないからがっくりくる。そもそもこのパーティでここに来たのが間違いだったのだろうか。みなの疲れ具合がピークに達したのを察して、1404mピーク越えて少しいったところで行動を打ち切ることにした。本当はもう少し進みたかったのだが、止むを得ない。

 

みじめな一晩だった。全身湿っぽい。シュラフも湿っていた。雪は一晩降り続いた。「当番」の増田さんが、夜中に3回ほど雪かきをしてくれたが、こんなことは久々だ。

 

1231日。朝、雪はほぼ止んでいた。地形が複雑なところだったので、起床時間を一時間遅らせた。出発には昨日よりもう一時間余計にかかった。2つの原因があった。まず食事の内容。前日は起床して40分後には食事をはじめていたのに、この日は一時間後にようやく食べ始めた。前日はホタテのリゾットで、あらかじめ作っておいたアルファ米を温めればよかったが、この日はアルファ米を一から作らねばならなかった。また前日はくみ上げた水があったのに対して、この日は雪から水を作らねばならなかった。さらに、出発直前に竹村さんのわかんが雪に埋もれて見つからないという事件もあった。僕はスノーシューをはいて、ひとしきりラッセルして帰ってきてもまだ出発できなかった。8時出発はあまりに遅すぎた。ペースもあいかわらずあがらない。1520m地点に10時までにつけば、先に進むと言ったが、もう撤退を観念していた。せっかくなので、またみなにラッセルを一通りしてもらった。最後、僕が1520m地点までラッセルしていった。孤独なラッセルだった。945分に到着してひきかえすが、本隊はまだほとんど進んでいない。しばらく後ろについて様子を伺うが、一向に進まないので痺れを切らし、先頭に立って歩く。すぐにまた一人になる。ラッセルの終了点に全員が到着したのは1015分。ここで撤退の決定を伝える。

 

天気は一時的によくなりつつあった。後立山方面の雲が次第に取れてくる。毛勝主稜線もときおり姿をみせはじめた。気持ちいいところで立ち去りがたい。このまま下山するのももったいないので、ビーコンの講習をすることにした。雪が深いので、整地するのが大変だった。そのあとラッセル訓練。斜面上方にある木まで、ラッセル競争をした。白銀の斜面に6つの線が延びていく。それは白い魔物にとって、皮膚の上でもがく小さな蚤にすぎなかった。魔物はあまりに大きく、深かった。しかし蚤が残した12本の軌跡は、はるか下からも見て取ることができた。それは我々がそこにいた唯一の証であったが、雪が少し降ればすぐに消えてしまう、はかない証でもあった。白い魔物にとって、それは刹那に感じた痒みにすぎなかった。

 

午後1時に下山を開始する。天気は穏やかで、とても気持ちいい。前夜の泊地まではトレースもあるので快適だった。1404mへの登りはわずかではあるが、苦しいラッセルだ。下る尾根を十分見極めて、下り始める。昨日のトレースはすっかり消えてなくなっている。左へ左へ進路を取りながら、ラッセルを続ける。途中、大坂君に代わってもらおうとしたが、結局一人で下までラッセルすることになった。1150m付近までは順調に下るが、そこで尾根を間違えてしまう。1200mからは真東にいきさえすればよかったのだが、分岐点付近の尾根は急で、下がみえなかった。少し降りたが、尾根が続いていないかもしれないと不安になり、左手にあった顕著な尾根状へ移った。鉄塔が前方右手にみえたときには、もうずいぶん下ってしまっていた。間違えた尾根は最後が急そうだったが、なんとか行けそうだった。登り返しても、その尾根にはどのみちトレースはないのだ。もう時間がおしている。明るいうちに安全地帯に下りてしまわねばならない。そこからぐんぐんペースをあげてラッセルしていく。700m付近で尾根が不明瞭になった。すこし降りてみるが、懸垂が必要だ。ひきかえしてルンゼにおりることにする。後続が間違って尾根のトレースをたどってはいけないので、長いこと待つ。時間は刻々とすぎていき、気が焦る。ようやく竹村さんがあらわれた。後の人にルンゼに下りるよう伝えてもらうようお願いし、ルンゼへ下降する。雪の詰まったそのルンゼは、雪崩れそうで気色悪かったので、すぐまた尾根に戻った。尾根は末端までトレースでき、沢に下り立った。右岸は壁だったので、左岸へうつる。先週につづき、また冬の沢くだりだ。滝があったので、上においやられる。弱点をかいくぐって沢におり、右岸から降りようとするが草つきにのった雪の斜面が恐ろしく、ひきかえして左岸をさらに下ることにした。ここでも後続を待つ。すっかり暗くなって、ようやくヘッドライトが近づいてきた。左岸も草つきにのった雪で悪い。急斜面を転がるように降りて、再度沢を渡る。沢沿いに下ろうかとおもったが、下は滝が続いているような感じだった。暗いのでよくわからない。すこし巻き上がると、なだらかな斜面が黒部川に続いているようだった。助かった。そこからトンネルの入り口まではすぐだった。午後6時、全員が揃った。後から聞いたところでは、みな苦労したようだ。僕は実のところ、みなちゃんと降りてこれるか心配だった。ほっとしたと同時にうれしかった。本当にみんなよくがんばったと思う。ストレスの多かった今回の合宿で始めて達成感を感じた瞬間だった。

 

トンネルのなかで年を越す。食料・燃料は有り余るほどあった。好きなものを好きなだけ食べた。トンネルの中はテントのような狭い空間とは違って、いくら火を焚いても暖かくならない。最後の晩は反省会をしようと思っていたが、そんな気も起こらず、思い思いの場所に寝床を定めて、久々にリラックスした気分で夜をすごした。

 

11日。7時起床と決めていたが、僕は6時半におきてしまった。外張りとポールを組み合わせて覆いを作り、中で火を焚けば暖かいに違いないとシュラフの中でふと思いつき、思いついたらいてもたってもいられなくなったからだ。このアイデアはうまく作用した。暖かい空間で朝ごはんを食べることができた。昨夜このことを思いついていればよかったのに。食後、反省会をした。僕の反省点はいろいろあったが、大まかに言えば2点。まず道を間違えたこと。同じ道を下る可能性があったのだから、登っているときに尾根の分岐点でしっかり後ろをふりかえって周囲の状況を確認すべきだった。とくにその尾根は分岐点がいまひとつ顕著でなく、下が見通せなかった。もうひとつは、パーティの力量を見誤っていたこと。今回は16kgから20kg(大坂くんと僕は制限なし)という重量制限を設けたのだが、もっと少なめに設定すべきだった。具体的に言えば14kgから16kgに抑えるべきだった。当初は1gでもおおく持ってきていたら、出発前に荷物を抜いてしまおうと、体重計までもっていたのだが、東蔵までまわらねばならないと焦っていたために、結局体重計の出番はなかった。あとで持った感じでは制限を越えていると思われる人がいた。各人それぞれ反省点を述べたが、敗退の最大の原因はやはり体力不足であろう。2日目に1520mまで行けていれば、上まで行けただろう。が、あのスピードではどうしようもない。ただ冬の黒部中流域の様子を伺えたのは大きな収穫だった。まだ玄関口をのぞいたに過ぎないが、やはり黒部はいい。いつか黒部から白馬につきあげてみたい。そう、あの長大な尾根を。

 

この日のメインイベントはなんと言っても鐘釣温泉だ。トンネルから温泉へ向けてラッセルしていったときのあの興奮は忘れがたい。ロケーション、泉温、いずれをとっても最高級だ。体が火照れば黒部の水に体をさらし、寒くなればまた湯船にもどる。夏のなんでもない露天風呂も、冬には超一級の秘湯となる。多くの人に閉ざされ、少なからぬ労力を払わねば到達できない温泉。しかも人工的なところがほとんどなく、ころあいの温度。すばらしいの一言に尽きる。正月早々、こんな素敵な温泉に入れる喜びをかみしめながら至福のひと時をすごす。冬の黒薙温泉もよさそうだ。是非いって見たい。とはいえ代償はやはり大きい。宇奈月までの長いトンネル。疲れた体には苦痛以外の何ものでもなかった。プラブーツが足首に当たって痛い。外を見ると雨。12日は大荒れだという。ちょうど下り頃だったのかもしれない。我々の挑戦はまだ始まったばかりである。

 

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久々の縦走ー硫黄尾根ー

 

久々の縦走。夜行で行くのもまた久々だ。硫黄尾根から西穂まで、予備日をいれて8日間の長い日程を考えると荷物は極力減らす必要がある。出発日はまる一日かけて準備をした。1グラムでも軽くするため、秤とにらめっこしながら持っていくものを決める。着替えは靴下1セットと手袋のみにした。手袋は多めに持っていった。稜線の風を考えてのことである。下界に下りてからくさいだろうが、そんなことはかまわない。サングラスも外す。これは普段ももって行かない。ゴーグルも普段は持っていかないが、今回はさすがに持っていかざるを得ない。下着は生地の薄いものを選び、そこかしこについているサイズや品質表示のラベルは全て切り取った。食器は大きめのコッフェルを1つだけ。朝はラーメン、晩はカレーという単品メニューなのでそれで十分だ。ナイフも小さいのを選ぶ。洗面具の類は一切カット。ラジオも軽いのを購入した。重量は230グラムから60グラムに減った。ピッケルも軽いものを購入した。750グラムが550グラムになった。(あとでさらに軽いピッケルがあることを知った。冬壁にでも行かない限りはこれで十分であることが今回実証できた。なにせ始終持っているものであるから、軽いに越したことはなく、とくに体力のない人は、絶対に軽いものにすべきだ。いまどき強度がどうこうという時代ではない。)ロープも奮発して軽いものを買った。1メートルあたり3グラムの減量、しめて150グラム。ロープについては、重量よりスペース節約の効果が大きかった。アイゼンはいつもゴム製の爪カバーをしていたが、袋の方が若干軽かったので、今回は袋に変えた。ザックのフレームを外し、雨蓋も取った。ただあとでパッキングしてみて、食料をプラスすると入りそうにもなかったので雨蓋は戻した。登攀具はカラビナ3枚、安全環付きが1枚、スリング6本(残置を想定して)、ATC(エイト環は重いのでやめた)、ハーネスにとどめた。カメラは断念した。行動食は1食あたり200グラム、予備日はその半分。パンの類は嵩張るので、中身の濃いものを選ぶ。共同の食料は岡田君に任せ、飲料は僕の担当になった。紅茶を13パックと砂糖を200グラム。いささか少ないが、カロリーは食事でカバーするからいい。山行中にお茶を飲んだのは、行動が終わってテントに入った時だけで、食事の前後は何も飲まなかった。行動中は各自500グラムの熱湯を持ち、雪で水増ししながら少しづつ飲んだ。行動が終わっても半分以上は残っていたが、これは非常用の意味もあるので毎回テルモスは一杯にして出発した。大阪まで買い物に行ったのを含め、以上の準備に丸一日かかった。いささかマニアックに映るかもしれないが、厳しい山行になるとこれくらい荷物に気をつかわねばならない。(が、普通の山行ではあまり参考にしないほうがいいかも。ただ、自分はどれくらいの食料・水でどれくらいまでがんばれるかという限界を知っておくといいと思う。季節、山行形態、体調によっても違うと思うが、意図的に食料・水を制限した山行を経験するのがそれを知る早道であろう。)実際、これだけやってもまだ重過ぎると感じた。

 ちくまはすいていた。まだ日が早いからだろう。4人分の席を独り占めできたので、ぐっすり寝ることができた。大町からタクシーで七倉に向かうが、七倉までは入れず、ダムの手前で降ろされた。小雪の舞う中、歩き始める。長い長いトンネルを抜けると登山補導所。驚いたことに、そこには車が2台来ていた。どうやらここまで入れるみたいだ。松本憲親氏らのパーティで、唐沢岳幕岩から燕へ縦走するらしい。もう1台は単独の人らしく、硫黄から上高地へ抜ける予定で22日に入山したそうだ。補導所でお茶と漬物を頂きながら情報を仕入れる。雪はやはり多いらしい。それからも車道を延々と歩く。林道終点までは、車が入っており楽に歩けたが、林道終点からはラッセルだった。湯俣までは楽勝かと思っていただけに、計算が狂う。名無小屋を過ぎると雪は一層深くなり、たまらずワカンをつける。午前11時くらいに湯俣を予定していたが、12時半をまわっていた。途中、遠くに面白そうな氷があった。晴嵐荘を右手に見ながら川沿いに回りこみ、水俣と湯俣の二股に出る。煙がもうもうとたっており、川の色も硫黄くさい。水温を確かめに行きたかったが、先を急いでいたのでできなかった。交代でラッセルを繰り返しながら、取り付きまで水俣川を遡行する。取り付きはわかりにくいとトポにあったが、無事見つけることができた。笹やぶに雪が乗った急斜面。靴ではすべるのでアイゼンをはめて登る。岡田君は猛烈な勢いで登って行く。彼はこの登りで消耗してしまった。急登が終わると台地になっていて、緩やかな尾根が左手に伸びている。樹林の中、ラッセルは続く。最悪でも2031メートル地点まで行きたかったが、ラッセルのためはかどらない。休む間もなく(本当に休む間もなく)登りつづけるが、時間だけが刻々と過ぎていく。天気が好転しつつあることだけがなぐさみだ。1850メートル地点で時間切れとなり幕営する。初日から疲労困憊。冷え切った身体に紅茶がしみわたる。辛口のカレーがなかなかうまい。7時すぎに消灯。

 5時起床。6時半出発。天気は上々だ。今日、中山沢のコルまで行ければ、西穂まで楽に縦走できる、そんな計算をしていたが、この考えはすぐに放棄しなければならなかった。雪はますます深くなり、ついには荷物をもってラッセルすることができなくなった。荷物を置いて空身で前進する。息が切れ、頭が真っ白になると、ラッセルをやめて荷物を取りに替える。途中で彼とすれ違う。荷物のところまで戻ったころには、もう岡田君の姿は見えない。お菓子を口に放り込んで、すぐにザックを担いで登り返す。ラッセルで疲れた身体には、ザックが非常に重く感じられる。だが彼がラッセルしていることを考えると、ゆっくりとはしていられない。岡田君のザックを見遣るとしばらくで、彼が下りてくるのに出会う。彼が引き返した地点に着くと、そこにザックを置き、またラッセルを始める。樹林がまばらになれば雪が減るかもしれない、そんな期待をしていたが、見事に裏切られる。傾斜がゆるくなり、小ピークが目の前に現れた。ここからが第一の核心、硫黄岳ジャンダルム群である。P1は湯俣側から巻く。急な斜面を下り、頭の高さまでの雪のラッセルをしてP2に登り返す。P3はリッジ沿いに登る。岩場は雪が少ないが、ラッセルで疲れた身体は踏ん張りが利かない。身体を持ち上げる度に酸欠状態になる。先ほどから見えている小次郎のコルがなかなか近づかないのがもどかしい。懸垂、ラッセルを交えながらP4P5を越える。小次郎のコルには2時頃に到着。行動を打ち切るのには中途半端な時間だ。目の前には硫黄岳が聳え立っている。ここから約500メートルの登り。斜面にはびっしり雪がついている。できるだけ進んでおきたい。ラッセルを続ける。天気はよく、景色は最高だ。槍が遠い。カメラがあれば、素晴らしい写真が取れるのに残念だ。非常に急な斜面にぶち当たる。凹状雪壁だろう。雪は頭の上。ピッケルを両手で上げて頭上の雪を落とす。次に膝で雪を固めて踏み込む。ずるずると沈んで行く。また雪をかき集めて踏み込む。そのうちに下の地面が出てくる。雪崩ないか心配になる。下はすっと切れ落ちている。後ろをみていると恐ろしいので、目の前の雪と格闘して恐怖心を抑える。傾斜がさらにきつくなり、頼りにできるブッシュもなくなった。ロープなしに下るにはあまりに危険になったので、ラッセルを止めて荷物を取りに言った。岡田君はそこからラッセルを続ける。彼はそのあと懸垂で荷物を取りに戻った。もう時間切れなので、小さなコルで幕営することにした。彼が登り返してくる間、明日のためにトレースを伸ばす。またもや頭上を越えるセクションがあり、しゃにむにもがいて前進する。足場はぐちゃぐちゃだが、一晩たてば固くなるだろう。高度にして100メートルくらい進み、引き返す。コルを整地してテントを張った。

 5時起床、6時半出発。昨日のトレースのおかげで、最初はぐんぐん進む。2人が同時にすすむとやはり早い。が、すぐにストックは切れ、ラッセル再開。3日目ともなると、もう最初から足は重く、息は切れる。だが休んでは居られないし、ゆっくりもしていられない。天気は下り坂になりつつあるからだ。朝焼けの山が美しい。目の前の雪の稜線も美しいはずだが、いまは憎らしい。なぜここまで追い立てられるのか、よくはわからないが、寸暇を惜しんで前進する。登り返しではザックが肩に食い込む。だいぶ食料が減ったはずなのに、重いのには変わりない。やがて傾斜がゆるくなり、小さく平らな頂上に飛び出た。360度の展望。すぐさま荷物を取りに戻り、再び頂上にたった。硫黄岳から先はもうひどい登りはない。なだらかな稜線がしばらく続くが、その果てに第2の核心である赤岳ジャンダルム群がある。激しく背を波打った竜のようだ。硫黄岳からは久々の下りを楽しむ。そこから先はわずかながらトレースがあった。雪も少なくなり、ペースは一気に上がった。足を動かす分だけ前に進む。この単純な事実が新鮮だ。硫黄岳はぐんぐん遠ざかっていく。のっぺらした硫黄台地の向こうは雷鳥ルンゼだ。ここでわかんからアイゼンに履き替え、ハーネスをつける。ATCがないのに気づく。イタリアンヒッチで下降しなければならないと思っていると、岡田君が予備に持ってきていた下降器を貸してくれた。できるところまで歩いて下り、最後に懸垂下降。いよいよジャンダルム群だ。P1は湯俣側を巻く。下には湯俣川の支流が黒々とした帯となって白い雪の中を流れている。斜面からは煙がもうもうと吹き出ており、そこから水が流れている。きっと温泉にちがいない。尾根は茶色や灰色をしており、すっかり雪に覆われた周囲の尾根から浮き立っている。「地獄」とはこういうところを言うのだろうが、奇妙で美しくさえ感じた。その後もルンゼを登ったり、リッジを直登したり、懸垂したりして次々とピークを越えていく。狭いルンゼをつめてP8にたどり着く。そこから尾根は方向を変え、中山沢のコルへ急降下している。雪の急斜面を歩いて降りる。2時半すぎ。時間は早いが、赤岳岩峰群につっこむには遅すぎるので、本日はここまでとし、ブロックを積んで幕営する。テントを張り終えてしばらくして、ようやく後続パーティが追いついてきた。はりま山岳会のパーティだった。われわれが3日かかったところをわずか2日で来たという。明日は彼らにラッセルしてもらおう。4人もいるから、ラッセルも早いだろう。

 彼らは6時半に出発した。早く出発してもすぐに追いつくだけなので、のんびりと朝支度をする。7時半にようやく出発。トレースがあるとなんて楽なんだろう。何も考える必要もなく、ただただトレースのあとを追う。P1P2をわけもなく越えると、すぐ向こうで彼らがラッセルしているのが見えた。今日ぐらいは楽をさせてもらおうと、彼らが進むまでゆっくり休む。昨日までのあの過酷な状況がうそのようだ。少しいっては休み、また少し行っては休みする。すっかり緊張感がなくなる。全く別の山にいるような錯覚にとらわれる。天気が悪化してきた。稜線に出る手前で追いつき、追い越す。どこで稜線に出たのか確認できなかったが、とにかくすごい風だ。視界も狭い。たまらずゴーグルをつける。この風のおかげで雪が少ないのだから、ありがたい。地図・コンパスとにらめっこしながらすすむ。2674メートルからぐっと下り、小ピークを巻く。道は雪でさえぎられていたので、右手から回り込むべく雪の斜面を下降する。ここで下降しすぎてしまい、道を見失った。あたりは真っ白。左手にうっすらと稜線らしきものがみえるが、ぐんぐん下っているようだ。実はここは尾根の分岐点で、われわれは支尾根に入り込んでしまっていた。支尾根を登り返して、尾根の向こうに道があるはずだと確信して偵察にいく。果たして道がみつかった。ここで岡田くんと停滞するか、前進するかで激しく意見が対立した。僕は、行ける時に行っておかねばならないと主張し、彼の意見に耳を貸さず、荷物を持って登り始めた。彼もおそらく不承不承ながらついて来た。確かに激しい風だったが、地面が見えるので完全なホワイトアウトではない。10年前の白馬のことを思い浮かべながら、いささか楽しみを感じさえしていた。あのときに比べれば、随分ましである。いつのまにか、はりま山岳会に抜かれていた。ぬきつぬかれつしながら、千丈沢乗越に到着する。そこは別世界だった。大勢の人。完璧なトレール。もはや何の心配もいらないし、ルートに頭を悩ますこともなかった。ただひたすら、トレールをたどって下降する。1時間ほどで槍沢。さらに30分で滝谷避難小屋についた。まだ3時前であったが、本日はこれまでとする。すでに先客が2人いた。紅茶を作ってゆっくりしようと思っていたが、岡田君はすぐに夕食が食べたいとのことで、夕食の準備にかかる。今日はα米を1人1袋。カレーもこれまで2人で食べていたものを1人でたべることにした。3時半に食べ始める。連日カレーだったうえに、最後にコッフェル一杯のカレー。さすがにうんざりした。それからはすることもなく、寝袋にくるまって時間がたつのをひたすら待つ。穂高パーティとの交信時間が7時10分だったので、それまでおきていなければならないのが苦痛だった。彼らは大丈夫だろうか。交信できれば、明日は穂高へ登ろうと決めていたが、交信できなかった。あきらめて寝る。

6時起床。7時40分出発。小雪がまっているが、青空がみえる。これなら穂高パーティも大丈夫だろう。新穂高まで一気に下る。9時18分着。バスは8分前に出たばかりで、次のバスは10時40分だった。バス停に立っていると、タクシーの運ちゃんが近寄ってきた。松本から来た人で、これから松本へ帰るから平湯までバス料金で送ってやろうという。ここより平湯で待った方が快適だというのだ。確かにそうなので、タクシーに乗り込んだ。乗り込んでから、ひょっとしたら、タクシーがバスを抜かすかもしれないということに気づいた。そして実際そうなり、われわれは首尾よくバスに乗ることができた。高山には11時半に着いた。高山で昼飯を食べ、(僕だけ)温泉に入り、特急と快速を乗り継いで帰京。

下山の判断は、結果的に正解だった。強い寒気が猛威を振るい、とくに日本海側では記録的な豪雪をもたらした。多くの登山者が閉じ込められ、突風や雪崩による被害も相次いだ。久々の縦走で、いろいろ気づいたことがあった。共同食糧が多かったことがまず一つ。事前に計画を話し合う時間がほとんどなかったことと、最近安楽山行に慣れきっていたことが原因。予備日を含め8日の日程でα米を8袋は多すぎた。予備日はラーメンでよかったし、しかもラーメンは2人1日で棒ラーメン1袋でよかった。このことは電車に乗ってから気づいた。こうすれば400グラムは減らせた。ペミカンも多かった。逆にいうとたっぷり食べられてよかったのだが。ペミカンというのは、やはり他の食材に比べると重すぎるように思う。もし持っていくとしても毎日食べる必要はなく、日程の厳しいとき、山行の前半にすればよいのではないか。カレーとラーメンで8日間というのはストイックで軽いような気がするが実際はそうではなかった。軽くておいしい献立を考える時間があればよかった。そうすれば味にバラエティーもでて、軽くて豊かな食生活が楽しめたことだろう。量の問題。今回の食事は決して多かったとはいえないが、それでも十分であった。いつも合宿では腹いっぱいになってもまだ余って、無理して腹に詰め込む光景をよく見かけるし、最近そんなのばかりなのであたりまえのように思っていたが、果たしてそれでいいのかという気がしてきた。食事は合宿の楽しみではあるが、量の問題ではない。量が多いのは結構だが、それは軽さとの兼ね合いである。合宿参加者に体力がない人が多いのは事実だから、共同食糧は最低限にして、各個人で不足分をカバーすべきではないか。これはあくまで「合宿」とか厳しい山行についての話で、普段の山行はこの限りではない。グルメ山行なんかはどんどんやってしかるべきだとは思うが、合宿をグルメ山行にしてはよくないだろう。なにがいいたいかというと、冬山=ペミカンというのは単純に受け入れるべき図式ではなく、よくよく考えねばならないということだ。僕はシャリばてするので、食糧は多めに持っていかないと不安だが、今回あれだけ運動してあれだけの食糧で耐え切れたということは一つの目安になったし自信になったと思う。

 

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