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2007 夏合宿 あ〜、そういうもんじゃ隊の軌跡

文珠沢〜大白沢池〜アサユウ沢

メンバー T嶋、I野、H内、S木

2002年夏、山に入って3日目、オミキスズ沢を下って楢俣川にでた僕は、満身創痍のメンバーを見て悲しい決断を下さねばならなかった。「なんじゃもんじゅアタック隊」はそこから目的地の大白沢池に背を向けて楢俣川を下っていった。計画自体に無理があったのは事実だが、それでも2日目の夕方まではまだ目的地に行ける見込みがあった。その日もまた夕立が襲った。おりしも核心部の巻きの途中、ルンゼの中にいた僕らは、降り掛る水圧に堪えきれず、巻きを中断して本流に戻り、減水を待った。この数時間が大きく響き、結果として先ほどの決断に至る要因の一つとなった。

 5年後、再び大白沢池を目指す機会が訪れた。当時、大白沢池を目指した3パーティの仲間は、ほとんどいない。辛うじて残った僕も、この5年間というのは子どもの誕生、怪我、病気、増え続ける仕事などのため、山に関してはまったく不遇で見るべき成果もなかった。今回こういう形で機会が訪れたのはまさに千載一遇であった。

文珠沢からアサユウ沢を目指す「あ〜、そういうもんじゃ隊」と、アサユウ沢から楢俣川を下降する「朝夕なら又あい隊」の2パーティは、大白沢池での再会を約して京都駅を出発した。

 

8月16日

 水上ICをおりて、懐かしい風景をみながら車のデポ地である奈良俣ダムに着いたのは4時半すぎ、もうあたりはすっかり白んでいた。7時半まで仮眠をし、出発の準備を始める。9時にタクシーが迎えに来るはずだったが、予定より早く来てくれた。連日の猛暑で、この日もどこぞで40.9度という最高記録を塗り替えたという暑い日だったが、利根川上流は暗い雲で覆われていた。北にある前線の影響らしい。9時15分、奥利根湖に到着し、ボートを待つ。9時半ちょうどに奥利根マリンの高柳さんがやってきた。このボートに乗るのは2回目。2002年のときは無賃乗船させてもらったが、ボート代がかくも高いとは今回初めて知った。水長沢までは約9km、ボートでも30分かかる。前回泳いだ東千ヶ倉沢から割沢のあたりを過ぎる時、懐かしさがこみ上げてきた。あのときよりダムの水は多いように感じられる。水長沢出合の少し手前でボートを下りる。ボートが帰って行く。いきなり文明の世界から自然のなかに放り込まれたかのような錯覚を覚える。エンジンの轟音に慣れてしまった耳に、沢や虫の音はなんだかひどく寂しく聞こえる。ここで支度をすませ、10時半に出発した。しばらくは広く明るい利根川本流をのぼる。ダム湖のぬるんだ水とは違い、清冽な水はほてった体には気持ちいい。10分ほどで水長沢出合。意外と小さい印象だ。1時間ほど歩いて休憩する。無理矢理水につかったものの、睡眠不足からまだ体がだるい。今日はどこまで行くか決めていなかったが、早めに切り上げることにした。やがて待望の淵があらわれ、嬉々として泳ぐ。1時前、滝となって落ちてくる魚止沢を横切る。この先で沢は鋭角に曲がり、ゴルジュ帯に入る。魚止め滝は左岸をまく。懸垂一回で本流に戻る。そこから何度か泳ぎをまじえつつ快適に溯行し、1時間足らずで文珠沢出合に着いた。まだ3時前だが、一つには夜行明けであること、一つにはこの先ゴルジュで当分いいテントサイトがなさそうなことからここで泊まることにする。まずまず平坦で薪も多く、快適だった。のちに知ったことだが、ここはかつて鉱山小屋があったらしい。また文珠沢を少し登った左手に洞穴があり、文珠さまでも鎮座していたのかとその時は話していたのだが、実は火薬庫のあとだという。半世紀前の鉱山師の夢のあとというわけだ。夕食はH内さんが準備した牛丼。肉は500gあるといい、食べ応え十分だった。炊事はほとんどたき火ですませ、ガスを節約することができた。明るいうちに食べ終わり、のんびりする。暗くなるまで寝ないでおこうとがんばるが、S木くんは寝入ってしまった。夕暮れあたりからブヨが増えてきたが、この時期にこの山域に居るのだから多少は我慢しなければならない。とはいえ、防虫ネットを持ってくればよかったと後悔する。I野さんの顔とS木くんの腕は翌朝すごいことになっていた。

 

8月17日

 シュラフはなかったが暖かく眠れた。いつものように一足先に起きて米を炊く。天気は微妙だ。文珠沢に入ってすぐに大滝が立ちはだかる。これは直登できず、右岸の尾根を巻く。結局尾根の上まで巻き上がる。裏には水長沢がまるで手に取るほど近くを流れているのが見える。尾根上をしばらくいき、傾斜がきつくなる手前あたりから下降を始める。懸垂をすることもなく、絶妙なラインどりで河床に下り立った。その後はV字谷のゴルジュが続くが、溯行する上で問題となるようなところはない。一箇所だけ雪のブロックが残っていた。昨日は30度以上あったのに、今日の気温は10度代、おまけに水は冷たく、じっとしているとかなり寒い。泳ぐようなところはないが、腰くらいまでは何度かつかった。地形図にある文珠の滝は存在せず、いささか拍子抜けの感じで東の沢出合につく。東の沢は入ってすぐのところに滝があるが、この滝はまるで尾根の上から落ちてくるかのようで、不思議な感じだ。昼ご飯は湿原でと考えていたが、意外と時間がかかる。やがてナメが現われ、沢が蛇行を始めた。水芭蕉があり、湿原が近いことを思わせる。沢は湿原をまわりこむように流れているため、はやく湿原に上がろうと笹やぶをかき分けていたとき、どさーっという音がした。熊がいたのだ。湿原はすぐにみつかった。思っていたよりは小さく、しかも乾燥していて、湿原というよりは草原という感じだ。これには正直いってがっかりした。ここで大休止するつもりだったが、さらに100m上がった所にある湿原まで行くことにした。こちらは池マークがあって、より湿原らしそうだったからだ。湿原の端は熊が踏み散らしたあとがあり、熊の寝床や糞もあった。こんなところで暮らせる熊は幸せだなあ、とちょっとうらやましくなる。鈴がないので、笛を吹きつつ、小沢をのぼる。H内さんが適当なところから左手の笹やぶに入り、見事に湿原に出た。こちらは水も豊かで湿原らしい。お茶を沸かして休憩する。虫が若干うるさいが、山上の別天地にあまり文句は言えない。ここからみるススヶ峰はかなり急峻な印象を与えるが、あの山かげに広大な湿原が控えているかと思うと、なんだか不思議な気がする。2001年秋にススヶ原を目指して楢俣川を登ったことがあるのだが、沢に不慣れなメンバーがいたために到達できなかった。是非いつかは行ってみたい場所である。湿原はヤブに囲まれているため、どこへ行くにしてもヤブにつっこまねばならない。この隔絶感が湿原を桃源郷たらしめているわけだが、逆にそれゆえにいつまでも陶酔していられない。じゃんけんで負けたH内さんを先頭に稜線へ向けてヤブをこぎはじめる。最初のうちこそ沢状に沿って比較的楽に高度を稼げたが、稜線に近づくにつれひどいササやぶとなる。150m登るのに半時間あまりを要した。しかし稜線に出たからといって楽になるわけではない。傾斜は緩やかになるが、ヤブこぎは果てしなく続く。それでも1911mピークまでは順調にいったが、そのあとが難渋を極めた。ガスが出て視界がほとんどなくなったからである。1911mピークのあと、北北東に進路をとり、県境付近で南東にふり、大白沢山とのコルに下りるのだが、このあたりは地形が緩やかでかつ複雑で、下手をするととんでもない方向にいってしまう。尾根は広く、尾根の上をたどることすら困難であった。雨具は今夜のことを考えて着ることができない。寒さで歯がかみ合わない。おなかもすいたが、場所の確認ができるまではゆっくり休む気すら起こらない。日暮れが近づいている。暗くなるまでに何とかしなければならない。3時半の交信で朝夕なら又あい隊がまもなく池に到達することを知る。こちらの声はなぜか聞こえないようだ。2回の軌道修正を経て、なんとかコルを発見し、池にむかって下降する。一瞬ガスが開け、池が見えた。白いガスのあい間にぽっかりと浮かび上がった大白沢池は、まるで黒真珠のようなしぶい魅惑的な輝きを放っていた。大きな声を上げると向こうから返事が聞こえる。池の端に朝夕・・・隊の3人が立っているのが見えた。4時半、ササやぶをすべるように下りて池のほとりにでた。それは本当に感動的な出合いだった。池は思った以上に大きく、思った以上にきれいだった。ここでも虫には悩まされたが、それを補ってあまりある美しさだった。合流後、7人でタープを張り、ツェルトをセットする。その間の寒さは尋常ではなかった。S口さんの巨大タープは7人が入っても十分な大きさだ。乾いた服に着替えると、体も温まり、心にもゆとりができる。各パーティでそれぞれ炊事をして、お互いの食べ物をつまんだ。水は池のを使うが、わかせば問題ない。その晩はさぞかし寒かろうと思って覚悟していたが、思ったほどでもなかった。

 

8月18日

 雨は夜通し断続的に降っていたが、朝には止んでいた。全員で記念撮影をして別れる。本当にまた会えるだろうか。楽しみでもあり不安でもある。昨日僕らが滑り降りてきたササやぶに朝夕・・・隊の3人が消えていくのを見送ってから、下降を開始した。最初のうち沢は蛇行するが、やがて顕著な沢形になる。1時間ほど下ったところで滝に出くわす。大岩に直接ロープをかけて懸垂するが、当然ながら回収できない。最後に下る僕は岩穴にスリングを通して、支点をセットし直し、懸垂した。なんかまだ勘が戻っていない。こんな早くにスリングを残置してこのあと大丈夫かと心配になる。今回は楽しみを増やすため敢えて溯行図を持ってきていないから、計算ができない。10時15分、1495mの分岐で一服する。ときおり懸垂も交えながら、快調に沢を下る。そしていよいよ核心となるゴルジュの高巻きに入る。斜面は急だが、ヤブは疎らであっさりと稜線に出る。稜線上は両側が切れ落ちているが、稜線自体は傾斜はない。巨木が林立して荘厳な風景である。両側の沢は深すぎて見ることはかなわない。朝夕・・・隊はキノクラ沢に100mくらい入ったところから巻いたということなので、キノクラ沢へ向けて下りるよう心掛けたつもりだったが、急峻な斜面の行きやすそうな所を選って下りているうちにアサユウ沢のほうに入ってしまった。気づいたときは手遅れだった。いや、気力があれば登り返すことも可能ではあったが、対岸の様子からゴルジュにつっこんでもなんとかなるだろうと下降を続けた。連続懸垂になるかもしれないと危惧したものの、ヤブを伝ってぐんぐん下りれた。最後に一回の懸垂でアサユウ沢に下り立った。時間は1時半。巻く前は順調にいけば荒山沢まで行けると淡い期待を抱いていたが、この先もどうなるかわからないので、キノクラ沢止まりと観念した。ゴルジュのまっただ中におりただけあって、幾ばくもいかないうちに滝に出くわした。狭い岩溝に水が集中して、みるからに大変そうだ。I野さんが下り始めるが、すぐに戻ってきた。そのI野さんが残置ハーケンをみつけ、それをありがたく使わせていただく。同じようなことをする人がいたんだ。I野さんは最初のトライでちょっと怖じ気づき、僕が様子見がてら下りる。釜が意外と浅くて助かった。そこから一泳ぎして下降を再開するがすぐまた滝で行き詰まる。滝をまきながら様子を窺うと、まだ悪場が続きそうなので、そのまま大きく巻くことにした。といっても先ほどの巻きに比べれば何でもなく、すぐに尾根を越えてキノクラ沢側に出ることができた。懸垂一回でキノクラ沢に下りる。3時だった。アサユウ沢の出合にかかる滝は猛烈な勢いで水をはき出していた。あの水に堪えて懸垂したのかと思うと、すこし身が震える。二股を少し下ったところに、朝夕・・・隊の情報通り、すばらしいテン場があった。H内さんが倒木の下にある乾いた木の枝をとってきて、執念でたき火をつけた。S木くんのズボンはボロボロでパンツがみえる状態だ。よくもこれでヤブをこいできたものだ。砂のうえで、暖かく快適な夜を過ごす。(虫もいなかった)

 

8月19日

最終日、空には晴れ間ものぞく。もう核心を越えているので、あとは流れに身を任せて下るだけだ。いつもより少し早く7時半に出発する。沢は非常に美しく、ナメ、釜、滝、どれもいい感じだ。泳いだり、滑ったり、飛び込んだりしながら沢を下る。もうすこし気温が高ければ、もっと攻撃的に下れたのだが・・・。10時15分、荒山沢出合に到着。昼までには下りれそうだ。ここで釣り師と遭遇。沢は一挙に広がり、沢下りというよりは河原下りといった感じだ。平ヶ岳への登山道がついている尾根は岩っぽくておもしろそうだ。地形図上の不動滝は存在しなかった。右岸に踏みあとがあるとのことなので、探しながら行くがなかなか見あたらない。そのうち魚止沢出合まで来てしまう。しばらく下ったところで、右岸のヤブにつっこんでみると、踏みあとを発見、そこからぐんぐんスピードを上げて、あっという間に只見川に至る。名物の籠渡しで対岸に渡り、12時半にS口号を発見、こうしてようやく4日間にわたる山行を終えた。朝夕・・・隊はもう下山しているはずなので、早く連絡をつけねばならない。S口号に乗り込んで小出へ向かう。銀山平で温泉に入るが、なんとキャンプ場のお風呂で雰囲気もなくがっかり。小出に出る途中で携帯がつながるようになったが、どうやらまだ下山していないようだ。我々はゆっくりご飯を食べることにしたが、いつの間にか小出の町を通り越してしまった。17号線を下るが、なかなかいいところがなく、ついに浦佐まで来てしまった。ここでゆっくりご飯を食べたが、それでも連絡がない。ひょっとしたら事故でも起こったのかと心配する。することもないので、湯沢へ向けて車を走らせていると、5時半ころようやく電話がかかってきた。楢俣川で遊びすぎて遅くなったという。やれやれ、でもまあ無事で何よりだった。7時に水上の道の駅で合流し、車を入れ替えて帰京した。走っている途中に花火をみれたのはよかったが、その直後の雷雨は相当すごくて神経がすり減った。

 

今回は晴れこそしなかったものの、溯行を中断しなければならないような悪天にもならず、順調に山行を終えることができた。何よりも、これまで一度たりとも成功したことのなかった合流山行に成功したことは、非常に喜ばしい。文珠沢は結果的にはそれほど難しい沢ではなかった。(きれいな沢でもなかった)何がよかったかといえば、山深さ(ひと気のなさ)と湿原を挙げられるくらいで、沢自体でいえば、アサユウ沢のほうが(ひと気はあったが)きれいだったし、難しかった。核心は稜線でのヤブ漕ぎ&読図とゴルジュの巻きで、体力的にもなかなかきつかった気がする。技術的には確かに物足りない点があるが、どっぷり山につかって、念願の大白沢池で一夜を明かせたことはよい想い出となった。同行の3人、および朝夕・・・隊に感謝したい。

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甲川

メンバー T嶋、F沢、I野

9/14

金曜日。悪天の予報のため、オツルミズ沢が中止となった。普段であれば、代替プランを考えているのだが、今回はオツルミズに向けて気合いが入っていたので、他の沢のことを考えることができなかった。週末はおとなしく仕事でもするかなと思って仕事をしていると、電話がかかってきた。どうしても山に行くことをあきらめられないI野さんからだった。甲川に行こうという誘いだった。本当は乗り気ではなかったが、「押し」に負けたとしかいいようがない。計画書作成はI野さんに任せた。仕事が終って、あわてて準備をする。地図に水線を引くが、庄司の滝付近がどうもおかしい。庄司の滝と峠にでる本流とがつながらないのだ。その部分は空白にしておいた。『登山大系』の溯行図もかなりいい加減で、地形図と対照させることができない。とはいえゆっくり調べている時間もないから、この問題はそれ以上考えることなく、いそいで家を出た。最近、遠いところばかりいってたので、大山は近く感じた。大山国際スキー場の西の川床で仮眠した。

9/15

天気は今一つよくない。台風の影響だろうか、生暖かい風が吹きつける。下山口である川床に自転車をデポし、入渓点の鶯橋へ向かう。橋に車が1台とまっていて、4人パーティが出発の準備をしていた。我々はここで荷分けをし、8時すぎに橋のたもとから入渓する。水量は平水だ。入渓後20分ほどで最初の滝が現われた。ここで先行パーティにおいつく。滝を越えたところで休憩でもしているのかと思ったが、どうやら先にロープを伸ばしているようだった。しばらく待って、滝にとりつく。ショルダーで難なくこえると、蝶型の釜がある(とはいえ、どこが蝶の形なのかよくわからなかった)。ここは福澤さんのリードで釜を泳ぎ、滝にとりつく。滝の右壁に残置スリングがあったが、これを使わない方がうまく登れたようだ。先行パーティのあとをついて溯行していくと、右岸から支流が見事な滝となって落ちてくる所で、再びロープが必要とのことで待つ。淵の奥に小滝があり、それを越えるのに苦労している。あまり慣れない人たちなのか、荷物の引き上げ等にもたついていた。最後の人が小滝にとりついた頃、今度は僕がトップで泳いでいく。先行パーティは2人がかりで滝の左から越えたが、滝の右からスカイフックの人工で簡単に抜けることができた。その後も泳いだり飛び込んだりしながら登っていくと、どうやら下の廊下の入口らしく、先行パーティが止まっている。すこし時間がかかりそうなので休憩することにした。とはいえ全身ずぶ濡れで、陽も射さず、あまり快適な休憩ではない。そろそろ登った頃だろうと歩き出すと、なんとまだ岩陰にいるではないか!しかもトップがスタートしたばかりだった。1時間ほど待 ち、ようやく最後の人が滝の影に消えた。福澤さんリードで滝にとりつく。滝の上にさらに1ピッチあるらしく、福澤さんは上についたものの後続はまた待たされる。ようやくOKが出て動き出すが、すっかり冷え切った体で泳ぐのは辛い。5mほどの斜瀑で、先行パーティは2人ほど滑落していたが、なんということはなかった。その上はさらにゴルジュが続いており、右岸から人工でバンドにあがり、懸垂下降する。これで下廊下は終わりだ。

沢の核心である上廊下でまた待たされてはたまらない。先行パーティを抜かすべく、歩調を速める。福澤さんの話によると、最初の滝を越えた後に、先に行って下さいといわれたそうだ。ようやく先行パーティに追いつき、追い抜く。抜いたら抜いたで、我々が休憩するときにまた抜かれては大変と、休憩一回分くらいの距離は稼いでおかねばならないと、急ぎ足を続けた。中廊下は何の印象もなく通り過ぎる。上廊下までは意外に長かった。沢は穏やかで、険谷とは思えない。甲川は難しそうなイメージがあるけれど、それはほんの一部だけのようである。目の前に二股が現われて、ハタと気がついた。地図を見てない。高度計も合わせてない!地図をにらんでいると、左へ行くのが正解な気がするが、水量からすれば右がどうみても本流だ。一旦右に行きかけるが、左だろうと、左を登る。しばらく登って、やっぱりこれではおかしいと二股に戻り、右に入る。すぐにゴルジュ状となり、上廊下が始まった。

4年前に甲川を登っている福澤さんによると、どうも最初に出くわした滝は核心とは違うようだという。核心の滝はもっと大きいらしい。それならと核心は福澤さんに譲って、ここは行かせてもらおうことに。アブミのかけかえで釜を半周するのだが、岩を回り込んで唖然!そこには大量の残置スリングがまるで鯉のぼりのように並んでいる。興ざめすること甚だしいが、せっかくあるものだから使わせていただく。次のピッチは釜を泳いで滝の左を登る。このあたりの水流は強そうだったが、福澤さんがなんなくクリアして、岩にとりつく。ここも残置スリングが洗濯物のように垂れ下がっている。福澤さんはなかなか進まない。なんでアブミを掛けないの・・・と思ってみていたが、後で聞いてみるとフリーの可能性を探っていたらしい。結局、この2ピッチが核心部分だった。あの残置はちょっと・・・というのが感想。もういい時間になっていた。まだゴルジュは続いたが、通過に困難なところはない。ちょっと嫌らしいところには、ご丁寧にハーケンがあって、スリングがかけてある。沢のよさを味わうより、残置の多さにがっかりした。

全身濡れてテント場にたどり着いた。今晩はさぞかし寒かろうと覚悟するが、台風の影響による生暖かい風のおかげで、夜は少しも寒くなかった。

9/16

なんと7時まで寝ていた。沢でこんなに寝坊したのは初めてだ。といってもこの日はもう核心もこえて稜線に出るだけ、なんとか天気が悪くならないうちに下りられればそれでよし、と思っていた。歩き初めてすぐに堰堤があらわれる。トポにはなかったので、驚き、あきれる。この巻きが思ったより大変だった。なおも現在地がわからないまま進んでいくと、釣りらしき2人連れに出会った。今朝、林道から道を歩いてここに出てきたらしい。そんな道があるのか!地図上でどこから道がついているのか教えてもらう。彼らのいうところによれば、そこは二股の手前だった。ここには何度も来ているようで、すっかり信じ込んでしまったのが運の尽きだった。実際、すぐに二股になった。先頭を歩いていた福澤さんは気づかなかった。というのも左は水のないガレ沢だったからだ。ふむふむこれが790mの分岐か。本流は左だが、右を詰めて早めに登山道に出るのもよさそうだ。もしここが790m分岐でないにしても、ともかく右にいくほうが早く下りられる。どちらにいくべきか、決めかね、じゃんけんをすることになった。福澤さんが勝って、右ということになったが、稲野さんが庄司の滝を越えていきたいようなことを言うので、それなら左へいこうと決まった。しばらくガレが続き、やがて水がでてきた。かなりの傾斜で登っている。なんだかおかしい。休憩することにして、地形を確かめるが、どうもおかしい。やはり本流は右で、我々は840mの二股に居たようだ(このことはあとで調べてわかったことで、当時はまだ現在地がきっちり把握できていなかった)。このまま稜線までつめてもよかったが、稜線直下がかなり急なので、いちど二股まで戻り、本流をつめる。すぐに庄司の滝が現われる。四方を泥壁に囲まれた印象的な滝だ。すこし戻って左岸から巻く。滝のうえも泥壁がたっていて沢身に降りれず、結局ずっと巻き続けた。赤布のある道をたどって沢におりた。庄司の滝付近もなんだか地図と地形があわない。まあ、もうあとは沢を詰めるだけだ。早く右に出れば、それだけ早く登山道に出るのだが、どれもこれもヤブっぽそうで、本流をたどっていくうちに、1300mの稜線までつめあがってしまった。大休峠は1100mなので、200mも余計に登ってしまったことになる。最後の登りはきつかった。雨も本降りになってきた。昔の峠道ゆえか、大休峠から石畳みの道が続く。アップダウンがないので、ぐんぐん距離を稼げた。1時間弱で川床に着く。ここから入渓点までのサイクリングは最高だった。ほとんど漕がなくていいうえに、直線が多いので速い、速い。あっという間に入渓点についた。

今回は、地図をきちんと見れなかったこと、大いに反省しなければならない。これにはいろいろな要因が重なっていた。行き先が直前になって決まったこと、溯行図が不完全で、地形図にもおかしな点があったこと、先行パーティとの先陣争いに気をとられたこと、等。さらに些細なことではあるが、今回はじめてリストバンドを使ったが、コンパス&高度計つきの時計のうえにリストバンドをしたがために、ついつい見るのがおっくうになったことも挙げられる。甲川自体は、さしてきれいな沢ではなかった。源流部のブナ林も、雨風のため味わうゆとりもなかった。まあ、一度いけば十分か、というくらい。残置の多さには本当にがっかりした。たえずオツルミズのことが頭にあったせいか、甲川にはいい印象をもてなかったが、これはちょっと酷かもしれない。

 

黒部 森石谷

メンバー T嶋、N村、I野、N澤、F上

9/28(金)

京都駅22:45→

9/29(土)

→宇奈月ダム駐車場3:30-6:15→森石駅7:05→森石谷7:25発→ゴルジュ最後の滝上9:20→3m滝(巻き&懸垂)上10:55→二俣14:00(泊)

9/30(日)

泊地7:20→分水嶺手前9:10→1231m北のコル11:35→弥太蔵沢13:15→宇奈月ダム駐車場15:00

 

 2002年に黒部で夏合宿をする際に購入した志水哲也『黒部へ』のなかに気になる沢があった。森石谷である。志水はこう記す。「僕は記録することも、写真を撮ることも忘れて、ただ、ひたすらに際どいボルダリングを繰り返した・・・。」

 今回ようやくこの森石谷を訪れる機会に恵まれた。志水氏は森石駅まで徒歩でいったが、我々はトロッコに乗るつもりだった。ところが出発日にトロッコの始発時間を調べるうちに、トロッコは森石駅には止まらないことが判明した。あわてて計画を変更し、我々も徒歩で森石駅へ向かうことにした。出発当日、飲み会の開始が予想以上に遅れたため、家に戻ったのは午後9時過ぎ。それから準備をして、お風呂に入って、なんとか10時すぎに家を出る。宇奈月駅前の警察で計画書を提出(建物にはいるとベルがなり、警官がわざわざ起きてきてくれた)、宇奈月ダムの駐車場で仮眠する。わずか1時間半の仮眠しかできなかった。

 

 5時すぎ起床。朝食、荷分けを済ませて6時すぎに出発。始発電車は7時半である。駐車場の奥、「立入禁止」の看板がある小道を伝い、トンネルを抜けると線路に出る。ここにも「立入禁止」の看板。本当は電車を使わせてもらいたいのだが、森石でおろしてもらうよう交渉して失敗すれば計画はおじゃんになるので、仕方なく鉄道敷地内を歩かせてもらう。2002年の正月合宿でサンナビキ山の東面にアタックしたとき、重い荷物をもって一人延々とトンネルを歩き続けた記憶がよみがえる。冬の重苦しい雰囲気とはうってかわって、この時期の線路歩きは気持ちいい。あと1キロほどで森石駅という頃、後ろからなにかブーンという鈍く低い音が聞こえてくる。まさかこんな時間に電車がくるはずはあるまい、と思っていたが明らかに何かが近づいてくる。やがてトンネルに入ろうとする頃、紛れもなく何かがやってきた。一番後ろの僕は、「来た!」と声をかけ、たまたま真横にあった冬季用トンネルに駆け込んだ。前を歩いていた4人も大急ぎで戻り冬季用トンネルに駆け込んだ。間一髪で電車を避けることができた。トンネル内は狭く、電車を避けるのは難しい。またもし見つかった場合、連れ戻される可能性もあった。今回の核心といえる出来事だった。この電車は1両だったかもう1両つないでいたかわからなかったが、電車の運行前に点検をする車両らしい。そこから森石まではどきどきしながら歩いた。7時すぎ、森石駅に到着。駅の前方にある鉄橋を渡るとトンネルの手前に森石谷へ下りる道がついている。道は堰堤まで続いており、そこで沢支度を調えた。

 当初の予想では鋭いV字谷に小滝がつまり、テン場など皆無かと考えていたが、我々の前に姿を見せた沢はごく平凡な沢であった。最悪の場合、一人ひとり岩のうえでビバークするという想定までしていたので、やや拍子抜けした。最初は人工物が目に付いた。滝にはハシゴがついている。ついで引湯管をわたす巨大なアーチが現われた。V字谷に忽然と現われたコンクリート製のアーチは、実に不思議な感じを抱かせる。その後は人工物はハタとなくなり、本来の黒部の沢を満喫できた。滝はどれも一癖あり、簡単には越えさせてくれない。水は冷たく、気温も高くはないが、胸まで浸かることが度々だ。N村、N沢の果敢なリードで難関を次々と突破していく。ゴルジュが曲がった直後の淵をしたがえた2条の滝、N沢くんが挑むも跳ね返され、右岸を巻くことになる。懸垂用の残置があったが、これを使わない方がよかった。ここまでほとんど距離を稼いでいないのに2時間も費やした。このペースで行くと、2日で抜けられないかもしれないと少し心配になる。幸い、そのあと谷は開け、明るい河原が続く。小さいゴルジュや嫌らしい滝もあるにはあったが、快調に進むことができた。N村くんは嬉々として水に浸かり滝を越えていくが、他の人には寒くて真似ることができない。あっけにとられるばかりだった。二俣手前まで延々と小滝がつづき、登攀に興じる。左岸から支流がすだれの如く滝となって流れこむ様が見事だ。もっとも困難だった滝は、N沢くんが空身で左から巻いた。2時前、突然大滝が出現。トポには小滝しか載っていないので驚く。といっても巻きは困難ではない。左岸を巻いていくと、行く手は二俣になっていた。ここから上はテン場はなさそうだ。F上、N沢の2人がすぐ上の分岐まで偵察にいくが、結局時間的には早かったが下の二俣で泊まることにする。昨夜の雨で木は濡れていたが、たき火はよく燃えた。今晩のメニューは米+各自レトルトという味気ないものだった。まだ明るいうちに食事を済ませた。僕は寝不足だったせいで、12時間寝た。

 

6時すぎ、N沢くんの声で起きる。12時間寝たのにまだ眠い。空はどんよりして時折小雨がぱらつく。F上くんの雑炊は予想以上に豪華で驚いた。ウインナー、牛肉、チーズ、キムチが入っていた。7時過ぎに出発、沢はさらに2回わかれて水量は急に減少し、もはや源流の様子。稜線まで400m弱を駆け上るばかりだ。しかし結構いやらしい小滝もあって、そこそこ楽しめる。ブナ林が美しい。高度が上がると向かいの瘤杉山のさらに向こうに重々と連なる山やまが見えてくる。猫又山だろうか。2002年の夏合宿を思い出す。あの頂上では至福のひとときを過ごした。ガスがわき上がり、雨が本降りになってきた。最後はずるずるの急斜面を登って稜線に出た。ちょうど10時だった。(なお志水氏は森石駅からここまで8時間を要している)時間があれば、すぐ向こうの沢を下りるつもりだったが、稜線直下の「ずるずる」と、本格的になった雨のことを思うと、最小限の労力で下りられるルートを考えざるをえない。志水氏は1231mピークまで稜線を伝い、そこから北、ついで東に振る尾根を下りた模様である。我々にはそのルートをたどるか、森石山経由で尾根を下りるか、途中から沢に下りるか、様々な選択肢があったが、ひとまず稜線を歩いて様子をみることにした。N村くんがまたもや嬉しそうに先頭にたってヤブをこぐ。幸いなことにヤブはそれほどひどくはなかったが、寒くて消耗する。1231mピークまでわずかな距離であったが、1時間近くを要した。そこから森石山へは行かず、北に進路をとり、尾根の屈曲点まで歩く。このあたりはヤブはなく、すいすい歩くことができ、あっという間に屈曲点につく。さっきまでの稜線歩きがまるでウソのようだ。屈曲点からは西北西方向に沢が下りている。この沢はさほどきつくはなく、かつ傾斜が一定で、下りには適しているように思われた。おまけに距離的にもかなり短縮できる。ただ情報がなかったのと、尾根が歩きやすくなってきたこともあり、そのまま尾根を下るのも安全な選択に思われた。まあどちらでもよかったのだが、I野さんとN沢くんの強い希望で沢を下降することにした。幸いにも沢形が浅いせいかずいぶん下まで水が現われなかったし、急峻なところもなかった。一気に500m高度を下げたが、かなりくたびれた。休憩を交えて1時間ちょっとで森石山からの沢に出る。この沢もガレ沢でなんら問題はなかった。そこから標高で300m弱くだり弥太蔵谷に出会う。情報に依ればこの谷の右岸に水平道なるものがあるはずだが、探しても探しても見あたらない。あきらめて適当に歩き出すと、うっすらとした踏み跡がでてきた。これで安心と思いきや、この水平道はなかなか悪く、息を抜くことができない。尾根状の部分は道がしっかり残っているが、沢状の部分は雪のせいかことごとく道が壊れていた。水平道から見た弥太蔵谷のゴルジュは壮絶だった。いい加減疲れたころ、突然目の前に宇奈月の建物群が現われた。あまりに突然だったので、なにか夢をみているようだった。まだ頭が下界モードになっていなかった。実際、頭だけでなく、まだまわりは深い山であった。水平の道がおわり、杉林の急峻な尾根を転げるように下る。踏切の音、駅のアナウンスがはっきりと聞こえる。急に現実に引き戻されたような、また一方で、まるで別世界の出来事のような気がするから不思議である。トンネルの上から橋におり、長いトンネルを歩いていく。トンネルを抜け、トロッコの線路の横をあるくが、ちょうどトロッコが通り過ぎ、乗客たちのよい見世物になった。宇奈月ダムでもまた観光客にじろじろ見られ、なんだか自分たちが急に惨めになる。宮沢賢治の「なめとこ山の熊」の小十郎の気分である。とちの湯で汗を流し、魚津でうまい寿司をたべ、充実した気持ちで帰京した。2日目もなかなかハードで、森石谷の印象が薄らいだくらいである。沢を楽んだと言うよりは、黒部の山ぶかさをすこし味わったというのが正直な感想である。

*結局、特殊な登攀具は不要であった

 

飯豊 七滝沢

 

メンバー T嶋、I野、T村、Y田、山D、H岡

 10月5日(金)

京都駅23:05→

 10月6日(土)晴れ時々曇り

聖籠新発田IC5:30→内ノ倉ダム6:30-7:20→七滝沢出合8:10→5段100m滝下10:20→滝上11:20→第二連瀑帯下12:40→25m斜瀑14:20→20m斜瀑下15:00→同上16:00→三俣16:50(泊)

何度行っても新潟は遠い。刈羽からハンドルを握ってしばらくで空が明るんできた。あたりはもやの帯が広がり幻想的な雰囲気だ。出発地となる内ノ倉ダム奥についたのは6時半、仮眠をとろうか迷ったが、仮眠したとしてもせいぜい1時間くらいなので、そのまま準備をして出発することにした。目の前の大きな岩にはボルトが光っており、どうやらクライミングのゲレンデらしい。車から降りて0分の最高のゲレンデだ。橋のたもとの林道をたどること50分で七滝沢出合。大きな石がゴロゴロしている。紅葉を期待していたが、まだその気配はない。他に沢に入るパーティはいないようだ。

いよいよ沢に入る。連瀑帯までとりたてて記すべき事もないが、この寒さにもかかわらず果敢に水に入る山Dさんが印象的だった。あとで聞けばケービング用の保温性の高いつなぎの服を着ていたらしい。沢自体は気をつけさえすれば泳ぎもないし、腰以上浸かるところもない。連瀑帯が始まる。あるいは登れるかもと期待していたが、やはり無理だった。右から巻く。わりといい巻き道がついており、ぐんぐん登っていく。木々の切れ間からかいまみる連瀑はなかなか立派だ。ふと気づくと本沢との間に尾根が一本割り込んでいる。ずいぶん離れてしまったようだ。この道を登りすぎて引き返したという記録をI野さんが思い出し、一旦下る。本沢との間の尾根の末端上部より尾根にとりつく。ここにもわりあい顕著な道がついていた。休憩の後、溯行を続ける。ゴーロと小滝を越えていくと、再び連瀑帯に遭遇する。右岸を巻けそうだが、できるだけ滝を登ってみることにする。しかしそれほどたくさんは登れず、結局右岸に逃れ、巻く。いくらなんでもそろそろ連瀑は終っただろうと、途中から強引に沢に出るが、まだ滝は続いていた。後続にそのまま巻くよう指示し、沢まで下りてしまったI野さんと2人で滝を登る。しかしすぐに登攀不能な滝に阻まれ、再び右岸に巻き上がり、後続と合流し、巻き続ける。沢が近づいてきたので下りてみると、まだ滝があった。しかしこれは登れそうだ。ちょうど835m付近、左から支沢が流れ込むあたりだ。滝の上で休憩。

傾斜もずいぶん緩くなり、これで核心はほぼ終わりかと思っていたところ、また大きな滝があらわれた。右岸を大きく巻くのだが、かなり上まで行かねばならない様子だったので、滝のすぐ横、チョックストーンのある凹角を登ることにした。チョックストーンの下にはスリングがひとつぶら下がっていた。最初はみくびってロープもつけずに登ろうとしたが、結構いやらしい。後続のことを考え、ロープをつけて登った。チョックストーンから右上し、テラスでピッチを切る。ロープをフィックスして登ってもらったが、フォローがかなり手こずり、お助け紐を別にたらし、さらに荷揚げをしてようやくクリアした。6人が登り終えるまで1時間を要した。

日もかげり、そろそろ寝床を探さねばならない。地図からすれば、この先は傾斜もなく、テント場は至る所にあるかと予想されたが、思いがけずゴルジュなどが現われたりして、なかなか簡単には進ませてくれない。5時前、875m付近の三俣に絶好のテント場を見つけ、泊地とする。この付近にはあちこちに平坦な場所があり、分散すれば相当数のパーティが泊まれるのではないかと思われる。時間も遅かったが、薪も確保でき、先週とはちがってまともな食事を楽しんだ。(Xさんが予想通り米を忘れてきたので量的には少し物足りなかったが)

 

10月7日 晴れ

テント場8:25→残置ハーケンの滝10:50→二俣11:20→稜線直下の草原12:50→二王子山頂13:35-13:50→二王子神社16:00

昨夜、仮眠なしにもかかわらず10時すぎまで起きていたせいか、この日はかなり寝坊した(といっても起床時間を決めていたわけではないが)。結果、8時半という、沢としてはかなり遅い出発となってしまった。しかし今日は京都まで帰るわけではないので、いそぐ必要はない。このあたりまで来ると、木々はほんのりと黄色みをおび、沢はあでやかな彩りに包まれはじめる。天気もすばらしく、最高の沢日よりである。それにしても滝の多い沢だ。行けども行けども滝が現われる。しかも美しいものが多いし、そのほとんどが登れるから楽しい。源流が近づくにつれ、さすがにやぶっぽくなってくるが、それでも滝は続く。上部に取水口がある関係で、一旦水が涸れるが、取水口をすぎると水が復活する。1330m付近で最後の二俣がある。本流はおそらく右だが、トポは左にいっている。右でもいいが、最後に草原がなかったら物足りないので、トポどおり左へいく。草原といっても、思い描いていたものとはほど遠かったが、展望も開け快適な場所だった。風が冷たく感じられる。二本木山との間から飯豊方面の山々がみえたが、意外と遠かった。草原をほぼ末端までつめ、すこしだけヤブをこぐと登山道に飛び出た。二王子岳山頂からは360度の展望が楽しめた。湿原が点在する快適な道を下り、タクシーで車を回収、温泉、食事をすませ、駐車場で宴会をして就寝。明け方から雨が降り始め、翌日に帰京。とちゅう金沢で高速をおり寿司を食べたが、スピード違反にひっかかった直後だったので、財布の紐がかたく、先週のようにたらふく食べるというわけにはいかなかったのが残念である。

 

 権現岳東稜

 

 

3/7 京都駅22:00→小淵沢IC→道の駅こぶちざわ3:00(泊)

3/8 泊地→美し森山駐車場8:00→出合小屋9:30→バットレス基部直下13:00→権現岳手前18:30

3/9 泊地7:30→ツルネ8:30→出合小屋10:00→美し森山駐車場12:00

 

久々の八ヶ岳東面、そして初めての尾根である。権現岳東稜は日帰りでも登られているようだが、今回はゆっくり1泊でアタックする。本来は天狗尾根、旭岳東稜と3パーティで入る予定だったが、天狗、旭パーティが阿弥陀岳南稜に変更になったのは残念だった。天狗はともかく旭はすぐ隣で、お互いどこにいるか確かめながら登れそうだったからである。

 出合小屋までは立派なトレースをたどり、2時間足らずで到着。さらに谷をつめ、地獄谷本谷をわけると、トレースも不明瞭となる。ときおり足をとられはしたが、いいペースで進む。このあたりは12月下旬の状況しかしらないが、それと比べて雪がずいぶん多い。とくにゴルジュのところは12月には苦労したが、いまは何の問題もない。ゴルジュをぬけてすぐ、尾根にとりつく。トレースはあちこちについており、あっけなく稜上に達した。稜上は意外とやぶっぽい。ときおり尾根は細くなるが、困難な箇所もなく、やがて樹林帯の広々とした尾根に変わる。上方にバットレスがみえる。日帰りで登られているだけあって、スケールが小さい。所詮、八ヶ岳か・・・。テントサイトは至る所にあったが、まだ昼前、行動を打ち切るにはあまりに早すぎる。このペースだとツルネまでいけるのではと淡い期待を抱きつつ、最悪はバットレス基部で寝られるはずと、そのままつっこむ。

 樹林がきれると、もうバットレスは目の前だ。F沢さんはすこししんどそうで、N村くんと荷物をひきうける。コルでトレースがばったり消え、目の前にはいやらしそうなナイフリッジがたちはだかる。右からまいて岩の基部に達するのだろうか、それともナイフリッジをたどって直上するのか。ここからアンザイレンすることとし、まずN村くんがリードする。雪の処理が相当やっかいで、時間がかかる。50mいっぱいのばし、残りの2名がフォローする。岩の基部まであと10m。これはF沢さんがリードする。

 本来、僕はリードする気はなく、したがってルベルソではなくATCを持って行ってきたのだが、ここまで結構時間をくってしまい、先を急ぐ必要があるので、N村くんのルベルソを借り、あつかましくもリードさせてもらうことになった。一段岩をあがって、最終的には左にいくのだが、どうも悪い。右にハーケンがみえ、右からまわって稜上に出られそうな感じがしたので、右へ行ってみた。少々草つきがやらしく、N沢くんのバイルを引っ張り上げて通過、右奥にビレイ点がみえた。しかし上部の岩は思った以上にたっていて、とても左上できそうにない。ビレイ点と思ったところは、なんと浮き石にスリングが何重にもかかっているだけで、懸垂すらできない。あきらめていったん下りる。その際、バイルを落とすが、かろうじて止まった。今日はいったんおりようという意見もあったが、ともかくこの1ピッチさえ抜ければなんとかなるはずなので、こんどは左に様子を見に行く。傾斜のない容易なフェースが続いていたので、そのままつっこむ。ギアが不足し、スリングをかけては回収するのを繰り返しつつ登る。ただ条件は最高で、雪もついておらず、風もなく、素手でもまったく問題ない。ハーケンはわかりにく、雪がついたら大変だと思う。岩自体はさほど難しくはない。

 調子よく登っていると、もうロープがないというコール。幸い狭い間隔でハーケンが2本あったので、不安定な場所ではあったがビレイする。2人とも難なくフォローしてきた。あと1ピッチだ。だんだん陽が傾いてきており、続けてリードさせてもらう。ビレイ点のすぐ上に、立った部分があり、そこはさすがに重い荷物では越えられず、空身でクリアする。次にピンがあれば、荷物を取りに戻るつもりだったが、そこから延々とランナウトすること20m。ようやく木でビレイとなる。懸垂で下までもどり、荷物をかついで再びそのピッチを登る。2人が登ってくると、そのまま上に行ってもらった。これで核心部は終了したが、周囲には泊まれそうな場所がない。あたりは暗さを増す。体はそうとう疲れている。権現まで行こうとしたが、無理をせず雪の斜面でビバークすることになった。横になることはできず、ロープにぶらさがったままではあるが、ツェルトをかぶれば天国だ。街の光がうらめしかったが、さいわい無風で気温も低くなく、おもったより快適な夜をすごせた。

 そこから権現まではほんの一息だった。稜線は風がややきつかったが、天気は最高だ。ツルネ東稜に入ると、風もなく暑いくらいだった。ワカンのトレースがあったが、ワカンははかなかった。たしかに時々はまったが、まあ許容範囲。駐車場までは単調だったがあっという間だった。

 今回は余裕をもって1泊のつもりが、重い荷物のまま核心を越えることになってしまい、中途半端な山行になってしまった。核心部のリードを2人に経験してもらうことができなかったのは残念だった。久々に八ヶ岳にきたが、やはりスケールの点では見劣りがする。権現もバットレスをのぞけば何の変哲もない尾根だ。遠目には旭岳東稜のほうがより魅力的に見えた。

 

 唐沢岳幕岩左方ルンゼ

3月22日

出町柳出発13:30→豊科IC→昭和軒→薬師の湯→葛温泉手前の駐車場で仮眠22:00

3月23日

起床4:00→葛温泉前出発5:15→七倉山荘5:50→高瀬ダム6:30→唐沢→B沢8:50→左方ルンゼ出合9:15→登攀開始10:00→登攀終了14:00→B沢下降→左方ルンゼ出合15:40→高瀬ダム17:00→七倉山荘18:00→葛温泉前 車18:30→葛温泉→出町柳3:30

 いつでも行けると思いながら、なかなか行けなかった唐幕の左方ルンゼにようやく行く機会が訪れた。金曜日の夜に出て、土曜日に登り、日曜日にゆっくり帰ってくるか、それとも土曜日にゆっくり大町までいって、日曜日に登って帰ってくるか、二つの選択肢があったが、今回は後者のパターンで行くことにした。

土曜日夕方に大町についた。まずは温泉に向かったが、カツ丼で有名な昭和軒は7時までしか営業していないとのことなので、急遽駅前へ転じる。ここ最近、不定休のこの店に何度も振られていたが、今日は開いていた。おすすめのカツ重を食す。おばあちゃんもまだ現役だった。大町温泉で一風呂あび、葛温泉へむけて車を走らせていると、ボンという音が。花火だ。白い山並みを背景に、色とりどりの花火が舞い上がる。今宵はダムのそばの駐車場で寝ることにした。ささやかな宴会をして、寝ようとするが、なかなか寝付けない。ほどなくして轟音が響き渡る。走り屋が来たのだ。ゆっくり寝るために早く来たのに、結局3時間ほどしか寝られなかった。

日曜日、予定通り午前4時に起床。朝食をとり、葛温泉まで移動する。5時15分頃出発。すでにあたりは明るい。ジョギングシューズなので舗装道路でも快適だが、いかんせん眠い。2時間弱で高瀬ダム下に達した。そこからは幕岩がはっきりと見える。靴をはきかえ、沢ぞいのしっかりしたトレースをたどる。金時の滝手前の堰堤ははしごから登ろうとするが、水に入らねばとりつけないようなので、左岸からまき、懸垂で下降する。沢が右折し、金時の滝があらわれる。右岸の急なルンゼを登る。雪がかたくて、ちょっと気色悪い。その後はたえずデブリの上を歩くような感じで、あっという間に基部に達する。約2時間。大武川一の沢の長いアプローチと比べて格段に近く、いささか拍子抜けする。先行パーティのコールが聞こえるが、姿はみえない。

基部で準備をととのえ、荷物を一つにまとめる。F1はノーロープであがり、F2の下でアンザイレンする。F2はみたところ階段状で易しそうだ。午前10時、まずI野さんがリードする。意外と手こずり、時間がかかる。隣を登ろうかと思い、僕もとりつく。いざとりついてみると、下からみた以上に傾斜は強い。もろい部分を避け、滝の左をあがり、段になったところでスクリューを2本うち、核心に備える。I野さんはまだ苦戦中だったので、N村くんにいったんあがってもらうことにする。そのうちI野さんは核心を抜け、視界から消えていった。O村さんがフォローして核心を過ぎるのを待ち、リードを再開。核心をこえ、雪壁を左上して灌木でビレイする。N村くんは2度ほどテンションがかかったが、苦闘の末のぼってきた。ずいぶん消耗したようなので、続けて僕がF3をリードする。先行パーティに遅れをとったのでいそいで登る。O村さんはルンゼの左のハーケンでビレイをしていたので、僕は右の氷に支点をつくりビレイする。ここは雪崩の通り道で、ビレイ中になんどか雪が流れてきた。次は易しく快適そうな氷なのでN村くんにリードしてもらう。来し方をみやると、緑色のダム湖が目に映える。あとはつるべで簡単な雪と氷の斜面をひたすらかけのぼる。2時に登攀終了。そこから左にトレースがあり、リッジを2つばかりこえてトラバースしていくと、B沢に合流する急なルンゼの左岸斜面に出る。気温が高く、ダンゴ雪に悩まされながら、急な斜面をおりると、ちょうどB沢との合流点に出た。あとは下るのみ。午後6時に車に戻り、葛温泉に入る。山の帰りには似つかわしくない素敵なスープカレーの店で夕食をとり、一路京都へ。N村くんを木津に送って午前3時半に家に戻った。

 

 

 不帰岳I峰尾根

 

5月2日

京都21:00→八方仮眠2:30

午後9時過ぎという早い時間に京都駅に集合、渋滞もなく順調に走ったものの、ゴンドラ乗り場についたのは2時半だった。翌日は急ぐ必要もないので、とくに起床時間を決めずに寝る。

 

5月3日

起床6:30→出発8:00→八方池山荘8:40→八方池9:20→休憩11:00→再度休憩11:30丸山ケルン手前テント場12:00→就寝17:30

駐車場代を徴収するおじさんの声で目が覚める。まだ6時半だ。6日までの分、3000円をA木くんが支払ってくれた。もう少し寝ていたかったが、仕方なく起きる。ゴンドラは7時半から動くらしいが、すでに行列ができている。ゆっくりご飯をたべて、8時すぎにゴンドラに乗り込む。下界はすっかり春模様だったが、高度が上がるにつれてみるみる雪景色にかわっていった。さらにリフトを2本乗り継いで、八方池山荘に到着。ここから歩き始める。登山道にはほとんど雪がなく、プラブーツでは歩きづらい。今回は4日と5日に登攀し、6日に下山予定だが、A木くんは5日に下山するので登攀できるのは1日しかない。休憩中、不帰をみながら、どこに登りたいかを聞くと、I峰がいいとのこと。I峰は僕もO村さんも登っているが、III峰はあまりにも短そうだし、今回のメンバー構成ではII峰もいけないしで、I峰も悪くないかなと考え、O村さんの意見を聞いたところ彼も同意してくれた。他のメンバーが賛成したのは言うまでもない。

もともと今日は唐松山荘まで行くつもりだったが、明日I峰にのぼるということで、急きょテント場を探した。このとき丸山ケルンの下にいたのだが、道からやや外れたハイマツの台地にテントを張った。登山道の広いところでもよかったのだが、この日は登山者があまりにも多く、やめておいた。登山者の数はA木くん曰く500人、ぼくは250人くらいとみた。夕方まで登山者の姿が絶えることはなかった。この間、I峰へのとりつきの偵察にでもいけばよかったのだが、寝たり食べたり飲んだりしてうだうだと過ごした。この日の夕食はH岡さん特製ぶた丼。明日は長丁場になるので明るいうちに寝床につく。

 

5月4日

起床1:30→出発3:00→八方尾根支尾根取付4:00→唐松沢・不帰沢出合5:25→T峰稜線7:00→断壁9:05→核心上12:15→T峰直下草付→14:00→I峰頭14:50→唐松岳18:25→テント場19:00→就寝21:30

1時半すぎに起床、予定通り3時に出発。月明かりもなく、案の定まだ真っ暗。少し下ったところにテントが2張あり、1張はまだ寝ているらしく明かりは見えないが、もう1張のパーティはこんな朝早くにもう出発の準備をしている。ちょうど唐松沢への下山地点に張ってあり、またこんなに早く準備をしていることから、I峰を登攀するに違いない。(結局彼らには出会わなかった。下山日にIII峰を敗退したというパーティにあったが、それか?)

ハイマツと雪のまじる尾根を少し下るが、真っ暗で先がみえない。下山予定の支尾根にしてはちょっと傾斜がきつく、尾根を間違えたらしい。暗い中で右往左往しても仕方ないので、せっかく早起きしたが、明るくなるまで待つことにした。4時前、やや明るくなったので偵察にいったところ東側に大きな雪の尾根がみえた。どうやら一本西の支尾根にはいっていたようだ。昨日偵察していれば、と悔やむがまだ時間は十分ある。この尾根にはトレースがついており、ブッシュにわずらわされることもほとんどなく、快適に唐松沢まで下降した。広い唐松沢を横切り、不帰沢をすこし登って尾根にとりつく。

下からみあげるI峰尾根は黒々しており、ブッシュが大変そうだ。雪がのこる尾根左のルンゼをできるだけ上まで詰める。雪の切れたところでアイゼンをはき、ブッシュ帯につっこむ。ブッシュもそうだが、ところどころ出てくる不安定な雪の処理に意外と時間がかかる。15年前の記録ではとりつきから稜上まで50分しかかからなかったが、今回は1時間半もかかった。7、8年前に登ったO村さんによれば、稜上までずっと雪通しに来れたという。ここから2062mピークまで、これまた不安定な雪とブッシュの連続だった。やっとのおもいでピークにつくと、核心の断壁が全容をあらわした。ルートは正面の凹角クラックか、左に回り込むか。クラックは5人で通過するには時間がかかりそうだったので、左から回り込む。岩はかなりボロボロで大きな浮き石が随所にある。回り込んで最初の一手が細かい。ここもそうだが、雪がついていれば楽だろうというところがずいぶんあった。最後の僕が登り終えたときには、すでにO村さんが2ピッチ目のリードをはじめていた。ここからはかなり傾斜がおちる。水が雪の末端からしたたりおちていたので水筒でうけた。登攀待ちの間にほぼ2リットルを補給できた。

3ピッチ目はA木くんがリードするが、ロープ一杯になったところで動きが止まった。時間を節約するため、僕もリードする。A木くんはどうやらいい支点がなくて苦労していたようだ。僕がついたときに残置ハーケンがみつかったので、それを使わせてもらう。4ピッチ目は僕がリード。出だしがちょっと嫌らしかったが、あとは雪壁。早めにピッチをきり、あとはフリーで行くことにする。H岡さんが登ってくるのがみえてしばらくして、地響きのような音と、I野さんの「ラクセキ」という声が聞こえた。あとからわかったことだが、O村さんが登攀をはじめてすぐ、足元の岩が崩れ、O村さんが岩ともどもI野さんの上に落ちたということだった。幸い2人とも大きな怪我はなかった。そこから上は雪の急斜面をひとのぼりして稜上に出た。核心部の通過に3時間を要したが、これは2人パーティでいった前回と同じくらいであり、まずまずのスピードだろう。ここからトレースがついていた。断壁の上で合流する支尾根を登ってきたようだ。そういえば今朝I峰の下部にテントの明かりがみえていたから、そのパーティだろう。

あとはI峰まで楽しい雪歩きかと思っていたが、途中で1カ所、悪いクレバスがありロープをだした。このとき唐松沢を1人のスキーヤーが滑り降りているのが見えた。K浴さんに違いない。大声で呼ぶと、むこうも返事をした。I峰直下でもう一度ロープをだす。A木くんリードで傾斜の強いブッシュを登る。さらにA木くんリードで1ピッチのばし、頂上に到着、時間は3時前であった。360度の展望、剱方面もいい天気だ。

II峰へは顕著な登山道が続いている。とはいえ、不安定な雪がついたやっかいなトラバースがあり、3回ほどロープを出した。II峰からあとは悪場もなく、ひたすら重い足を引きずって歩く。そしてなんとか暗くなるまでにテントに帰ることができた。ながい一日だった。夕食はA木くん特製の麻婆ナス。1人あたりナス2本という豪華さだった。この日はすっかり完全燃焼した観があり、なんとはなしに翌日下山ということになった。爆睡。

 

5月5日

下山。

 

 連休前半、O村さんとI野さんは前穂高北尾根に、A木くんは奥利根に、H岡さんはボッカトレとクライミングに、と元気なメンバーに囲まれ、体力勝負のI峰尾根でついていけるかと少し心配したが、昔とった何とやらでかろうじてついていけた。普段トレーニングなし、山行は月1回では体力は衰えるばかり、なんとかしないととは思うものの、なかなか時間がとれない。なんとかせねば・・・。

 

早出川本流&広倉沢右俣

日程: 7月17日夜〜7月21日

メンバー: T嶋、F沢、I野、N村

 

7月18日

早出川ダム8:15→金ヶ沢出合9:20→早出川入渓11:15→中杉川出合12:30→ボフ沢上15:30(泊)

ながい深夜ドライブをおえ、目を覚ますと、眼前に長年おもいをめぐらせてきた早出川があった。早出に関心を持つようになったのは、かれこれ十年以上も前になるが、ベストシーズンである梅雨明けになかなか時間がとれず、計画が実現に至らなかったのである。

 この日は午後から雨の予報ということで、雲の多い空模様である。まず、早出川ダム湖畔をたどる長いアプローチから山行がはじまる。ダムの水はかなり少ない。対岸の山々は雪で磨かれたスラブで覆われ、雪国独特の景観である。金ヶ沢で一息つく。F沢さんがさっそくヒルにやられていた。急斜面を登り、日本平山との分岐点に着く。ここからはヒルのパラダイスとでもいうべきところで、立ち止まってヒルをとっていると、別のヒルがくっついてくる。塩漬けにしたスパッツもあまり効果はないようだ。道がわかりにくくなったところで、もう川におりようということになった。一刻も早くヒル地獄から抜け出して、川につかりたい一心からでた判断であったが、これは今回の計画の成否を分けた判断の一つであった。ルンゼを下り、最後は懸垂で早出川に降り立った。11時半、もうとっくに入渓点に着いている時間である。はじめて触れる早出川に感慨もひとしおだったが、後悔もした。そこはゴルジュのまっただ中で、中杉川との合流点からもどうやらだいぶ離れた地点だったからである。憧れの早出はややくすんだ緑の濁った川で、お世辞にも清流とは呼べない。川には黒々とした巨大なニジマスが悠々と泳ぎ、小さな魚が身を翻して銀色に光っていた。

 ここは通常の入渓点より手前の溯行図にはない部分である。早速泳ぎを強いられ、すぐにロープを出さねばならなくなった。F沢さんが果敢に水勢に抗して突破し、後続はロープに引かれて最初の難関を突破した。そのあとも廊下が続き、12時半にようやく入渓点に着いた。予定より2時間遅れた。今日はどうがん沢出合まですすむ予定であったが、この時点でそれはあきらめざるをえなくなった。中杉川左岸の巨大なスラブが目をひく。川からみた限り、ぜんまい道は確認できなかった。

 中杉川出合からも延々と泳ぎを繰り返す。右足がつり気味で強く蹴れず、なかなか進まない。寒さが身にしみてきて、もう泳ぎはうんざりしたころ、ボフ沢出合に着いた。この先いいテント場があるかわからず、また夜行明けということもあって、少し時間は早いがここで泊まることとする。薪は豊富にある。F沢さんはさっそく釣りにでかけた。5時前になって、それまでポツポツときていた雨が突然激しくなった。ちょうどご飯を食べようとしているところだった。どうせ夕立だろうと思って、ずぶ濡れになりながら食事をするが、一向に止まない。早くタープに潜り込めばよかったのだが、もうすっかり濡れてしまったので、雨に打たれながら食べ続ける。なにか苦行のようだ。さいわい、しばらくして雨は止んだ。

 

7月19日

泊地8:30→シゴヤ下11:10→シゴヤ上11:30→コモリ淵14:30→大釜淵下15:30→広倉沢16:00

 この日は昨日の遅れを取り戻すため、早くに出発する予定だった。しかし、疲れのせいもあって、5時半起床が一時間遅れ、さらにたき火をしてご飯をつくったものだから、出発が8時半になってしまった。昨日とはうってかわって、いい天気になる。やはり沢にはまぶしい太陽がよく似合う。出発して10分もたたずして、最初の泳ぎとなるが、さほど苦にはならない。深い碧色をした淵を次々と泳いで突破していく。実に爽快。

 11時すぎ、行く手に関門が立ちはだかった。このときは確信がもてなかったが、あとでこれがシゴヤだとわかった。狭い廊下が延々と続く。幸いなことに流れはきつくないので、岩をつかみながら悠々と泳いで進む。上を見れば、空が青い帯となって輝いている。シゴヤの出口にある最狭部は、さすがに荷物をもったまま通過することができず、N村くんが空身で突破し、後続はロープに引かれて楽々と通過する。入口からみたシゴヤは暗く凄惨だが、出口から振り返ってみれば、うってかわって明るい雰囲気だ。そこからは右に左にと、雪に磨かれたスラブの造形美を堪能しつつ川を進む。滝などはまったくなく、とにかく歩いて泳いでの繰り返しだ。

 2時半、ふたたび狭い廊下が出てきた。コモリ淵だ。ここも泳いで難なく通過できた。3時半すぎ、今度は大釜淵だ。途中まで泳いでいくが、水勢がきつく、入り口まで戻る。左岸の台地にはい上がり、広倉沢出合まで巻いた。情報によれば、台地にいいテント場があるということだが、みつからず、広倉沢や本流にもなかった。今日は雨が降らないという前提で、本流の小さな川原を今宵の宿とした。この日は天気がよかったせいか、すこし冷え込み、シュラフカバーだけでは寒かった。

 

7月20日

泊地7:10→おひろ淵7:30/8:00→おひろ淵上8:45→かさね淵9:30→二俣10:15/10:40→魚止め滝上12:00→二又12:20→二段滝下12:30→二段滝上16:20→二俣18:00

 この日はさすがに早起きして、7時すぎに出発する。7時半、おひろ淵に到着。ここで

F沢さんが釣りを始める。すぐに大きいのをつり上げるが、N村くんが引き上げようとして失敗し、逃げられてしまう。しかしまたすぐにイワナがかかった。おひろ淵は水線を通過できないので右岸をまく。ルンゼ状からも巻けそうだったが、そのあとの草つきのトラバースがどうなるかわからないので、もう少し下手の灌木帯から巻いた。すぐにトラバースできるかとも思ったが、結局上へ上へと追いやられてしまう。懸垂一回でルンゼから本流に戻る。1時間ほどの巻きだった。雪渓の残骸が残っていた。こんな低い標高の沢にまだ雪が残っていることに驚く。そこから先はまさに広倉沢の真骨頂ともいうべきところで、延々とゴルジュが続く。大部分は腰までつかって歩いていけるので、ゴルジュ見学といった趣だ。やがて目の前に大きな雪渓が立ちはだかった。どうやら下をくぐって通過できそうだ。1人ずつ、慎重に通過する。続いてカサネ淵。I野さんが、スカイフックを持ってトライ。2度目のトライで見事に突破。F沢さんは右岸のカンテからフリーで越え、N村くんと僕はロープのお世話になる。そこを越えると二俣だ。

 右俣にはいると、すぐに魚止めの滝があらわれる。右岸をまく。どんどん上へ追いやられ、大高巻きになってしまう。対岸の岩肌がすさまじい。灌木帯とルンゼからすんなり降りたものの、この巻きに1時間を要した。前方に鋭い三角形の岩峰がみえてきた。二又だ。左は狭いゴルジュのなかの連瀑で、魅力的だ。一方、我々がこれから進む右又は右岸のスラブが目を引くものの、沢自体は平凡な雰囲気である。ここからは地形図以外にまったく情報がない。次々とあらわれる滝を快適にこなしていく。この分だと、これまでの遅れを取り戻せるかもしれないと思っていた矢先に、登攀不可能な滝に出くわす。右岸から簡単に巻けそうだった。ところがいざ右岸から巻いてみると、その上にさらに滝があって、あわせて巻かねばならないことがわかった。その上は完全な岩登りの領域である。アンザイレンして、F沢さんがリードする。50mめいっぱいでともかく稜線の直下にでる。4人が通過するのに1時間かかった。

あとは楽に下りられるかと楽観していたが、なかなか沢に戻れそうになく、ぐんぐんと稜線を登っていく。結局ピークを2つこえ、730mのピークまで追いやられた。水不足で体がきつい。銀太郎山にはまだ多くの雪渓が残っている。右俣の左もなかなか大変そうだ。730mピークから北東へのびる尾根を下降する。右俣右又の上流にはさらに登れない滝が連続し、いずれにせよまた大高巻きを強いられそうである。水さえもっていれば、このままもうすこし巻くのだが・・・。すでに時間は4時をすぎていた。巻き始めてから3時間。明日中には絶対に京都に帰らねばならず、時間的にも食料的にも余裕がない状況で未知の沢につっこむのは無謀かとおもわれた。残念ではあるが、今回はここまでとし、今出経由でなんとか脱出することに決め、メンバーの了解を得た。

4時半、雪渓ののこる沢に懸垂で下り立つ。十分に水をとってから下降を開始する。暗くなるまでになんとか二俣まで下りたい。すぐに滝だ。懸垂できるかと思っていたのだが、2段になっており、ボルトが無ければ無理だった。左岸に希望を求めた。一回軌道修正したが、比較的簡単に滝の下まで下りられた。こっちから巻けばよかった。あとはもう闇雲にくだる。問題の魚止めの滝は右岸から急斜面を登り、若干トラバースして、懸垂一回で下りた。このルートは登りにも使えそうで、おそらく30分くらいで巻けるのではないだろうか。次回はそうしよう。二俣はもうすぐそこだ。暗くなるまでに、タープを張ることができた。たき火をして、さあ食事だという頃になって雨が降ってきた。タープの下で惨めに食べる。今回はトランシーバー附属のラジオがまったく入らず、天気予報が聞けなかった。台風の進路がきになる。明日は晴れるだろうか・・・。

 

7月21日

泊地7:30→早出川本流9:00→今出9:50→一の又越出合12:00→一の又橋15:30→早出川ダム19:00

さいわい、この日はいい天気だった。7時半に出発。1分もたたないうちに、最初の飛び込みだ。祈るような気持ちで雪渓を駆け抜け、あとはゴルジュのなかを泳いだり歩いたりして下っていく。最後の難所となるおひろ淵は、飛び込みであっという間にクリアした。二俣からちょうど2時間で早出川本流についた。この分だと、昼過ぎには温泉かなとぼんやり考えていたが、現実はそうあまくなかった。そこから約1時間弱で今出につき、アカッパ沢と二重滝沢の間にあるという室谷越の道の入り口を探しながら歩く。アカッパ沢をすぎ、二重滝沢まで半分くらいいったところで一休みする。このあたりに道があるはずなのだが、それらしいものは見あたらない。もう一度、アカッパ沢まで戻って道を探すか、それともアカッパ沢を溯行するか。地図をみていると、この先に標高700mで室谷側へ抜けられるコルを発見した。これなら道がなくても行けるかもしれない・・・。F沢さんが持っていた『日本の渓谷』の記録には一の又沢を下りたことが書かれている。あまりちゃんと調べていなかったので、室谷越と一の俣沢越を区別していなかったが、どうやら別のものであることがこのとき判明した。なぜ室谷越の道がみつからないのか、なにか狐につままれた感じだったが、ともかく一の又沢へ抜ける沢まで進むことにした。そろそろ目的の沢の出合というところで、右岸に人の声らしきものが聞こえた。言ってみると、大勢の人がタープをはって休んでいた。久しぶりに見る人だ。古くから早出に入っているというおじいさんがいて、山越えの道を教えてくれた。室谷越の道はもうほとんど使われていないらしい。合点。あ〜、これでやっと安全地帯に入ったぞ。

油断したのが行けなかった。そこからすぐ上流に流れ込む小さな沢から登るのだが、実はそこには小さな沢が2つ流れ込んでいた。すっかり安心して地図を見ることもなく、30〜40分で上までいくよという言葉を信じて、最後の力をふりしぼって沢を登っていった。しかし、登っても登っても、着かない。傾斜は急になり、息が切れる。こんなところ、本当に15分やそこらで下りられるのか?休憩して地図をみてみると、何かおかしい。一本上流の沢に入ってしまったようである。このため高度にして50mほど余計に登らなくてはならない。すでに4日目、体はがたがたで、足が上がらない。おまけに強い日差し。

稜線には出たものの、コルは遙かかなたである。基本的には下りの藪こぎであるが、きつい。時折ルートを修正しつつ、コルまではいおりる。コルには木に名前が刻みつけてあり、道らしきものもあった。ふ〜、これで本当に安全地帯だ。そこからは沢沿いに道がついている。滑りやすく、かつ長い。N村くんが先行してタクシーを呼びに言ってくれる。3時半すぎ、やっと一の又橋に着いた。車がたくさん止まっており、うち3台はこれから帰るところだった。N村くんが交渉して車に乗せてくれるとのことで、I野さんがあわただしく乗り込んだ。車のところまで行ってくれると思っていたのだが、携帯が通じるところまでという約束だったらしく、I野さんは自販機もない集落で下ろされて我慢して待っていたという。残りの3人はそうともしらず、残りの行動食をたべ、昼寝をして待った。思いもよらないことではあったが、ここから早出川ダムまでは相当の距離があり、時間にして1時間半、値段にして16000円もかかった。

今回ははじめて早出川に触れることができ、非常に感激したと同時に、またその厳しさを味わった。少なくともこの山域に入るには、ジャンピング、そしてできれば50mロープに50mロープをもう一本欲しかった。裁定1日分の予備食料も必要である。簡単にエスケープできないうえに、増水が早く、閉じこめられるおそれがあるからである。また個人的なことであるが、今回は眼鏡の度が弱くてあまり役に立たなかったので裸眼でとおしたが、巻きの判断をするときにはやはり眼鏡をかけるべきだった。あるいは双眼鏡でも持っていったらよかったか。

 

 

南アルプス 倉沢

メンバー T嶋、N村、I野、S木、T岡

8/13

京都 23:00→東海フォレスト駐車場(バス乗り場前)5:00

8/14

バス乗り場(畑薙第一ダム) 9:00→10:20椹島10:30→10:55倉沢出合11:05→ゴルジュA入口11:15→ゴルジュB入口11:50→ゴルジュC入口12:40→戸間の滝沢15:05→泊地16:00

当初、夏合宿は飯豊の玉川大又沢を予定していた。しかし天気予報は芳しくなかった。それでもわずかな期待をかけて、出発当日の午後5時発表の天気予報まで待ってみたが、やはり天気はよくなさそうだ。そこで慌てて天気のよさそうな山域の沢を調べはじめた。T岡さんはすでに新潟行きの夜行バスを予約していたのだが、キャンセルしてもらった。天気がよくて、しかも東京から合流しやすい南アルプスが最終的に候補地となり、倉沢か所の沢へいくという形式で計画書を作成した。この2つの沢は以前から行きたいと考えていた沢ではあるが、本気になって資料を読んだことはなく、予習不足のまま出発ということになってしまった。

 相良牧ノ原ICまでは比較的はやかったが、そこから畑薙ダムまでは遠く、駐車場についたころにはすっかり空が白んでいた。大きな駐車場は車でいっぱいだった。すこし仮眠して準備をしていると、T岡さんがやってきた。8時のバスに乗りたかったが間に合わず、9時のバスにのる。バスは一人3000円、どこかの小屋で宿泊しないと、帰りは乗せてもらえない。この規則は計画をたてるさいに、大きな制限となる。

 一時間ほどで椹島着。水量は少なく、大井川本流をのんびり下降する。倉沢出合には11時に到着。もう昼である。この分だと、今日はゴルジュのなかでビバーク、明日はなんとか沢を抜けて登山道との合流点で一泊、雨が予想される明後日に下山して小屋に泊まり、4日目朝にバスで駐車場と、まる4日かかりそうな感じだった。

倉沢の岩床は黒光りし、なんとも陰鬱な感じだ。さっそくゴルジュAがはじまる。記録ではアブミを使用する箇所があるらしいが、なんということもなく通過してしまった。息つく間もなくゴルジュBがはじまる。5m滝は右岸よりまく。『登山大系』は尾根から大巻きしているが、『日本の渓谷』ではすぐに懸垂して沢に戻っている。この先は屈曲して様子がわからないが、滝があることだけは確かである。『日本の渓谷』を信じて懸垂下降することにする。まずN村くんが下りて偵察、OKだったのであとに続く。屈曲のむこうにあったのは小滝ばかりで、『日本の渓谷』が正解だった。あっけなくゴルジュを2つ片付けてしまい、あるいは今日は二俣まで行けるのではと考え始める。

ゴルジュCも順調に進むが、広い釜をもつ連瀑に行く手を阻まれる。S木くんにリードはどうや?と聞いてみるがしないようなので、僕がリードする。左岸の岩壁を高巻く。残置スリングが一本かかっていたし、足場も悪くなさそうなので、気軽にとりつくが、けっこうこわい。スリングがかかっているハーケンはよく効いていそうだが、これだけに頼るのはすこし勇気が要る。キャメロットをひっぱりあげて、#2とナッツをかまして、トラバースし凹角状に至る。ここの登りも少々やっかいで、キャメの#1をかましてスリングに足をかけて抜けた。

ゴルジュDに突入する。ここはすぐに右岸の巻き。斜め懸垂で手こずる。ゴルジュにもどってすぐにいい幕営地がみつかった。まだ午後4時。ゴルジュDはあと1時間くらいかかるとしても、最後のゴルジュEはすべて巻いてしまうから、暗くなるまでは二俣にいけるかもしれない。しかし一方で、ゴルジュEの巻き途中に日没ビバークとなった記録のことが頭にあり、また今日は夜行あけで疲れていることもあって、快適な幕営地をまえについに行動を打ち切ることにした。結果からいえば、このあとに巻きを強いられる10mCS滝が控えており、せめてこれくらいは越えておけば翌日の行動が楽であったはずである。しかもそこには同じくらい快適な幕営地があったのだ。また翌日の僕の運命もすこしは変わっていたかもしれない。倉沢といえば圧倒的なゴルジュを思い浮かべてしまうが、実際にはゴルジュのなかであってもビバーク可能なところはずいぶんあり、二俣より上はいたるところでビバークができそうであった。水量が多い場合は違ってこようが・・・。ともかく虫はまったくおらず、快適な一晩を過ごせた。

 

8/15

泊地 6:50→9:15二俣9:30→35m大滝13:45→登山道出合14:30→椹島18:30

出発してすぐにS木くんが確保器を水没させた。彼は執念で水泡のなかから確保器を探し出したが、だいぶ時間をとられてしまった。すぐに巻きがはじまる。右岸の凹角状をあがるがすこし悪い。N村くんがさっさと上がり、僕があとに続いたが、後続がてこずりそうなので、ザックからロープをだしてフィックスする。そこからN村くんリードでルンゼをトラバースして、小尾根に出る。そこからの懸垂が若干手間取ってしまった。なんどか指示を出そうかと思ったが、てこずるのも経験と思って黙ってみていた。沢にもどると、ゴルジュのなかながらも広々としたところで、つい最近とおもわれる幕営の跡があった。沢は左に屈曲し、その奥に滝があるらしかった。滝のところに行くには、すこし泳ぎが入るのだが、朝一番の泳ぎが嫌で、僕はなんとかへつろうとした。しかしうまくいかず、足を滑らせたが、このとき脱臼してしまった。さいわいすぐに肩ははまり、痛みもさほどではなかったので、遡行を続行することにした。N村くんにロープを持ってもらう。

すぐにゴルジュEの巻きが始まる。いったん稜線にでると、目の前には岩峰が立ちはだかる。一見どうしようかと考えてしまうが、近づいてみるとロープなしで登れそうだ。岩場をこえ、あまり沢から離れないようにしてケモノ道をひろっていくと二俣の上に出た。

ここで荷物の多くをメンバーに持ってもらう。下倉沢へエスケープも考えられたが、せっかく倉沢へきたのだから、やはり上倉沢へ行かなければとおもい、予定通りに上倉沢にはいる。巻きを多用して時間を稼ぐ。沢が開けて暑さがこたえる。巻きの途中でT岡さんが蜂に刺された。3カ所刺されたらしい。T岡さんは数年前の夏合宿でも蜂にさされていた。たまたま持参していたポイズンリムーバーで応急処置をする。この沢はマムシが多いから装備に加えようというI野さんの提案が見事に(不幸ではあったが)あたった。説明書をみながら、毒をだす。手はうまくいったが、頭は毛がじゃまをしてうまく吸えなかった。カミソリで毛をそるといいのだが、T岡さんは休み明けに人にあうからと、我慢するほうを選んだ。上倉沢ではぐんぐん距離がのびる。

事前の想定とはまったく異なり、美しい沢であった。脱臼がなければもっと堪能できたのに…。最後の大滝は右岸のルンゼを登り、ふたたび沢にもどると、沢はもうひどく穏やかになっていた。そこからすぐに水がばったりと切れる。水をくんでうだうだと休憩。水のきれた涸れ沢をしばらくいくと、荒涼としたガレ場にでる。不思議な光景だ。ここで登山道と合流する。なんとか今日中に下山できそうだ。さきほど休憩したばかりであったが、また長い時間休む。

下山はきつかった。下山中にS木くんが蜂にさされ、またポイズンリムーバーの出番があった。これは山の必需品かもしれない。6時半に椹島に到着。避難小屋は風呂込みで1000円。風呂は7時までとのことで慌ててはいる。風呂に入れると思っていなかったので感激だ。風呂からあがると食事だが、もう消灯時間を過ぎており、真っ暗になっていた。外のベンチで冷たいビールをのみながら打ち上げをする。こんなのんびりした合宿の終わり方もたまにはいい。

 

8/16

椹島8:00 →畑薙第一ダム9:30→京都

午前8時のバスで駐車場へ。ここでT岡さんと分かれる。われわれは先を急ぐわけでもなく、千頭駅でそばをたべ、川根で温泉に入り、浜松でウナギを食べ、砂丘を散策し、京都に戻った。

 

脱臼はこれで4回目、沢では二回目である。いずれも普通にしていれば何でもないところを、水につかりたくないがために無理にへつったのが原因である。おちてもいいやというところで中途半端にトライするのがいけないようだ。1回目はフリーの岩場だったから、すぐに病院に行けたが、2回目はヘリ、3回目は即下山、4回目は山行を続行した。脱臼後の状態は回数をえるにしたがってよくなっているが、これは抜けやすくなっていることの裏返しでもある。今回、病院へいったところ、肩は角度によってほんの小さな負荷でも抜ける状態になっていることが判明し、手術する決心がついた。山行中は脱臼したことを悔やんでいたが、今後のことを考えると、これでよかったのかもしれないと納得している。沢に関して付言すれば、今回は早出にこりて50mロープを2本もっていったが、1本で十分であった。最後に、脱臼後にサポートしてくれたメンバーに感謝したい。