恐怖の暗闇てさぐりクライミング(御在所中尾根)
【期日】 1997.10.19(〜10.20)
【天候】 快晴
【メンバー】 L.高嶋、羽生田、富樫、中野
【目的】 紅葉を見ながらの中級岩登り
【日程】 百万遍集合(7:00)車――鈴鹿スカイライン(9:30)――一の壁(10:30):正面左ルート・――中尾根バットレス基部(12:00ar/13:00st):昼食――中尾根とりつき(13:20)――中尾根P1(16:00)――奥又ルンゼ:藤内沢経由――中尾根バットレスとりつき(20:40ar/21:00st)――鈴鹿スカイライン(22:20)車――京都百万遍(3:00)
【装備】 雨具、食料、ガスヘッド、コッフェル、クライミングギア
【記録】 高嶋
☆ 紅葉は木曽駒よりずっときれかった。それだけ人も多かったが、ほとんどがハイキング客。クライマーは前尾根に集中していた。一の壁にはどっかの古い、こわい山岳会が団体で来ていた。
☆ 羽生田さんがもってきてくれたおでんは最高。「紅葉におでん」、いうことなし
☆ 中尾根を登るに当たって、見当が甘かった。中尾根は午後3時くらいには片づき、そのあと、中尾根バットレスも登りたいと思っていたので、空身でいくことにした。サブザックがあれば、食料、ヘッドライト、水、カメラなどを入れたであろうが、誰もサブザックを持っていなかった。あとルート図を持っていかなかったのが大失敗。
☆ 中尾根自体は前尾根よりも難しく、なかなか快適だった。プロテクションもペツルのぴかぴかのボルトが打たれており、安心してリードできた。ツルムのコルからの一ピッチが悪かった。後でルート図を見るとコルから直上するようになっている。直上ルートをフリーでいくと下部のハングだけで5.11はありそう。ハーケンがたくさん打ってあったので昔はA1だったのかもしれないが、ルート図にもA1の記載なし。このピッチは結局コルのずっと左からとりつく。斜上のスラブは結構いやらしかった。捻挫の足にはあの手の動きはきつい。P2最後のハング気味は・級とのことだが、ツルムのコルの次のピッチの方がよほど難しい。
☆ 下降はどうやらP2から後尾根に向かうのが一般的なようだ。我々はそうとも知らずP1を登った。(支点ほとんどなし、あっても腐って使えない)
☆ 下降路がわからず、奥又ルンゼを降りたが、結局P1まで登った際の下降路はそれで正解だった。暗くなるのが予想以上に早かった。懸垂3回で奥又ルンゼの屈曲点付近まで達したが、そこから先は暗くてとても懸垂の支点を探すことができず、右手のブッシュ帯に飛び込む。
☆ ブッシュ帯はロープを出して、トラバース。手探りのトラバースはあまり気持ちよいものではない。何度か下降気味のトラバースを繰り返したあと、ブッシュ帯のなかを懸垂。なにもかもが手探りで、危険きわまりない。ロープを持っている人はロープが引っかかって苦労していた。こうした暗闇の中ではロープ、ヘルメット、服装すべてにわたって明るい色の方がよく認識できる。特にロープは明るい色の方がいい。暗い色のロープは全く見えなかったので使用せず。
☆ 以前の経験が効を奏した。2ルンゼのゴルジュを交わして、藤内沢におりたった。一の壁へのとりつきも所々で濡れていてわるかった。結局、ロープを固定することにした。暗闇の中で、支点もとれないまま登っていくのは恐ろしい。周りが見えないだけに、高度に対する恐怖感は全くない。また小豆島の時と違って、全く知らないルートでないだけに、気は楽だった。下降は懸垂2回で藤内沢へ。
☆ 中野くんはヘッドライトを持ってきていなかった。間に挟んで下降する。ヘッドライトがあるとはいえ、夜道はやはり時間がかかる。
☆ 車に戻ってようやく一日が終わったと安心したのも束かの間のこと。走り初めてすぐにゲートに阻まれる。ここのゲートは午後7時から午前7時まで閉まるらしい。我々はてっきり閉まるのは有料道路の部分だけと思っていた。中野くんの携帯で連絡を取る。交渉の末、30分ほどであけに来てくれた。感謝。
☆ 亀山S.A.は閉まっていた。結局午前1時頃、笠置のあたりの怪しい飯屋で遅い晩御飯をとる。京都に帰ったら午前3時。疲れた。それにしても富樫さんは強い。ずっと一人で運転していた。
第一回荒川出合夢のアイスクライミングツアー
こたつ、なべ、温泉、そしてアイスクライミング ![]()
【期日】 1998.2.21-23 天候 晴れ
【目的】 アイスクライミング技術の向上
【メンバー】 L.高嶋、岡田や、小谷野、宮本高広(富士宮山岳会)
【日程】
2/20 京都発(20:30)――早川町(1:30)
2/21 泊地(7:00)――宮本家(7:30ar、朝食、9:30st)――荒川出合(10:30)――3ルンゼ基部(11:30)――アーリースプリング登攀――3ルンゼ基部(17:00)――宮本家(19:30)
2/22 宮本家(9:00)――荒川出合(10:00)――とりつき(10:30)――ネルトンフォール登攀――とりつき(2:30)――荒川出合――奈良田(16:00、入浴)――買い出し――宮本家(18:30)
2/23 宮本家(8:00)――荒川出合(9:00)――3ルンゼとりつき(10:00)――夢のブライダルヴェール登攀――とりつき(14:00)――荒川出合(14:30)――奈良田(入浴)――早川町役場(16:45)――京都(22:30)
【装備】 個人:アイスクライミングギア共同:スクリュー20本、ロープ2本 テント、ツェルト、コッフェル、ガスなどは使用せず
【食料】 2/21朝 ご飯、みそ汁、ちくわ、たまごなど 夜 焼きそば、しか肉の汁物、ご飯など2/22 朝 ご飯、みそ汁、納豆など 夜 なべ、その他いろいろ2/23 朝 うどん
【記録】 高嶋
2月20日、こんな日に限って研究会が遅くなり、おまけにコピーをさせられる。そぼ降る雨の中、家に帰るともう7時。とても7時半に出発はできない。岡田君にすこし遅れると電話する。お風呂はキャンセルし、コンビニで弁当をかって掻き込み、急いで車に乗って岡田宅へ向かう。8時すぎに北山堀川に着くが、岡田君の家がわからず、しばらくそのあたりをぐるぐるさまよう。ようやく見つかり、ついで小谷野さんを拾って一路南アルプスへ。これまでの山行でドライバー以外の人が車に乗るときにテープを持ってくるということはあまりなかったように思うのだが、なぜか僕の車だけはそれが当てはまらず、岡田君にしろ小谷野さんにしろマイテープを持参してきた。岡田君は「さだまさし」のテープを3本持ってきて、一人でテンションをあげていた。小谷野さんは小谷野さんで中森明菜なんかを持ってきておいて、我々2人に聞かせておきながら自分は寝てしまったりしていた。というわけで、テープをめぐって3人の間で熾烈な争いが繰り広げられたのだが、一番優位な立場にあったのは助手席にいた岡田君であった。原因は3人の趣味が違うことにあるのか、僕がマイナーなテープしか持っていないことにあるのか。ともかく山行の最後までテープの取り合いは続いた…。清水インターに着いたのは12時半。ここで地元早川町役場に勤める宮本くんに電話をする。今晩あわよくば泊めてもらおうと思ったのだが、すでに寝ており、さすがに遠慮してやめておいた。52号を北上して早川町に入ったところの駐車場で寝る。
困ったことに昨晩、身延で朝食の買い物をしようとしたところがコンビニが一軒も開いておらず、我々は朝食を持っていなかった。一縷の望みをかけて宮本君に電話する。彼は幸いにも起きており、役場まで迎えにきてくれた。草塩という集落にある彼の家はものすごく広く、土間もあってなかなかいい雰囲気だった。急なことにも関わらず我々の朝食を用意してくれた。4人でこたつに入ってテレビを見ながら朝食。天気はいいが、気温は高く、氷は絶望的に思われた。明日は城山でフリークライミングか、というあきらめもあって、またそこがあまりにも居心地がいいこともあって、なかなか腰を上げずだらだらとしていた。しかしここまできて氷があるかないかも見に行かないのは良くないということで、オリンピックが始まる前に家を出る。奈良田をすぎると急に道は悪くなる。林道脇の滝もほとんどが凍っておらず、不安は募る。幸いにもチェーンは着けないですんだが、四駆・スタッドレスでなければ絶対に進めなかっただろう。トンネルをいくつか越えたところで、前に車があらわれた。どうやら雪崩で道が通れなくなっているらしい。その場に車をおいて支度をする。ここまでくるとそれなりに冷え込んでおり、なんだか少し期待がもてた。すこし歩くと発電所があり、そこから左手に道をとる。林道から見上げる1ルンゼ、2ルンゼは完璧に氷結していた。徒歩15分くらいで3ルンゼの出合。東京から来たというパーティはブライダルヴェールに登るらしい。
すでに昼近くなっていたこともあって、我々は時間のかからないアーリースプリングを登ることにした。出合からブライダルヴェールのものすごい氷をみつつ、急な斜面をあがっていく。アーリースプリングの氷は非常に薄く、下部1ピッチは存在しなかった。2ピッチ目も3分の1は、氷というよりはベルクラであった。とりあえず、僕がリードを始める(・+)。ビレイ点はなく、確保はボディビレイ。落ちたらみんなで下まで行ってしまう。早めに一本とりたかったが、なにせ氷が薄くてとれない。それどころか、体重を乗せると氷が丸ごと剥げそうであった。氷の厚そうな所にスクリューをうつが、スクリューは人差し指一本でするすると入っていき、おまけに3分の2くらいまでしかはいらない。プロテクションはないものと気持ちを切り替えるほかなかった。上へ上がるにつれ、氷の状態はややましになるが、傾斜が立ってきた。そして氷から水が吹き出ているのが見えた。右手にルートをとると傾斜は緩くなるが、氷が薄く、プロテクションはとれない。直上は氷の厚さはまだましだが、とはいえ水が噴き出しているくらいだから薄いのには変わりない。精神的には少しでも氷が厚い方が楽である。ルートを真上にとった。水は容赦なく体を打ち付ける。この日は気温が高かったので、僕はアウターを着ていなかった。体も手も凍り付きそうだ。特に乗越し付近では水が顔にまともに噴き付け、バイルを打つ場所さえ見えないくらいだった。手の感覚がなくなる直前にこの奮闘的な登攀が終わった。そこからはやや傾斜が落ちるが、今度はビレイ点がない。ロープはもう残り少ない。滝の真ん中の氷の一番厚そうなところでビレイ点を作る。スクリューを3本打ち、2本のバイルを連結するが、氷が悪いので不安だ。傾斜が強く自分の体を支点に預けなくてはならないが、それさえ不安だ。もしセカンドが落ちでもすれば、僕も吹っ飛んでしまうに違いなかった。そのため岡田君が登ってくるとすぐに上へ行ってもらった。3本のスクリューに3人がぶら下がるのは危険だし、小谷野さんがノーテンションで行くとも思われなかったので、確実な支点ができるだけ多くほしかったからである。岡田君が2ピッチ目を登ってから、小谷野さんに1ピッチ目を登ってもらった。もうこのころには体が冷えてどうしようもなかった。どうか落ちてくれるな、と不安な支点を見ながら祈るようにロープをたぐる。小谷野さんはしかし、格段に上達していた。ペースはそんなに早いとはいえないが確実に登ってきた。シャワークライムのあと、しばし休んでいたが、僕は握力の回復を待っているのだと思っていたが、後で聞いてみると、濡れて冷たくなった手に急に血が流れ出して痛くてしょうがなかったと言うことだった。彼女が登り終えると早速2ピッチ目をフォローする(・−)。体は完全に固くなっていた。
2ピッチ目は簡単そうに見えたが、意外と傾斜があった。小谷野さんもノーテンションでフォローしてきた。今回は岡田君も小谷野さんも新品のロープで来たのだが、小谷野さんのは45mで、岡田君のいるビレイ点まで届かなかった。最終ピッチ(・)は小谷野さんに行ってもらったが、氷はほとんどなく、ブッシュの中の急な雪壁だった。小谷野さんは初めてノーテンションでルートを完登したことになる。もう4時近くになっており、下降をいそぐ。ルート図にある下降路がわからず、一本左の尾根を下ってしまう。ここにはいくつものものすごい氷があった。懸垂を2回ほど絡めて基部に戻ってくる。ちょうどブライダルヴェールに登っていたパーティが下降してきた。2ピッチ登って懸垂下降してきたらしい。核心部はシャワークライミングだったきいて、ぞっとする。車に着く頃には真っ暗になっていた。
午前中は、荒川にテントを張ろうかという話もあったが、このころにはすでに宮本家へ行くことが暗黙の了解となっていた。夜の雪道をさだまさしを聞きながら帰る。岡田君がひとり、「むっちゃかなしい」とかいいながら気持ちを高ぶらせていた。宮本君はちょうど晩御飯の真っ最中だった。予期せぬ(?)我々の再襲撃にいやな顔をせず迎えてくれた。とりあえず風呂に入りたかったが、温泉はもうしまっているらしく、彼の家の風呂を借りることになった。小谷野さんが入った後、僕と岡田君が入る。風呂から出るとご飯ができていた。ビールで乾杯。やっぱりこたつは最高だ。3人とも人の家にいることを忘れてのんびりくつろぐ。あほな話をしているうちに夜が更けてきた。翌日はネルトンフォールに行くといったら、宮本君も行ってみたいというので、4人で行くことに決まった。ただ彼は氷用のアイゼンを人に貸しており、カジタの縦走用のアイゼン(しかもひもで締めるやつ)しか持ってなかった!11時すぎに就寝。
7時起床。朝御飯を食べて出発。昨日と違って車がたくさん止まっており、ひょっとしたら待たねばならないか…という不安がよぎる。ネルトンフォールは林道から河床へ下り、やや下流に行ったところにある。アプローチは約10分。遠目に見る壁はなかなかのものだ。小谷野さんは初めて氷のリードをすることになっていたので、やや緊張気味である。基部には手頃な岩がありボルダリングが楽しめる。そこでアイゼンをはいて準備をする。岡田くんと宮本君は待ちきれないかのようにとりつき地点に登っていった。スクリューを打ったことのない小谷野さんはとりつきのところでスクリューを打っていた。緊張する彼女を岡田君があおり立てる。ルートは・、落ちても下は雪壁なので死ぬことはないからリードの練習にはもってこいの場所だ。僕はしばらく写真を撮っていたが、フリーソロできそうな気がしたので、荷物を持って登りだした。小谷野さんを抜いてビレイ点へ行き、上からも彼女の初リードをカメラに収めた。2ピッチ目は・+、岡田君がリードする。写真を撮ろうとするがなかなかいい場面がでてこない。上から「写真とった?」と聞くので、「撮った!」と答えて安心させておいたが、結局撮ろうと思っていた地点の手前でピッチが切れて撮らずじまいになった。3ピッチ目(・−)は僕がリード。下部は垂直といえば垂直だが、カンテ状ではなくやや凹角になっていたので楽だった。・+くらいに感じられる。少なくとも昨日のアーリースプリングの方が緊張した。垂直部分を抜けると傾斜は落ち、階段状になるが、実はここがくせ者だった。氷は岩の上に乗ってるだけで、たたくとポンポン音がする。一度大きな氷の固まりが下に落ちさえした。だましだまし、時には水の流れる岩にバイルを引っかけながら登る。プロテクションがとれないこともあって、ちょっと緊張する。滝の落ち口を抜けると雪壁となっていた。左手の木でビレイする。宮本君はあのアイゼンで苦労したらしいが登ってきた。小谷野さんもまたノーテンションで登ってきた。登攀終了は1時すぎ。こんなに早く終わったのは最近の記憶にない。これでいいのかなあなんて言ってると、落石が。このルート、結構落石、落氷がある。
基部のボルダーでしばらく遊んでから車の所へ向かう。まだ日の明るい内に帰るなんてなんだか気味が悪い。奈良田で白旗史朗の写真館に入る。役場のコネで僕らもただで入れてもらおうとしたがだめだった。その後、温泉に入る。温度は少し低かったが、お湯はぬるぬるしていて気持ちよかった。宮本君は先に家に帰り、我々3人は買い出しに出かけた。途中、燃料がないことに気づき、岡田・小谷野をスーパーでおろして僕はガソリンスタンドへ給油へ行った。ちなみにこのときもさだまさしを聞いていた。今宵はなべ。しかもなべだけでなく、サイドディッシュがたくさんあって、なべを食べきることができなかった(肉もだいぶ余った)。お酒もかなり飲んだ。宮本君は翌日仕事と言うことで、11時半に就寝。
6時半起床。昨日のなべにうどんを入れて食べる。宮本君と一緒の時間に家を出る。今日はいよいよブライダルヴェールだ。出合にはすでに車が一台(奈良ナンバー、犬つき)止まっていた。平日にくるとはきっとかなり根性の入った人にちがいないからブライダルヴェールに行ってるかもしれないと心配する。しかし実は発電所の関係の人だったらしく、ブライダルヴェールに人はいなかった。3ルンゼには我々3人だけしかいなかった。近くで見上げると、それほど難しくもなさそうだ。岡田君が1ピッチ目(・)をリードする。次に小谷野さんがスクリューを回収しながらフォロー。ここでもノーテンションで登った。その後を僕が追う。氷の状態はよくなく、スクリューは空回りしているようだ。テラスは広く、気持ちいい。そして目の前に大きな氷柱が垂れ下がってきている。小谷野さんはここで降りてもらって、写真係りに。2ピッチ目はルートの核心部(・−)で、下部が垂直の氷柱だ。とりあえず氷柱の正面に回り込んでスクリューを打ってみるが、手で引っ張るとすぽっと抜けた。スクリューを打てそうなところが全くなかったので一旦戻って氷柱の側面にスクリューを2本うつ。これは効いてそうだ。気合いを入れてリードを開始する。出だしからいきなりシャワークライムだ。氷はよくないが、所々足がフラットにおける。ただ、バイルの効きが今ひとつでしばらく登ったところで不安を感じ、スクリューを打つことに決めた(氷柱部分はスクリューを打たないで一気に抜けるつもりだった)。最初、フリーでいこうか、フィフィを使おうか迷い、ついでフィフィがなかなかとれずに時間を浪費し、左手がパンプしてしまった。完全にフィフィにぶら下がってスクリューを打つ。水が容赦なく体に降りかかるが、そんなことより手がしびれてしまったのが気になる。こうなっては垂直部分はさんざんで、もう2回、フィフィをかけて支点をとった。登ったには登ったが、これは人工であり、登ったという感激は今ひとつだった。それよりも寒くて仕方なかった。氷柱を越えると、氷質はよくなり、スクリューもよく効いた。つららとつららの間の割れ目でビレイをする。ひたすら寒かった。岡田君も順調に登ってきた。そこからもう少しあがった地点より懸垂下降をして降りる。当初は上まで抜けるつもりだったが、もう寒くてこれ以上登る気力は完全に失せていた。しかも時間はもう1時すぎだった。とりつきに戻るとすぐに紅茶をのみ、早々に林道へ下る。今日月曜日は町営の温泉は休みだと聞いていたので、帰りに風呂に入れるかどうか心配だったが、奈良田の旅館で入れてもらえた。値段は高かったが、湯の温度は高く、ひげ剃りまでついていて、すごく良かった。その後役場へ行って宮本君にお別れをする。
うなぎを食べたいという単純な理由からまた東名経由で帰ることにするが、あまりにおなかがすいて浜松どころか清水インターまで待つことができず、途中で店に入る。煮かつ丼はなかなかいけた。一度浜名湖サービスエリアで休憩して、京都には10時半すぎに到着した。メーターを見ると180キロを指していた。最初は「えっ、それだけ?」と不思議に思ったが、実は1000キロを越えていただけのことだった。まあ、それだけよく走ったと言うことか。今回は、ほぼ完璧な山行だった。いや、計画以上に充実し、楽しく、快適な山行だった。宮本家は荒川出合までわずか一時間たらず、しかも全く他人の家にいるような気がしないアットホームな雰囲気。温泉も最高だし、氷も豊富にある。これからは毎年荒川出合に行こうと思う。それは我々もそうだし、きっと宮本君もそう思っていることと思う(?)ただ、今回何もかもがあまりにうまく行きすぎて、そのことに物足りなさを感じる我々の異常な神経がちょっと悲しかった。
![]()
【期日】 1998.6.12〜14
【天候】 13曇/雨 14曇り
【目的】 水芭蕉をみる
【メンバー】 L.高嶋、杉山夫妻、今西夫妻、津久井い、荒木、富樫、成田、尾上(ゲスト)
【日程】
6/12 京都発(23:00)
6/13 →西那須野塩原IC(8:00)→西根川とりつき(10:15ar/11:15st)→二股<入谷地点>(12:15)→F1(15:00ar/16:00st)→旧帝釈山登山道(18:40)→避難小屋(19:45)
6/14 避難小屋(7:40)→とりつき(10:10)→木賊温泉→会津坂下<昼食>(14:30)→京都東IC(22:15)
【概算費用】 高速代 行き \13450×2 帰り \12450×2ガソリン代 \28000×2 (走行距離1400km) 食費 \3000 一人あたり \12300 ※以上は概算
【装備】 個人装備:下着、上着、ズボン、替え衣類、軍手、靴下、防寒着、靴、ヘルメット、ザック(50・以下)、シュラフカバー、シュラフ、雨具、ヘッドランプ(+替え電池)、洗面用具、マッチ、ライター、タオル、ローぺ、新聞紙、マット、食器、地図、コンパス、計画書、ナイフ、行動食、非常食、カラビナ(1,2)、シュリンゲ(1)、常備薬共同装備:ツェルト(3)、ロープ(7×20m1本)、ハーネス(4)、ハーケン、ナッツ(適宜)、アイスハンマー(1)、カラビナ(適宜)、エイト環(4)、水筒(5)、医薬品(1)、ガスヘッド(3)、ガスカートリッジ、コッフェル(1セット)、カメラ(2)、シーバー(+予備電池)、ボルト+ジャンピングセット、アブミ(2)、ロウソク(3)、ベニヤ板(2)、食料
【食料】 6/13 昼:行動食 夜:すし太郎、味噌汁、海藻サラダ6/14 朝:行動食
【記録】 高嶋
この計画のそもそもの発端は、水芭蕉を見ようというところから始まった。そしてすぐに思い浮かんだのが、二年前にふらっと訪れた田代山であった。二年前は秋で、山頂の湿原は枯草色に染まっていたが、是非とも緑の湿原を見てみたいとそのとき思った。加えて急いでいたので山頂にはほんの十分しかいられず、おまけにカメラもなかったので写真もとれなかった。さらに、高校山岳部の友人の尾上さんと以前から一緒に山へ行こうといいながら、なかなか約束を果たせなかったので、いい機会だと考えた。遠い山にも拘らず、京都から9人も行くことになった。天気予報はさっぱりだったが、まあ沢だから関係ないと出発。京都は雨がちらついていたが、東へ行けば行くほど天気はましになった。東京で事故渋滞に巻き込まれたためもあってか、7時に西那須野塩原の予定が8時すぎになってしまった。ここで尾上さんと合流、怪しげなガソリンスタンドで燃料を補給して田代山へ向かう。雨が降っていたが、トンネルを抜けて福島側に入ると天気はよかった。このあたりは僕にとっては懐かしい所だ。木賊温泉を過ぎ、やや行くと、ゲートがしてあった。少し引き返したところで車を置いて準備をはじめる。林道あるきをしばらくして、二股に到着。ここから入谷。おにぎりをかじりながら遡行の準備をする。このとき雨が降り始める。成田氏を先頭に十人が谷を遡行していく。やはり沢でこの人数は多すぎる。遡行図にある10mの滝までとりあえず行こうということになっていたが、これが意外と遠く、パーティは完全にばらけてしまった。この間は大した変化もなく、やや薮がうるさかった。水量も徐々に減ってきて、まさかこのまま終わるんではないかと不安になった頃、ようやく滝が現れた。先についた人たちはかなり待っていたらしい。この時点でもう3時を過ぎていた。急いで登攀の準備をする。滝の真中あたりに古いハーケンがあり、シュリンゲがぶら下がっていた。ハーケンにアブミをかけ、ロープを通して上をうかがう。次の一歩がどうもいやらしい。ハーケンも怖かったが、7mmのロープも頼りなかった。落ちたら支えられるだろうか?ちょっと不安になって一度降り、荷物を置いて再び登る。泥を取ってクラックを掘り出し、ナッツをきめる。なんとか体重を支えることができそうだ。そこにアブミをかけて滝をのっこす。あと9人を引っ張りあげねばならない。杉山夫妻と津久井さんが上がってきた時点で、荷物を引き上げる。治美さんはペースが遅かったので、3人で先にいってもらった。(沢では(とくに支流がたくさん入り込むような沢では)パーティが分かれるというのは基本的に避けるべきだが、この場合は時間勝負だったのでやむをえなかった。危ないところで待っているよう指示したが、二股などがあればとまるよう指示し忘れて、後でどきっとした。別の沢に入ってしまうこともありうるからである……反省)この後も2,3人ずつで先に行ってもらった。結局、全員通過するのに一時間かかった。ロープを使う沢では4人くらいが適当だ。ここからがこの沢の一番楽しく美しいところで、広いゴルジュのなか、延々とナメ滝が続くのだが、楽しんでいる余裕はなかった。雨のせいで寒く、時間も押し迫っていた。休憩を取るまもなく、次々と登っていく。奥の二股からは、水のない左の沢へ入る。いくつか支流を分け、やがて源流部の小さな土崩れに出る。左の林の中に入る。石楠花をかき分けながら稜線を目指す。津久井さんの消耗が激しい。ここまで来たからにはなんとしても暗くなる前に稜線にたどり着かねばならない。先頭を行く杉山さんから道にでたという声が聞こえた。帝釈山へ登る旧道である。それをしばらく行くと、稜線を走る登山道にでた。風がきつく寒さが身にしみる。避難小屋は5人くらいしか入れないという情報だったので、この雨の中不快なビバークを強いられるのかと想うと、気が滅入ってくる。すぐつくと思われたが、避難小屋までは遠く、そして寒かった。最後尾の津久井、今西や、高嶋が小屋についたのはもう8時すぎだった。ありがたいことに小屋は非常に広く、快適だった。すぐに乾いた服に着替えると、寒さも吹き飛んでしまった。先着パーティもいたが、どうやら全員が中で寝れそうだ。情報が間違っていて助かった。ささやかながら、量の多いご飯を食べて、暖かいシュラフにもぐりこむと、もう今日のつらかったことはすっかり忘れて眠ってしまった。
6時半起床。コーヒーを作って、行動食をとる。7時半すぎ出発。雨はどうやら止んだらしい。ガスのかかった幻想的な湿原を歩く。水芭蕉はやはり終わっていた。今日が山開きとあって、悪天にもかかわらず、猿倉のほうから人がたくさん登ってきていた。われわれは木賊温泉のほうへ下りる。10時前に車に到着。後片付けをして、木賊温泉へ。前はお金が要らなかったのに、今回は(成田さんいわく)死にかけの老夫婦がいて、300円が必要だった。まあしかしいい湯だった。会津坂下へ出る道は結構悪く、時間もかかった。おなかもすいてきたので、そろそろご飯を食べようという話をしていたところに「わらじかつ」という文字が目に入り、ハンドルを切ったが、よく見るとつぶれかけの店だ。ここは止めてしばらくいくと、立派な構えのそばやさんが出現。そば粉のない「そば」に引かれてにしんそばを注文する。にしんそばにもかかわらず、冷たかった。今西さんからえび天をもらい、てんぷらにしんそばになったが、量が少なく、ボリューム満点のカツどんに嫉妬していると、尾上さんからカツどんが回ってきた。こうして非常に満たされて僕の心の中にはさわやかな風が吹いていた(?)尾上さんとはここで別れ、京都までの長いドライブが始まった。140km走行のおかげか、予想以上に早く京都についた。思ったより早く帰れたとはいえ、やはり会津は遠かった。土日で行くのは少しつらい。3日くらいあればゆっくり楽しめただろう。みなさん、ご苦労さんでした。
![]()
【期日】 1999.2.18〜2.21
【天候】 2.20 晴れのち雪 2.21 雪のち晴れ
【目的】 今年度アイスクライミングの集大成
【メンバー】 高嶋、橋川、岡田
【日程】
2/18 京都→(夜行)→ (橋川、岡田)
2/19 須坂→黒滝基部(泊)京都→姨捨SA (高嶋)
2/20 黒滝試登 (橋川、岡田)姨捨SA→黒滝基部 黒滝試登 (高嶋)
2/21 泊地→竜神とりつき→泊地→須坂→京都
【概算費用】 食費 3000円 高速代 16500円 ガス代 18000円(900km)
【装備】 共同装備 テント(エスパース4,5人用)、スコップ、ロープ(2)、スクリュー15本、ユマール(2セット)、カメラ(2)、ボルト、ジャンピング
【個人装備】 スキー一式、あぶみ、わかん、バイル、アイゼン
【食料】 2.19 夜 カレー 2.20 朝 ご飯&味噌汁 昼 シチュー&ご飯
【記録】 高嶋
いったいどのように書き始めたらよいのだろうか。2度目の米子不動は、とりたてて成果はなかったものの、我々(少なくとも氷に全く振れることができなかったH君以外)は非常な満足感に包まれている。後悔はない。成果と充実感とは必ずしも比例するものではない。失敗から学ぶ事は成功から学ぶ事以上に重く深い。そして未来の希望は過去の充足にくらべてどれだけ楽しいことか。(2.19は省略→完全版はemailにて )
2.20 7時前に起きる。すがすがしい朝だ。久々の単独なのでなんだかわくわくする。その一方で今日中にたどり着けるか心配だ。SAで温かい豚汁を食べて出発する。ICを降りてコンビニで行動食を仕入れ、もはやお馴染みになった道を取りつきまで飛ばす。前回の教訓から今回はスキーもきちんと調整してシールもつけ、あとは履くだけであった。だが予想外に雪は少なくかつ締まっていたのでしばらくはプラブーツだけで歩けそうだった。スキーをザックにくくりつけるが、それでも前回の荷物に比べればなんともない。8時半に出発する。昨夜の雪で、先発のトレースはよくわからなくなっているが、スノーモービルの跡らしきあたりはほとんどもぐらない。単独は自然とペースも上がるし、休みも取らない。意識的に休憩するように心がける。とはいえ2回目の休憩場所は、前回テントを張った場所である。前回(迷った2時間を含めて)7時間かけてきた道を、たった2時間で来てしまったのだ。コンディションによってこれだけ時間と労力の差がでることに改めて驚く。しかもここまでプラブーツで来れたのだ。遥か彼方には未登の巨大な氷柱が望まれる。秋にでも偵察にいくつもりなので写真を撮っておく。ここでスキーをはくが、しばらくは若干の下りなのでシールははずす。ワックスを塗っておいたおかげでおもしろいように滑る。ときどき「おーい」とコールしたが、返事はなかった。彼らはいま、黒滝を登攀しているはずだ。大沢出合からは再び登りなのでシールをつける。しかしなんて気持ち良いんだろう。太陽があまりにもまぶしい。下を見てもまるでダイヤモンドが散らばっているかのように光の粒がゆらめいている。頭の痛みを覚えたが、サングラスはない。帽子をかぶったがそれでもまぶしいので、タイツを顔に巻きつけた。変な格好だが、誰に見られる心配もない。12時半には黒滝の下についた。コールをすると、テントの方から声がする。もう登攀し終わったのかと少々びっくりしながらテントに向かう。話によると、登り出してすぐに岡田君が墜落したらしい。テントの中で、氷質の悪さ、登攀の難しさを聞いていると、なんだか一刻でも早く氷を触りたい衝動に駆られた。
昼食を終えてから、ちょっとバイルを打ちに行くことにした。間近で見る黒滝は壮絶だ。しかし弱点はありそうに思えた。はやる気持ちを押さえながら、準備をする。ルートは岡田君の試登したカンテの右の凹角にとった。まず基部にスクリューをセットして登り始める。バイルを振っても氷が壊れるばかりでささらない。ただ背中を氷に当てて突っ張りながら登れるので、気分的には楽だ。今回はさすがにフリーでいくつもりは無く、アックスにテンションをかけてスクリューをうつ。アックスを信用するまでかなり時間がかかった。スクリューを打つ場所もなかなかなく、時間だけが過ぎて行く。テラスの手前はかぶっている。ここは立ち止まらずに抜けてしまおうと、一旦上に抜けたのだが、その上の氷がものすごくわるく、バイルが全くささらない。力尽きて一度下に降りてスクリューをうち、体勢を立て直す。休憩したせいもあってか、その部分を突破すると、あとは上から滴り落ちる水のおかげで氷が軟らかくなっており、快適にテラスまで登った。ここからは左にトラバースして垂直のカンテ状を25mほどでビレイポイントだ。しかし今日はそんなところまで行く気も無かったし、力も残っていない。墜落して暗かった岡田君がフォローする。氷柱にスリングを巻いて懸垂する。来た時はあんなにいい天気だったのに、いまは雪が降りしきっている。奮闘的なクライミングを終え、気分がかなり高揚していたので寒くはなかった。翌日どうするか、ロープを残置して黒滝を登るか、それとも別なところに行くかを話し合ったが、力不足ということで明日はすこしグレードを落として竜神へいくことにし、ロープを抜いてテントに戻った。あの氷質であのスケール、若干打ちのめされたものの、登攀意欲は高まるばかりだった。ただ行き違いから、だれもルート図を持っていなかったので、それぞれの記憶を頼りに竜神のイメージを描いた。
2.21 4時半すぎに起床。昨夜はかなり雪が降ったようで、テントの外に出るのも一苦労だ。雪に埋もれた道具を掘り起こして準備をする。幸い天気はよさそうだ。トレースは見事に消えていたが、下りのラッセルは苦にならない。途中で東京から来たパーティにあった。未登の権現滝に登るらしい。そこからは彼らのトレースを辿る。少し下りすぎてしまい、引き返してルンゼをつめる。すぐに角度が急になり、スキーが使えなくなった。スキーを残置して、わかんに換えて登る。昨夜の降雪のため、雪はふかふかでなかなか進まない。目の高さの雪を振り払いつつ、交替でラッセルをする。やがて見事な氷柱が現われた。ただ登るにはあまりにも細い。しかしながらいつの日か登る事もあろうと写真に収める。そこからまたしばらくで左手に竜神が見えた。威圧的ではあるが、上部は段状でそれほど難しくはなさそうだ。見たところ核心は1、2ピッチ目のようだ。岡田、高嶋、橋川の順でリードすることになった。橋川君は氷を見て「OK」と一人意気込んでいた。最後の非常に急な雪壁を抜けるととりつきだ。最初はカンテから凹角、そしてランペを右上して洞穴でビレイだ。緊張する岡田君をよそに、ゆっくりと準備をする。と、そのとき右手のあの氷柱の上から白いものが流れてきたかとおもうと、その白い流れは奔流となって空中を走った。雪崩だ。あたりは暗くなり、雪が舞った。白い煙が下へ流れて行くのが分かる。それはほかでもない、われわれが登って来たルンゼだった。あと15分遅ければ、われわれはこの雪崩に巻き込まれていたに違いない。あの急斜面で雪崩に遭えば、恐らく生きては帰れなかっただろう。そう思うと身震いせずには居られなかった。そしてわれわれがいまいる竜神の上から雪崩がおきないと誰が保障できよう。地図で見ると、右の氷柱の上部と同様、竜神の上部も短くはあるが急斜面になっていた。傾斜の急な1ピッチ目はまだ大丈夫かもしれないが、2ピッチ目のビレイ点から上は、雪崩れが来ると一たまりもない。1ピッチ目だけ登ると言う意見もあったが、僕は即下降を決めた。全く晴天の霹靂であった。われわれには氷の事しか頭になかった。しかしここはゲレンデではない。アルパインルートである。つまりは登攀が外的な環境に恐ろしく左右されるのである。例のルンゼを下るのは自殺行為に等しいので、さらに左側の尾根から下った。雪崩の末端部分は雪が堅くなっていた。スキーを残置したところまでは雪崩は届いていなかった。スキーを履いて、大沢出合まで行き、荷物を置いて空身でテントに戻る。ぼくはすぐに帰りたかったが、ペミカンを食べたいという2人に押されて結局昼ご飯を作る事になった。
くつろいでいると、権現滝を登っていたパーティが帰ってきた。変な音がして今にも氷柱ごとこわれそうだったらしく、1ピッチ登って降りてきたと言う。テントを撤収して帰路につく。大沢出合までは、荷物も少ないので快調に滑れた。大沢出合で登攀具をザックに入れると、20kgはゆうに越えた。25kgくらいになっただろうか。シールを着けて、林道を登る。今回は板が外れなかった替わりにシールが頻繁に外れる。このときは重たい荷物があったので、外れるたびに荷物を下ろしてセットしなおさなければならなかった。悪い事は重なるもので、なぜかスパッツのチャックが壊れてしまい、これを直すにも時間がかかった。やがて林道は下り始める。ここからは快調なはずであった。いや途中までは快調だった。傾斜がややきつくなると、急にすべてがおかしくなってきた。一番後ろだったので、スピードがでるのだが、スピードを落とそうと思っても疲労と荷物のせいでふんばりがきかない。ワイヤーのビンディングは固定があまく、すぐにかかとの部分が板からずれてしまう。悪条件と技術がもともとないこともあって、何回もこけた。荷物が重いので、前でひっかかったりするとそのまま顔から雪にたたきつけられる。起きあがるのも一苦労だ。こんなことならスキー1本のほうがよかった。とまれようやく車に戻った。2人はほとんどこけなかったようだ。例の如く湯っ蔵んどへ直行する。前回の教訓から食料を持ちこんで、風呂から上がってから宴会が始まる。2人は結局ビールを2リットル(うち1リットルは持ちこみ)飲んだ。つまみは行動食だ。果てはコッヘルを出してきて海藻サラダを作り出した。ドレッシングが足りないからと、じゃんけんで負けた橋川君が食堂からドレッシングをぱくってくる。我が家同然のようにくつろいだ。帰りは若干渋滞に巻き込まれたりしたものの、12時半に京都に着く。以上、結果的には黒滝の試登のみに終わったわけであるが、われわれの米子不動にたいする印象はよくなりこそすれ、悪くなることはなかった。米子不動とその周辺は無限の可能性を秘めたフィールドである。今シーズンはもうこれで終わりであるが、心は既に来シーズンにある。僕らのアイスクライミングもまだまだこれからだ。*先発隊の記録については別に報告があるかもしれない
![]()
【期日】 1999.6.11〜13 天候 ずっと晴れ
【目的】 石灰岩のマルチピッチ&残雪の高山
【メンバー】 L.高嶋、岡田、今西み、仁田原、長田
【日程】
6/11 京都発(21:30)→
6/12 →糸魚川IC(2:00)→雨飾山登山口(3:00)<仮眠>泊地(7:00)→明星山(8:30−2:30)→雨飾山登山口→白馬村→鬼無里→戸隠→笹ヶ峰(19:00)
6/13 泊地→登山口(8:30)→火打山(11:00-11:30)→登山口(14:00)→池の平温泉→上越IC→京都
【概算費用】 一人9700円くらい???
【装備】 クライミングに関しては、ヌンチャクとスリング若干のみ→キャメロット、ナッツは必携
【食料】 6/12 朝:各自 夜:豚の冷しゃぶ、ビビンバ6/13 朝:サンドイッチ
【記録】 高嶋
足元の遥か下に清冽な水の流れが一筋走っている。そう、つい数時間前に僕らはあの川を渡ってきたのだ。沢の水は冷たく、渡渉するわずかの間素足で浸かっていただけでも足の感覚がなくなってしまった。しかしそれはもう何時間も前のことだ。今は川底から200mも上、灼熱の大岩壁の真っ只中にいるのだ。梅雨とは思えない強烈な太陽が背中を焼きつける。それから逃れることのできるような場所はこの岩壁を見渡しても一箇所としてない。登り始めてからずっと僕らはその熱い光線に晒されつづけているのだ。寝不足と疲れ、頭がぐるぐる回り出す。水分も思うように取れず、固形物はのどを通らない。唯一、心を慰めてくれるのは遠くに見える海谷の山々と川下から吹き上げてくる風だった。僕らは上部城塞の上のピナクルにいた。見上げると鷹の巣ハングをはじめ、大小多数のハングがぽっかり口をあけている。いつもなら登攀意欲を掻き立てるそれらの障害もいまや自分と全く関係ないもののように思えるのだ。
「もう降りるか?」いつになくばて気味の岡田君に話しかける。もとより彼は反対するはずもない。というよりさっきから一刻も早く降りたそうだったのだ。考えてみれば、もう最初から終わっていたのだ。これ以上進んでどうなるというのだろう。
金曜の晩、今回は珍しく前日に準備をしておいたが、やはり慌ただしいことはいつも通りである。晩御飯を取る時間とてなく、マクドナルドでハンバーガーを買って、車の中でほうばりつつ長岡京へ向かう。美智さんを拾って京都に戻る。もう集合時間の9時を過ぎている。出町柳で仁田原さん、長田さんを拾い、我が家の駐車場で岡田君と合流する。買い物などをしているうちにどんどん時間が過ぎ、高速に乗ったときには10時を回っていた。北陸道は車が少ないので運転しやすい。糸魚川には予定通り2時に到着、そこから30分で小谷温泉と計算していたが、これは見当違いだった。以前、富永さんと来たときに小谷温泉から糸魚川までタクシーで1万円以上かかったのだから、よく考えればいくら飛ばしても30分でいけるわけがない。雨飾の登山口についたのは午前3時すぎだった。星のきれいな夜だった。テントを張ったが、僕は車でねた。
午前6時起床。とても寝た気がしない。しかし天気は良かった。女性3名を残して僕ら2人は明星山へ向かった。明星山南壁は石灰岩としては桁外れに大きい。2年前、雨飾の山麓をさまよっているときに遠くからぼんやりと望まれたが、間近でみるとすごい迫力だ。寝不足で食欲はないが、むりやりおにぎりを押し込んで岩場に向かう。峡谷の腹を縫うように走る道路の真向かいに岩場がある。まず道路から荒れた斜面を下る。春は増水で渡渉できないことがあるという姫川だが、この日の流れは穏やかだった。水はとても冷たくて1分と足をつけていられない。素足になって対岸に駆けわたる。渡り終えたころには足の感覚がなくなっていて、石ころの上で足踏みして感覚を戻さねばならなかった。渡渉地点から壁伝いに川を下り、泥の詰まったルンゼを登りきったところがキャプチュードの取り付きである。わずか数十メートル登っただけで汗が噴出す。見上げれば巨大な白い岩が、太陽の光を受けて輝いている。石灰岩だから白くてまだましとはいえ、やはり暑そうだ。さいわい誰も来ていない。岩場を独占できることの代償がどれほど大きいか、そのときは知る由もない。
じゃんけんで僕が先にリードすることが決まっていた。おちつかない外傾テラスで登攀の準備をする。全ピッチをオンサイトするための最初の関門がこの1ピッチ目(5.11a, 20m)である。自信はあった。チョークのついたゲレンデと違ってホールドの見極めとラインの読みが難しい。オンサイトへの意欲は高く、何度もいきつ戻りつしながら高度を稼ぐ。細かいホールドの連続で、ウォーミングアップもなかったことから早くもパンプする。あとボルト1本というところでまたもや行き詰まる。何度も登り下りしてハング上のホールドを探る。ラインが読めない。すでに20分近くが経過していた。体力も限界にきている。行くしかない。直上するラインをとった。ハングを越え、足を上げて左手を決める。それほどわるくはない。しかし右手がない。遥か上のホールドらしいところに飛びつこうと右手を伸ばしたとき、バランスが崩れて左手が抜けた。スルスルっと5mほど落ち、気がつくと空中にぶら下がっていた。頭の中は真っ白だった。事前の申し合わせでは、もし落ちたら、その時点から下りてトップを交代し、パーティとして全ピッチオンサイトを目指すつもりだった。しかしこれから下りてまたこのピッチをフォローする気力がなかった。緊張が切れて、寝不足と疲れ、のどの乾きが一気に感じられた。すぐ目の前の終了点めざして力のないトライを繰り返す。結局ボルトよりずっと右のラインが正解だった。ムーブ自体はそれほど難しくなかった。終了点についてセルフビレイをとった瞬間、汗がふきだす。水がほしかったが、岡田君が登ってくるまで飲めない。頭はぼーっとしている。このピッチのリードに30分もかかってしまった。2ピッチ目(5.10c, 25m)は難なくこなす。3ピッチ目は易しいフェース。4ピッチ目、途中の小ハングで岡田君がロープを握ってしまう。これで2人ともオンサイトを逃したことになるが、もうそんなことはどうでもよかった。5ピッチ目、下部城塞の突破。前傾気味の垂壁をいまにもはがれそうなフレークを使って抜ける。フレークがはがれそうで怖かったが、ムーブ自体は快適だった。下部城塞の上は傾斜が落ち、ようやく腰を下ろしてビレイすることができた。上部城塞の基部までは、いろいろルートがとれそうだが、支点が見当たらない。ナッツとキャメロットを持って来るべきだった。右へ右へとトラバースするが、ビレイ点がない。岡田君が一旦ピッチを切った。ルートは城塞の真中ほどを左上していくはずだが、そのあたりにピンが見当たらないのだ。近くまで行ってさぐりたいが、ヌンチャクしか持ってきていないので、もし行き詰まったら大変なことになるから無理はできない。古い人工ルートのボルトに支点を取り、上部城塞の右端を越える。上部は潅木帯だった。ルートから外れたのは明らかだが、この装備ではどうしようもない。本来のルートに戻るべく、潅木の生えたバンドを左上する。僕がフォローしていくと、岡田君が更に向こうのピナクルにビレイ点があるようだというので、僕がそこまでロープを伸ばした。確かにビレイ点があり、しかも2人が腰を下ろして休める場所だった。とにかく休憩が必要だった。8時半に登り始めてからすでに4時間経っている。あと5ピッチ。トポをよくみるとさっき岡田君がビレイしていたところが、ルート図の9ピッチ目とりつきだった。またあそこへ戻らなければならない。・、・級程度のピッチならともかく、5.10くらいのピッチをテンションかけずに登ろうとすると、惰性では登れない。テンションをかけて登っても、この岩場では意味のないことのように思われた。最後の関門である5.11a, 10mはまだ遥か上にある。海谷の山にはまだ雪が残っていた。時折ふく風が気持ちを和ませてくれる。しかし風が止んだ途端、現実に戻される。そう、堪え難い眠気と暑さ。
「もう降りようか?」
もう登らないとなると、水が自由に使える。あまり食欲はなかったが、おにぎりを水と一緒に流し込む。夏にマルチピッチなんか行くもんじゃない。まるで生き地獄だ。これが2人の一致した意見であった。
懸垂の支点は極度に悪い。どのスリングも古くて今にも切れそうだ。捨てスリングを持っておらず、かといってヌンチャクを残置するわけにもいかないから、びくびくしながら懸垂する。このルートは果たして登られているのだろうか?川底にたどりつくや、川の水を浴びる。冷たくて気持ち良い。道路までの登り返しは思っていたよりもきつい。2時すぎ、ようやく車のところに戻ってきた。後片付けをしていると、駐車場の脇にある岩に登りたいと岡田君が言い出した。そこの岩にはボルトが打ってあったのである。早くゆっくりしたい僕はいやいやビレイをする。1本目にクリップしただけで、敗退した。こんな日は休むに限る。もう雨飾パーティは降りている頃だ。登山口へ車を飛ばす。この時点で翌日のクライミングは選択肢から消えていた。朝、小谷温泉から降りて来る時にみた白馬の白い峰々が僕の脳裏に焼き付いていた。久々に高い山に登りたい、そんな衝動に駆られていた。そしてそれは妙高をおいてほかにはなかった。
3人はもう降りて来ていた。小谷温泉で露天風呂にはいる。ブナの林のなかで入る露天風呂は格別だ。体を洗えないのが玉に瑕だが…。全員の意見を聞くこともなく妙高高原へむかう。風呂で聞いた情報では、いま通行止めになっている小谷から妙高にぬける林道は今年の7月に開通するらしい。148号線を白馬村まで下り、そこから鬼無里、戸隠、黒姫を経て妙高へ入る道を取らねばならない。かなり大回りになる。いま4時半、暗くなる前につけるだろうか?
高原のドライブは楽しかった。これほど開放的な気分になったのは久々のことだ。このまま溶けてしまいたかった。緑が美しく、空気は澄み渡っている。今朝の悪夢のような登攀のことはすっかり忘れてしまっていた。岡田君も上機嫌で、もはや手のつけられない状態だった。夕闇が迫っていた。妙高から笹ヶ峰へと続くカーブの多い道を上がる。この道は思い出深い道だ。僕はここを何度歩いたろう?
笹ヶ峰には「京大ヒュッテ」があり、山岳部が運営している。一回生の夏、僕もそこにいた。バスの便は少なく、駅からはヒッチか歩きで小屋まで行った。買いだしのときも同様である。妙高は美しいところで、ことに朝はすべてが輝いて見える。時間の空いたときには草原を散策するのが日課だった。毎日毎日妙高の山々を眺めていたが、登れないのがつらくてたまらなかった。一度だけチャンスはあった。京都女子大学のワンゲル部がヒュッテに泊まりに来て、下っ端の僕はガイド役を命じられたのだ。登山道を登ってもしかたないので、黒沢という沢を詰めることにした。彼女らに沢の経験があったのかどうか、もう覚えていない。黒沢はやさしい沢ではあるが、時間がかかった。最後は湿原が僕らを迎えてくれたが、もう昼を過ぎていた。妙高に登るのはあきらめなければならなかった。以来、何としても登らねばならないと思いつづけていた。みんなには言わなかったが…。
気持ちの良い草原のうえでテントを張り、食事の準備をする。高原の夜は寒い。天気が思ったよりよくて、星空が広がっていた。美智さんが用意した夕食がまた素晴らしかった。みんな「さだまさし」ネタで盛り上がっていたが、僕はほろ酔い気分で気持ち良かった。翌日は、僕と岡田君が火打へ向かうことになっていたが、女性パーティのほうはなかなか予定を決めかねていた。結局決まらないまま就寝した。
爽やかな高原の朝。朝食がまた最高だ。このときの気分はどんな言葉をもってしても陳腐にしか表現できないだろう。そのまま草原に溶け込みたかった。8時すぎに登山口まで移動して、準備をする。僕と岡田君が先行し、女性パーティは行けるところまで行くということになった。火打を選んだのはコースタイムが若干短かったからで、妙高はまた次だ。林の中の長い道が黒沢に出会うところで休憩する。そこから先は急登が続く。どんどん人を抜いて行くが、このあとの運転のことを考えるとペースを上げ過ぎる訳には行かない。やがて雪が現れるようになった。稜線近くになると、あたり一面の雪で、まるで春山を歩いている気分だった。ジョギングシューズでは少し歩きにくい。高度が上がるに連れて美しい景色が広がって行く。9時40分すぎ、高谷池ヒュッテにつく。ここでしばしくつろいで、10時すぎに火打へむけて出発した。池はまだ雪の下、僕らは白い平原を歩く。天狗の庭はほんとうに美しいところだ。花の咲く頃はさぞかし綺麗だろう。頂上では写真を撮らなかったが、ここでは2枚ほど写真を撮った。あまりに気持ちがいいので、2度も休憩を取ってしまう。11時、頂上に到着。30分ほど休んで下り始める。10分も下らないうちに仁田原さんに出あった。途中から一人で登って来たと言う。頂上まで行けば、と勧めたが下山時刻を気にして結局登らずに降りてきた。ヒュッテからは3人で抜きつぬかれつ下る。仁田原さんは先頭にたつと、猛スピードで走り出した。僕はずっとセーブしていたが、このときばかりはマジになっておっかけた。しばらくして美智さんと長田さんに合流した。みんなで休憩してからは、めいめい勝手に下山した。僕は途中、ひとり道から外れて、沢で休んだ。とまった途端、ヒグラシのどことなく寂しげで眩暈を起させる、あのなつかしい響きが身を包んだ。ときおりウグイスがコーラスに参加した。ブナのきらめき、沢のせせらぎ、じっとしているといろんな音や光が感じられる。森は一つのオーケストラだ。2時すぎに下山し、帰り支度をする。再び高原の愉快なドライブをたのしんで、温泉に入る。温泉に入ると疲れがどっとでてきた。これから京都まで運転しないと行けない、そう思うと気が重くなる。上越までは国道をひたはしる。途中で食事をするつもりだったが、ナビの判断ミスでくいはぐれてしまい、高速に入ってしまう。いきなり対面通行だったが、すこし体がらくになってきた。有磯海で食事を済ませ、そこからノンストップで京都まで飛ばす。美智さんを送って家に帰るともう日付がかわっていた。
仁田原嬢激烈沢デビュー ![]()
【山域】 南紀
【記録】 高嶋
【期日】 1999.8/20-22
【天候】 晴れ
【目的】 関西屈指の名渓に挑む
【メンバー】 高嶋、河原、角谷、仁田原
【日程ルート】
8/20 京都→森林公園
8/21 泊地→上葛川(自転車デポ)→立合川取付→立合川(泊)
8/22 泊地→笠捨山→上葛川→(立合川取付・車回収→)湯泉地温泉→大和高田→京都
【概算費用】 3236円
【装備】 沢用具一式、登攀具:ロープ30m*2、ナッツ、ハーケン、アイスハンマー、ジャンピング
【食料】 21夜 炊き込みご飯、豚汁、ビール22朝 ご飯、味噌汁
8/20 9時に京都駅集合。天気は何とか持ちそうである。時々雨がぱらつくが、道はほとんど乾いていた。十津川村に入った辺りで、また雨がふり、今度は止まないばかりかきつくなる一方。増水の不安が頭を過る。芦廼瀬川に行ったときに目をつけておいた森林公園にテントを張る。道の上の小さな東屋の横にテントを張ったのだが、道の下には広くて快適な東屋(かなり広い)を翌朝発見してがっかり。
8/21 激しい雨に地震が加わり、心配だったが、朝起きると青空が覗いている。すっかり気分もよくなり、増水のことなど頭から消えてしまう。上葛川に自転車をデポし、立合川の取りつきまで車を飛ばす。トンネル横の駐車場で腹ごしらえをし、準備を済ませて、8時すぎに出発。川ははるか下にあり、しばらくは左岸の林道を行く。あまりゆきすぎると第1ゴルジュが終わってしまうので、適当なところで沢へ下る。ナメのルンゼを下るが、最後は懸垂をすることになった。いきなり滝がある。第1ゴルジュ最後の3m滝だ。沢が初めての仁田原さんと河原さんは右岸を巻くが、僕と角谷くんは釜に飛び込み、シャワークライム。水はそれほど冷たくなく、気持ち良いことこの上ない。岩が滑りやすいのが気になるくらいだ。沢はすぐに穏やかになる。よりきや淵滝手前の釜も泳ぎ、滝は右岸を巻く。巻き終わるとナメ。ナメはいつ来ても楽しい。このナメは鉄橋の上からも望まれる。
両岸が立ちはじめ、第2ゴルジュの始まりだ。釜や淵は徹底的に泳ぐ。いくつか滝を越えると、2段の銚子滝があらわれる。ここにはなぜか対岸へロープが張り渡されている。カラビナでロープと体をつなぎ、流れの早い淵に飛びこんで対岸へ泳ぎ渡る。爽快だ。ここからは左岸を大きく高巻くのだが、巻き口ははっきりしない。急な斜面を登ろうとするが、荷物を持っては行けず、空身でロープを引きながら登る。結構きわどい。その上も、あまりよくなく、ぼろぼろの岩の弱点を、これまたロープを引きながら登って行く。さすがに仁田原さんはテンションがかかるが、それでもしっかり登ってくる。トラバースして岩稜の頭に出ると、車を置いてある鉄橋が見えた。もう11時になろうとしているが、まだほとんど進んでいないことがわかってがっくり。そこからの下りは決してよくはないが、ロープを出すまでもなく、ルンゼの横を下って沢に出る。下りたら昼飯、と思っていたが、なんだか変な臭いが立ちこめていたので先へ進む。すぐに滝があらわれる。ぬたの滝だ。臭いの元はこの釜らしい。右岸を高巻くが、容易だ。ナル谷から落ちる巨大で美しい滝が見えると、第3ゴルジュの連瀑である。これは右岸を巻くが、急峻なルンゼに行く手を阻まれ、上へ上へと登って行く。旧木馬道に出て、50mほど歩いてから下る。最後は若干急だったが、お助け紐でしのぎ、懸垂はしなかった。巨岩帯を抜けたところで昼食を取る。沢の定番、そーめんだ。4人で10把、お腹が一杯になる。角ちゃんは、素麺を作っている間、釣り糸を垂れるが成果は無い。魚影は薄く、イワナ、ヤマメはついぞ見かけなかった。
歩き出してしばらくして第4ゴルジュ。このゴルジュは素晴らしかった。幅は所によって3mほどになり、中に小滝を交えながら、延々と続くのだ。斜瀑を越えると長い長い淵がある。遡行図では、左岸を巻いて懸垂下降とあるが、それは10月下旬に遡行したからであって、夏の盛りにそんな野暮なことをしてはいけない。とはいえ淵はながいので、しばらく巻いて、懸垂下降点から一気に淵へ飛び込む。これが気持ち良い。たまらずもう一度懸垂下降点まで登って、二度目のダイブを楽しむ。仁田原さんは(眼鏡をしているせいか、こんな連中につきあってられないからか、でも懸垂をさせてくれないので)淵を泳いでくる。そのあとゴルジュはややひろがるものの、美しいナメがゴルジュの中に展開し、まさに極楽である。泳ぎ、シャワークライムを存分に楽しむと、やがて谷が開けてゴルジュが終わる。僕はこのゴルジュだけ登りにもう一度ここへ来てもいいと思っている。それだけの価値は充分にあるだろう。
エキサイティングな遡行は一転して平凡な河原歩きとなる。右手には心地よさげなビバーク地が広がる。谷の上にかかる朽ち果てた吊橋がようやく単調を救ってくれると、やがてうしお滝(この滝は登山大系ではずっと上流にある)だ。圧倒的な見かけとはうらはらに、巻きは至極容易で、右岸のルンゼから尾根を越えて落ち口に出る。谷はまた穏やかになり、河原が続く。河原歩きにうんざりしたころ、両岸が険しくなって、巨大な釜をもつ滝があらわれた。遡行図では右岸を巻くとなっている。両岸とも厳しそうで、どこから巻いたらいいのかわからない。右岸もなかなか登れそうなところは無いが、釜を泳いだ向こう側に登れそうなルンゼがある。ひとまず僕が泳いで様子を見に行った。傾斜はさほどなく、どうにか登れそうだ。みなを呼び寄せて、ロープを引っ張りながら登る。チムニー状からトラバースするところが非常にいやらしい。手足の置き場はすべて苔のじゅうたんで、いつ崩れ落ちてもおかしくない。気味が悪いので、ザックを置いて、確保をしてもらい、そのきわどい部分を越えた。そこを越えても、安心できる支点が少しもない。慎重に登り立ち木でビレイ。その上はなんともなく、一旦稜線にでる。一山越えてから、ルンゼを下りかけるが、そのルンゼを下りてもまだ滝の手前だということがわかり、登り返す。対岸を望むと、遥か下の方、岩壁の間に緑のバンドが伸びている。あそこも行けそうだ(しかもずっと下から巻けそうだ)。帰ってから、遡行図と解説をじっくり着き合わせて見ると、その滝は左岸が正解であった。遡行図の巻き道は、なんと描き間違いであることがわかったのだ。普通ならばゴルジュを巻くにしても、どんづまりの滝まで行ってから引き返すのだが、今回は時間を稼ぐために巻けるところは遡行図を見てずいぶん手前から巻くことにしていた。他の全てでこの試みは成功し、時間を短縮できたのだが、ここに関しては失敗だった。遡行図に頼り過ぎず、地形をもっと冷静に判断する必要があった。
この高巻きにはひどく時間を費やし、それまでコースタイムを上回るペースで来ていたのに、追い越されてしまった。ナメを歩いて長い河原。もう足があがらないほど疲れており、全体のペースも落ちている。適当なところで泊まる。この場所でのビバークは予定通りである。到着は5時半と若干遅くなった。すぐに泊まる準備をして、ビールで乾杯。前夜、寝不足気味の僕は一足先に寝る。
8/22 タープを張っただけだったので、雨が心配だったが、全く降らず、晴天の朝を迎えた。体は疲れているが、気持ちは充実している。6時半に出発して、すぐに出てくる淵をひと泳ぎし(約一名)、第6ゴルジュの連瀑を仰ぎ見る。これは迫力満点、右岸を巻く。ここも悪い巻きで、仁田原さんのためにロープを出す。岩のバンドをトラバースして、稜線にでると、植林の杉木立であった。尾根を越え、歩いて沢に降り立つ。ヒジキ谷やケヤキ谷が左岸から流れ込む。遡行図では涸谷となっているが、今回は水が流れていた。第7ゴルジュは左岸をあっさり巻き、ついであらわれるスラブ滝もまた左岸をあっさりと巻く。ここは飛びこみができそう。高さは15mくらいある。美しいナメがしばらく続くと、第8ゴルジュが始まった。岩間4mは左岸の苔むした岩を登り、釜の向こうに3m滝を見る。釜をへつって、水流の真横を攀じる。若干ホールドが遠い。そのまま左岸沿いに淵をへつり、対岸へ飛び渡る。先には大滝が控えているが、それには目もくれず右岸から高巻きを開始する。岩稜のたもとをぐんぐん上に追いやられてしまう。岩の切れ目から岩稜の上に出、そこから30m一杯の懸垂で沢に下りる。左へ谷を見送り、すぐに現われる連瀑は右岸を容易な巻きで越え、その後は次々と現われる滝と淵を快適に越えて行った。この辺りも美しいところだ。暗い廊下の奥に神秘的な滝がかかっていた。いつもなら見学に行くところだが、遠目に仰いだだけで巻きにはいる。一段上がったところから左へバンドをトラバースし、ルンゼを詰めて適当なところで左へトラバースして落ち口へ下りる。右俣谷を見送り、しばらくいくと水流がぐっと減って、やがて伏流となってしまう。
辺りを静寂が包む。静かな河原をひたすら歩く。遥か前方には稜線がかいまみえ、その上には青い青い夏の空が広がっていた。植林小屋を過ぎると奥の二股がある。右を取り、ややあって水のおとが聞こえ始めた。右に左に支流を分け、連続する二股をいずれも左にとると、谷は急にせりあがる。振りかえれば大峰の山容が目にまぶしい。次々と小滝をぬけて行くと、大きな滝が立ちはだかった。遡行図に言う涸滝10mだが、水は流れている。このあたりは遡行図には何の記載もない。右岸から巻く。当てにしていたルンゼはすぐにチョックストーンのオーバーハング状となっており、さらに左の尾根にとりつくしかなかった。これがひどい笹薮。岩が露出していたので、どんどん左、つまり滝とは反対の方向へ追いやられて行った。岩の弱点を抜けて、右へ右へとトラバース気味に下りて行く。相変わらずヤブはひどい。岩のバンドをたどってルンゼに降り立つ。滝の上部に出るには、さらに尾根を越えねばならないが、もうヤブは御免だったので、そのままルンゼを詰めることにした。が、ルンゼは稜線には出ず、その遥か下で形状を失い、ヤブの斜面に吸い込まれていった。右手に活路を求め尾根を越えるとまたルンゼがある。涸滝2つを越え、ガレを詰めるとまたヤブ。しばらくヤブを漕ぐと、ひょいと稜線の道に飛び出た。道とはいってもすぐに両側からヤブが覆うようになるが、それでも道がある分、なんということはない。笠捨山東峰のパラボナアンテナに出る。コースタイムよりずっと早く、12時半だった。
そこで共同装備をみなに渡し、僕は一人先に下り始めた。急斜面を下ったあとは、延々と長いトラバース道を走りを交えて下っていく。2時に自転車のデポ地に到着する。自転車を組みたてて、車を取りに行く。この行程はしんどいのではないかと思っていたが、とても心地よかった。十津川の村々は何か懐かしいものを感じさせる。僕は山村の故郷を持たないけれども、最近では「萌えの朱雀」で見たような、昔懐かしい風景であった。ほぼ下りで自転車を漕ぐ必要も無い。夏には欠かせないヒグラシのカナカナという声も耳にこだまする。あっと言う間に自転車のところに着いてしまう。わずか35分の楽しみであった。下山口に戻ると、3人とも下りて来ていた。お決まりの温泉に浸かってリフレッシュ、晩御飯は五条の豚珍館(黒蔵へいったとき入り損ねた所)で。味に就いては可でもなく不可でもなくといったところだが、おばちゃんがおもしろかった。僕と角ちゃんは定食を頼んだのだが、しばらく経ってから「ご飯は大盛りにするか、それともチョー大盛りにするか」と聞いて来た。お腹の減りはもうピークを越していたので大盛りにしておいた。すると、バイトのねえちゃんが、一旦ついであったご飯の上にどんどんご飯を押しつけて盛り上げて行ったのである。これには一同苦笑。大和高田で角ちゃんと仁田原さんを下ろして、10時すぎに京都に戻ってきた。
![]()
【期日】 1998.3.13〜3.16
【目的】 冬の黒部を体験冬壁に挑む
【メンバー】 L.高嶋 岡田や
【日程】
3/13 京都(11:00)――大町――日向山ゲート(16:30ar/17:00st)――扇沢(19:30)――黒部ダム(21:00)
3/14 黒部ダム(6:30)――内蔵助谷――丸山東壁とりつき(7:30ar/8:00st)――洞穴テラス(?)
3/15 洞穴テラス(6:00)――最終ピッチ(16:00)――洞穴テラス(18:00)
3/16 洞穴テラス(6:00)――とりつき(8:00)――黒部ダム(12:00ar/13:15st)――扇沢(14:30)――日向山ゲート(16:30)――大町(温泉)――中津川(20:00ar/20:30st)――京都(24:30)
【概算費用】 車代 \12450(高速)+ガソリン代 食費 \1400 (3/14-3/16分*α米、ガスは残もの) 計 約24,000円(2人分)
【食料】
3/13 夜 レトルトカレー、サラダ、ビール 3/14 朝 もちいりチキンラーメン 夜 マカロニスープ 3/15 朝 もちいりチキンラーメン 夜 α米、みそ汁 3/16 朝 棒ラーメン 昼 α米、みそ汁、棒ラーメン(在庫一掃)紅茶5袋、砂糖スティック10本、コーヒースティック5本
【記録】 高嶋
3/13 出発当日、8時起床、朝食をそうそうにすまして準備を始める。忘れ物がないか心配だ。10時にいづみやへ行き、行動食や食料の買い出し、そしてとにかく荷物をそのまま車に詰め込んで11時前に家を出発した。岡田くんを拾って、杉山さんからシーバーを渡してもらい、なんやかんやで東インターに入ったときには12時になっていた。途中駒ヶ岳サービスエリアで休憩し、遅い昼食をとる。大町には4時頃到着。駅で登山届けを提出し、日向山のゲートにむかう。すでに習志野ナンバーの車が一台止まっていた。急いでパッキングを済ませ、5時に歩き出した。ここから扇沢まで延々と車道を歩かねばならない。そのうち雪が降り出してきた。除雪も途中で終わっており、運動靴をデポしてラッセル開始。とはいえくるぶしくらいまでだからたいしたことはない。それより荷物が重くて仕方ない。今回はだいぶ削ったつもりだが、やはりそれでも重い。精神的重圧からか声も交わさず黙々と歩く。やがて扇沢に着く。電気が煌々と照っており、何か周りから浮いている。そして驚いたことに黒部ダムのトンネルは明かりがついていた。我々はてっきり真っ暗なトンネルを6キロも歩かねばならないと思いこんでいただけに、すこし気が軽くなった。しかもトンネル内は外に比べて暖かく、もちろん雪も降っていない。ゲートの裏には乳母車がおいてあった。岡田君が府立大学の富沢くんから聞いた話では、左京労山がデポしてあって、これに荷物を載せてアプローチするのだという。さすが黒部に通い慣れた山岳会だけのことはある。そういえば、僕らと同じ日に左京労山の野村・富沢パーティが丸山の3ルンゼに入る予定だったが、この天気ではルンゼは厳しかろう(実際、中止にした模様だ)。トンネルは最初上り坂。ずっと登りかと思ったら、1キロほど行って水平になった。とにかく長かった。黙々と歩く。富山県に入ったところで一度休憩する。1時間ちょっとでトロリーの駅に着く。すでに先客がいてテントを張って寝ている。ここはトイレ、水もあり、まさに別天地。黒部のただ中にいることは全く感じられない。コンビニで買ったレトルトカレーと同じくコンビニでかったサラダを食べる。僕らはツェルトしか持っていないので、マットをひいてそのまま寝る。
3/14 4時起床。東京のパーティに教えてもらった出口から外にでる。まだ薄明るい。いままで上から見下ろすことしかなかった黒部別山、意外と細い黒部川の流れ、初めてみる黒部は、とても新鮮だった。ほとんど雪でふさがれた出入り口から雪面を一気に下って黒部川に降り立つ。コンクリートの橋を渡ったところでわかんをはく。雪は思ったよりしまっている。これなら早くつきそうだ。両岸は見上げるばかりの絶壁、とくに赤沢岳がすごい。廊下の底を、堅い雪を踏みしめながら快調にとばす。内蔵助谷の出合で黒部川と別れ進路を西にとる。そこから少し行くと丸山東壁の黒々とした大岩壁が目の前にこつ然と現れた。これがそうか…。写真ではいやと言うほど見ていたが、実際目にすると迫力が違う。気持ちが高ぶってくる。8時前に取り付けたので、ひょっとして今日中に抜けれるかもと甘い期待を抱きながら登攀を開始する。まず冬壁初体験の岡田君がリードをかってでた。夏の1ピッチ目はほとんど埋まっており、実際には2ピッチ目の20m、・が最初のピッチである。ビレイしている間に東京のパーティがやってきた。話を聞いてみると雲表倶楽部の三浦さんで、松田さんのことも知っており、いろいろ近況を尋ねていた。1ピッチ目をフォローする。久々の冬壁、まだ慣れておらず怖い。初めてでよくいったもんだと感心しながら登る。次は松の木テラスまでのトラバース、ロープの流れを考えて一旦ピッチをきる。このトラバースは結構びびるが、よく探せば支点が適当にあるので安心だ。松の木テラスからの人工のピッチも僕がリードする。はじめの方の支点が遠く、バイルを使ってやっと届くくらいだったので、荷物は残置して空身でリードする。垂壁が終わるとブッシュ。荷揚げがあるので早くピッチをきりたいが、いい灌木がなくずるずるとあがっていく。荷揚げはかなりてこずった。つぎはブッシュ帯から岩稜を経て、雪稜手前のブッシュまで。岡田君がリードし、荷揚げする。雪稜は・級なので荷物を持っていく。細い雪稜で雪の状態はかなりわるく、ずるずると潜り込む。そのまま落ちていきそうな気がして気持ち悪い。雪稜から岩に移るところには大きな空洞があり、気を使う。ここを乗り越すのに、支点なしではこわいので、支点を探すが見つからない。リスを見つけたのでナッツをセットすることにする。ナッツは岡田君が持っていたのでロープで送ってもらう。そこをクリアーし、細い灌木でビレイ。次は時々人工を絡めながら斜上、ボルト2本でビレイ。もうかなりいい時間だ。洞穴テラスまでが精一杯のようだ。7ピッチ目は人工主体のルート。順調にあがって行くが、途中で詰まってしまった。それまで適当な間隔でピンが打ってあったのに、一カ所だけ非常に遠いのだ。あぶみの最上段に乗っても届きそうもない。こんなメジャールートでこんなことがあるはずはないと必死にピンを探すがやはりない。見つけたのは頭がとんだボルトの残骸だった。ハーケンを打つところもなく、ボルトを打つしかない。一旦降りて荷物を下ろし、ジャンピングを取り出す。ここで初めて水と食べ物を少々口にする。幸い岩はやわらかく、10分くらいでボルトがセットできた。ゆっくりと体重をかけ、次のピンにぬんちゃくをかけた。岡田君が疲れているようなので洞穴テラスまでのピッチも僕がリードした。もう暗くなってきている。洞穴は結構広くて快適そうだ。予定より大幅に時間がかかったのには様々な原因があろう。最大の原因は僕があぶみを一つ忘れたことにある。幸いユマールを持ってきていたので代用するが、とてもあぶみ2つのスピードには勝てない。カラビナも少なかった。また岡田君に荷揚げのシステムを説明しておらず、荷揚げに時間がかかったこと、冬壁が久々だったことから要領を思い出すまで時間がかかったことなどが重なり合ったようだ。予定が遅れたことから食料を食い延ばす作戦をとることにした。ご飯とマカロニスープの予定をマカロニスープのみにする。行動食はほとんど食べていないので足りない分はそちらでごまかす。また嗜好品も極度にすくなく、紅茶が5回分、コーヒーが5回分しかなかったので、行動用には砂糖水にし、紅茶、コーヒーは朝晩に1回ずつのんだ。しかし冬の黒部のまっただ中にいるという実感、満足感で惨めさは感じない。ここは下界と完全に隔離されている。街の灯もまったく見えず、周りには山があるのみ。聞こえるのは雪崩と風の音くらいだ。この日はあまり冷え込みもなく、壁の中とは思えないほど熟睡した。
3/15 朝から降雪。4時に起床して6時過ぎに登攀を開始する。岡田君からリードを始める。最初はいきなりかぶり気味のチムニー。ワンポイントの人工で通過し、テラスを経由してもろい凹角を抜けたところでピッチをきる。次は回り込んで草つきを右斜上だったが、僕は直接抜ける。結構難しかった。テラスから垂壁の人工。ここは支点が今ひとつだ。だましだましのぼっていく。凹角の途中でビレイ。凹角を抜けたところがテラスだ。ここで一息つく。テラスを右へトラバースすると、ビバークに最適な台地がある。そこをも通り過ぎてカンテの直前から長いピッチをリードする。核心のチムニーが見えたところでビレイする。チムニーのとりつきまでは夏ならくさつきのトラバースだ。チリ雪崩が頻繁に起きている。岡田君がそこをリードするが、一度チリ雪崩につかまった。一瞬姿を見失ったが、彼はその場にはりついていた。核心のチムニーの最初は氷が詰まっている。おそらく夏だったらチムニーの中に支点があるのだろうけどいまは氷があるのでわからない。最初の支点まではかなり遠かったが、アイスクライミングっぽくて(氷はぼろぼろだが…)おもしろかった。右へ人工でトラバースして、垂れ下がった木を人工でよじ登るのだが、雪で支点が隠れて掘りだすのに一苦労だ。木は氷が着いていて滑りやすい。木を持つ手に力が入る。すぐにビレイしたかったが、いい場所がない。荷揚げが大変だろうなと思いつつ急なブッシュをどんどん直上する。体が濡れて寒い。荷物が上がってから暖かい砂糖水を飲んで体を温める。雪の方は止む気配がない。チリ雪崩の巣である・級の凹角もこれだけふかふかの雪がつくとかなり悪い。露岩の手前でピッチを切る。どうやら本日中にルートを抜けることができそうだ。問題はルートを終えた後のことで、岡田君の方は富沢くんが昨年行ったおり、ルート終了後も4、5ピッチはロープを出したということ、それにラッセルにかなり時間がかかりそうなことから同ルートの懸垂下降を主張したが、僕は丸山北峰経由を主張した。そちらの方が安全であろうということと、左岩稜を登ったからには頂上に行かないと意味がないと思っていたからだ。残すところあと2ピッチ、登ってから判断しようということにして、僕が露岩を回り込むピッチをリードする。夏場は・級、つまり歩いていけるようなこのピッチも冬は急斜面のトラバースとなる。木に座り込んでビレイをしながら次のピッチを観察する。寒さが身にしみて登攀意欲がわかない。最後のピッチはブッシュ壁から大木の密生した尾根へ抜ける・級45m。上部は結構雪が積もっている様子だ。もう4時近くだったので、もし懸垂するならいま決断しないと明るい内に安全地帯まで降りれない可能性がある。最後1ピッチだけ残すのも癪だけど、無事に帰ることの方が大事だ。懸垂は必ずしも安全とはいえないが、雪の状態を考えると最も速い下降手段であった。登ってきた岡田君に懸垂で下降することを告げ、彼にはそのまま降りてもらった。ロープが引っかかっても登り返す元気が残っているだろうか?支点はちゃんとみつかるだろうか?不安はあったが、順調に洞穴テラスまで下降できた。暗くなる寸前だった。昨日と違って寒さが身にしみる。どうやら寒気が入っているらしい。ぶるぶるふるえながら食事をする。体も濡れていて不快きわまりない。起きていても寒いだけなので、食事が終わるとすぐに横になった。
3/16 昨日とはうってかわって抜けるような青空が広がっていた。後立山の稜線もくっきりとみえ、全く別の山にいるかのようだった。天気で山はこんなに変わるのかと改めて驚く。こんな日に登ったら気持ちいいだろうなあと思うが、雪の中の登攀は快晴の日の2倍以上の価値があるんだと思うことにする。支点もすぐに見つかり、ロープも引っかからず、快適に下降する。約2時間かかって8時にとりつきにもどる。ようやく岩から解放された。わかんにはきかえて下り始めると雲表の人たちが壁の中から声をかけてきた。彼らはまだ登るらしい。黒部川までは一気に下るが、そこから膝くらいまでのラッセルだ。雪崩を気にしながら、新たに雪をまとった美しい黒部の河床を交代でラッセルしていく。とりのさえずりも聞かれ、この山奥の地にも春が近いことを感じさせる。ラッセルはきついものの、心ときめくような沢歩きだ。ダムの直下までは約2時間かかった。問題はそこからの登りである。水は一切ない。太陽はぎらぎら照りつけ、のどがやけそうだ。休憩の度に雪を口に入れるが、とても渇きをいやせない。10mくらい登っては交代した。たかだか百数十メートルの登りなのに絶望的に遠く感じる。2回目の大休止の時に人が見えた。関西電力の人らしい。入り口が閉まっているかもしれない(一つは雪で、もう一つはドアの鍵が)と少々不安だったので安心する。そしてようやく黒部のトンネルについた。12時ちょうどだからとりつきから4時間かかったことになる。行きの4倍の時間だ。もう終わった、とおもった。残りの食料を食べ尽くす。しかしまだ終わっていなかった。長い長いトンネルは疲れ切った体には試練以外の何ものでもなかった。足の裏が徐々に痛くなってくる。全身筋肉痛の身はザックに手を通すことさえ苦痛を伴うくらいだ。長い長いトンネルを1時間半かかって抜けた。しかしまだ車までは2時間も歩かねばならない。信州側は雪がちらつき、少し寒かった。こちらでも昨日は吹雪だったらしく、道には新たに雪が積もっていた。ここで道がわからなくなってしまい、うろうろするが、偶然にも仕事を終えて引き上げてくる関西電力の人たちが来て、道を聞くことができた。行きとはすこし別の道を通る。デポしていた靴を回収。久しぶりに靴下を脱ぐと、足の裏は真っ白になって、深い襞が走っている。痛いわけだ。ジョギングシューズに履き替えると少しはましだが、じわじわと体重をかけるとじわじわと痛むので、いっそのこと小走りのほうが痛みは少なかった。疲れたからだにむち打って小走りで駆け下りる。車には4時半に到着。大町市民浴場に入る。300円。岡田君が指の感覚がないというので見ると、どうやら凍傷らしかった。「凍傷」ということばを聞くと、いままで充実感に満ちあふれていた彼にブルーが入った。木曽福島で入院中の小谷野さんを見舞いに行かないといけないので、晩御飯はあとにし、花を買いにジャスコへ行った。ジャスコでは閉店セールをやっていて、すべてがむちゃくちゃやすかった。ブルーになっていた岡田君は目の色を変えて買い物を始めた。今晩はここの総菜ですますことにした。半額とか3割引とかのものが多く、ミニカツ丼、すしの詰め合わせ、メンチカツにお茶を買った。さらに一階で120円の特売ケーキを買う。豊科から塩尻まで高速に乗り、19号をぶっとばす。見舞いは7時までということだが、病院に着いたら8時前になっていた。まあとりあえず行ってみた。看護婦さんにきくと、起きていたら少し話をしてもいいということだった。病室は大部屋に代わっていた。彼女は奥の窓際に居たが、寝ているようなのでものをおいて帰ろうとすると目を覚ました。音楽を聴いていたらしい。しばらく話をするが、事故直後に来たときと比べると格段に元気になっていた。車に戻って車内で晩御飯とする。今回はさすがに家まで運転することができず、途中で2回ほど15分くらいの仮眠をとった。日付が変わって12時半に帰京。
戻る錫杖岳前衛フェース左方カンテ&焼岳ハイク
![]()
【期日】 1998.7.3〜5
【天候】 7.4 晴のち曇り時々雨7.5 晴
【メンバー】 L.高嶋、中野、伊藤
【日程】
7/3 京都発(21:30)→瀬田東IC(22:30) →槍見温泉(2:40)
7/4 槍見温泉(8:30)→錫杖前衛フェースとりつき(10:30ar,11:00st)→左方カンテ終了点(14:30ar,15:00st)→槍見温泉(17:00)→新穂高
7/5 新穂高→焼岳とりつき(6:30st)→焼岳(9:00ar,9:45st)→とりつき(11:10)→槍見温泉→京都(23:00)
【概算費用】 高速代 瀬田東―富山 \6450京滋バイパス \420 ガソリン代 (走行距離 880km) \17600 食費 \1400 一人あたり \8623
【食料】 7/4 朝:行動食、昼:行動食、晩:カレー 7/5 朝:行動食、昼:行動食
【記録】 高嶋
当初は、この週末か、次の週末に北アルプスへ行くことにしていたが、今週末は雨との長期予報を見て、すっかり来週末に行く気になっていた。ところが、早くも梅雨明け近しという予想外の天気の展開で、木曜日の晩に錫杖へ行くことが決まった。出発日の午前中に計画書を作成し、メールで配布、食料に至っては、仕事が終わってから午後6時半にようやく買い出しへ行くという始末。風呂に入るともう出発時間だ。8時半に中野くんを拾い、石山駅で伊藤君をひろう。瀬田東から高速に乗るのは、初めてとあって、なぜか京滋バイパスに乗ってしまい、逆走。先が思いやられる。次のインターで降りて、下道で瀬田東へ戻り、ようやく高速に乗る。至極順調に新穂高まで行く。駐車は有料という看板があったので、槍見温泉まで戻り、道端に車を止めて、車の中で寝る。
7時過ぎに起床。南のほうの天気はいいが、北の方はいまひとつ。だが、時間がたつに連れて天気はよくなり、出発の頃には陽がさしてきた。樹林帯の中を登る。無雪期の本チャンは実に2年前のヨーロッパアルプス以来となる。日本の山だといつ以来になるだろうか?日差しはきつく、暑い。長らく走っていないためか、体が重い。錫杖沢出合から見上げる前衛フェースは威容がある。ここまでに2パーティを抜かし、先頭に立った。どうやら一番にとりつけそう。錫杖沢はほとんど沢登り。水が心地よい。思ったより冷たくなく、上には雪渓が残ってなさそうだ。北沢にはいると、水も涸れる。前衛フェースが徐々に近づいてくる。とりつきで準備をして、登攀開始。最初は、ルンゼの中を行く。簡単。3ピッチ目、かぶり気味を越えると、ようやく周りが開けてくる。ピナクルを回り込んでチムニー直下のテラスでピッチを切る。この次のピッチは中野くんにトップを行ってもらう。チムニーを抜けると、快適なフェース。今度は伊藤君にトップをお願いする。久々のクライミングらしく、動きがぎこちない気もするが、さすがに以前やっていただけあって、無難にこなす。少し雨がぱらついてきた。大きなテラスからは、オフウィズス。1ピッチ分、計算間違いをしており、実はここが核心だったのだが、その1ピッチ手前と思って伊藤君に続けてトップを行ってもらった。核心をリードできなかったのは残念。チムニー登りをするというよりは、どちらかというとフェースだ。最終ピッチはリードさせてもらう。細かいが、快適なフェース。プロテクションの効きは若干甘い。ブッシュに入って終了。帰りは、懸垂下降するか、錫杖本峰の方へ縦走するかだが、ここから仰ぐ本峰は高く遠い。下のパーティが登ってくるのを待って懸垂下降することにした。登ってくるのは1パーティだけかと思っていたが、どんどん登ってくる。待ちながら懸垂下降したので、時間をくった。とりつきにもどって、沢を下る。登山道に出てからも結構長い。明日もまたここを登り返さなければならないかと思うと憂鬱になる。テントを上まで上げれば良かったのかな、いや、明日雨だったら、どうする、いろいろ考えているうちに槍見荘の横に出る。早速、露天風呂に入る(ちなみに混浴)。最高!今日の身の振りを考えるが、なかなか結論が出ない。とにかく新穂高まで行ってみようということになり、新穂高まで行くが、何も無い。雨も降ってきたので、軒下で食事の用意をする。食事の用意といっても、レトルトカレーなので、手間は要らない。ビールを仕入れてくる。1人あたりα米1袋にレトルトカレー220gが2袋。量だけは多いが、単調。しばらくカレーは食べたくない。コストはたったの200円。つまみの方が高かったが、腹がいっぱいでつまみにまで手を出せない。駐車場に車を移して寝る。
7/5 トントントンと窓をたたく声で目覚める。やばい!窓をあけると、やはり駐車場の管理人だったが、バスが来る前にどけてくれということで、料金は請求されなかった。よかった。時計をみると、まだ5:30だ。仕方なく槍見温泉まで車を動かす。温泉を覗いてみると、人が入っているではないか!僕と中野くんの二人で朝風呂と決め込む。最高だ。体もすっきりしたところで、ご飯を食べて、登山口まで車を動かす。準備をして、出発。起きてから結構時間がたったように思ったが、まだ6:30だった。硫黄のにおいが一面にたちこめる。アルプスでのハイキングもこれまた久しぶり。たまにはいいもんだ。西面ということもあって、太陽もあたらず、空気は清く、冷たい。伊藤くんが、やや疲れ気味だ。きっと朝風呂に入らなかったためだろう(?)2パーティほど抜かす。1時間半ほどで、峠にでる。ここはもう森林限界を超えて一面の草原。アルプスらしい風景だ。霞岳、上高地が望まれる。錫杖はまだ雲の中だ。ここから頂上まではほんのちょっとに見えたが、結構あった。あちこちで、白い噴煙が吹き上げている。頂上には新潟からきたという中年の夫婦がいた。360度の大パノラマ。乗鞍、御岳、穂高、槍、薬師が見える。南アルプス、富士山方面と笠、錫杖方面はガスに覆われて見えない。大正池が手に取るようである。しばらく、頂上を楽しんだあと、下山を開始する。それまで静かでいいやまだと思っていたのだが、人がどんどん登ってくるのにすれ違う。一体何人登ってきたのか、見当もつかないくらい多かった。北アルプスにある100名山だから仕方ないとはいえ、やはり静かな山の方が、僕は好きだ。静かなときに登れて良かった。休憩もせずに駆け下りる。11時すぎには、車に戻ってきた。荷物の整理をして、とりあえず一風呂あびる。今回は、川と温泉を往復した。冷たいのと熱いのと、いつまでも入っていられそうだ。ただ、体を洗うことができず、次は白骨温泉か、と考えていたが、伊藤くんが温泉はもう満足したというので、(彼はまだ会に入っていないという遠慮もあって)温泉のはしごは中止。では、何をするかということになったが、とくにこれといったものはないので、下道で帰ることにした。金沢を越えたあたりから、流れが悪くなり、後悔するが、あとのまつり。加賀市をすぎてから、ようやく順調に走り出した。敦賀でご飯を食べ、湖岸道路をぶっとばし、10時半に伊藤くんのすんでいる寮に到着。11時すぎに京都。帰りが長かった。
![]()
【期日】 1998.7.18〜21
【天候】 はれ
【メンバー】 L.高嶋、成田、津久井夫妻、富岡、尾上(ゲスト)
【日程】
7/18 京都駅発(20:00)→
7/19 恋ノ岐川出合(4:00ar/6:30st)→オホコ沢出合(16:00)→1274m付近(17:30)<泊>
7/20 泊地(6:30)→オホコ沢出合(9:30)→台倉清水(10:30)→姫の池(13:00ar/13:30st)→鷹の巣登山口(20:00)→
7/21 京都(5:00)時間の詳細は津久井報告を参照せよ
【概算費用】 高速代 行き \10750 帰り \11000 ガソリン代 \26000 (走行距離1300km) 食費 \5060 一人あたり \10362
【装備】 個人装備:下着、上着、ズボン、替え衣類、軍手、靴下、防寒着、靴、ヘルメット、ザック(50・以下)、シュラフカバー、シュラフ、雨具、ヘッドランプ(+替え電池)、洗面用具、マッチ、ライター、タオル、ローぺ、新聞紙、マット、食器、地図、コンパス、計画書、ナイフ、行動食、非常食、カラビナ(1,2)、シュリンゲ(1)、常備薬、水筒共同装備:ツェルト(2)、ロープ(7×15m1本)、ハーネス(3)、カラビナ(適宜)、エイト環(3)、ガスヘッド(2)、ガスカートリッジ(小2)、コッフェル(1セット)、カメラ(2)、食料
【食料】 7/19朝:行動食、昼:行動食 夜:かやくご飯、味噌汁、サラダ、デザート 7/20朝:ご飯、味噌汁、昼:行動食
【記録】 高嶋
いつものように、5時半に研究会が終わると、すぐさま買い物へ。夕食、風呂を済ますと、もう7時半。京都駅へ急ぐ。すでに全員集合しており、中川氏が見送りに来てくれていた。今回は天気もよさそうで、意気揚揚と出発する。途中で2度ほど花火をやっていたが、運転していた僕は見れなかった。翌朝3時すぎに小出インターをで、シルバーラインをひた走る。銀山平より、グネグネの山道を飛ばすが、育さんが酔ってしまい、徐行。恋ノ岐川出合には4時着。ここでみんなを下ろして、僕一人で待ち合わせの鷹の巣登山口へ向かう。夜があけてきて、湖上にかかる霧が美しい。何度か車を降りて写真を撮る。4時半に登山口につくが、尾上さんが見つからない。予想以上に車が多い。彼女のパジェロは修理中で、栃木ナンバーの白い軽自動車に乗っているという情報を頼りに、車で、徒歩であたりを探すが、ない。まさか、行き違いか、それとも急用でこれなくなったか?しかしここからでは連絡の取りようがない。待ち合わせ時間の6時まで待つことにした。6時前なっても現れないので、車で一回りしてこようと車に乗ったとき、彼女が前から歩いてきた。なんと昨日修理が完了していたらしい。道理でわからなかったはず…。ともあれ無事合流して、彼女の車で恋ノ岐川出合へ。出合の近くで、誰かこちらへ走ってくる。よく見ると津久井さんだ。寒くて寝ていられなかったらしい。ほかの人たちは思い思いに寝ていた。
朝食、用意を済ませて、7時半に出発。清水小屋までの「道」は思ったより悪い。しかも途中で消滅。入谷する。水はそれほど冷たくない。緑が美しい。広い川を思い思いに進んでいく。途中には小さなゴルジュや滝があるが、それほど変化はない。小屋のちかくのナメ滝ですべって遊ぶ。傾斜はゆるいが滑りやすくておもしろい。このあたりはナメの連続。光り輝く水がまぶしい。先程より大きなナメ滝が現れ、じゃんけんで負けた津久井さんがまず滑り降りる。あとはみんな思いのままに水と戯れる。ヤマケイの写真に出てきたゴルジュを抜け、三角沢出合の手前で休憩する。富岡さんがウナギ寿司をふるまってくれた。やがて、睡眠不足から睡魔が襲い、全員眠ってしまう。最高!体は寝たままだが、遡行を続ける。谷は確実に小さくなっていく。地図の1247m地点付近によい休憩場があり、また休む。そしてまた全員寝る。これでもここまで結構いいペースできた。ところが、この後くらいから、育さんの遅れが目立ってくる。谷はここから滝の応接に忙しくなる。が、いずれも簡単に登れるものばかり。楽しい遡行が続く。何度目かのゴルジュを抜けるとオホコ沢出合。4時になってしまった。このままでは、明日抜けるのは厳しいだろう。しかもオホコ沢の宿泊スペースは他パーティによって既に占拠されていた。仕方なく、オホコ沢上流と本流上流を偵察に行くが、いいところがない。もしかしてまだ張れるかもしれないと、そのパーティのテントの横を覗いて見るが、6人が過ごすには今一つ。そこで、やむなく2時間前に休憩した地点まで下ることにした。相変わらず育さんが遅れるので、僕と津久井さんと富岡さんの3人が先行して、宿泊の準備をする。ここはフラットで、開放的、なかなか快適なテント場である。ツェルトを張って、炊事開始。尾上さんは、キャンプファイアーのおねえさんをやっていた(やっている)だけあって、火につきっきりだ。ご飯もうまくたけ、衝動買いの野菜を組み合わせたサラダも好評で、楽しくご飯を食べた。10時すぎまで、焚き火のそばでだべる。ツェルトには全員入ることができず、僕はそとで寝た。星空を楽しむまでもなく、速攻で寝てしまった。
5時半起床。7時半に出発。朝の沢は気持ちいい。水は冷たいが、寒さは感じない。オホコ沢で休憩後、そのオホコ沢を遡行する。渓相は一気に源流部のそれとなる。関西の沢と違って明るく美しい。滝のシャワークライムを交えながら、快調に高度をあげていく。水がすくなくなってきて、そろそろ薮漕ぎか、と覚悟を決めていると、左手から道が降りてきている。それを登ると、平ヶ岳登山道の台倉清水というところだった。あっけない幕切れ。時間によっては、遡行終了後即下山しようかとも思っていたが、みんな遅くなっても平ヶ岳に行きたいというので、翌日どうなってもいい僕が反対するまでも無く平ヶ岳へ行くことが決まった。しかし尾根歩きとは、どうしてこんなに暑く、単調なんだろうか。緊張が切れて猛烈な眠気が襲ってくる。ただひたすらだらだらと登っていく。そして草原に出、台地をしばらく行くと、夢のような光景が広がっていた。丸くどっしりとした平ヶ岳を背景に美しい池が現れたのだ。姫の池というらしい。まるで舞台のように作られた休憩場で昼食とする。来てよかった。昨日オホコ沢に居たパーティが登ってきた。彼らは尾上さんと同じく農林水産省の人らしい。世界は狭い。しばらくして津久井夫妻も上がって来た。平ヶ岳まではしかし、まだかなりある。今回はもう満足したので、頂上は次回ということにした。来年の同じ時期にもう一度ここへきたい。今度は沢で1泊、姫の池で1泊というふうに、余裕をもって来たいものだ。1時半に下山を開始する。津久井さんが爪を悪くしたらしい。かなり痛そうだ。ペースを落とし、荷物を分散する。もう、朝帰りは必至の情勢になってきた。鷹の巣登山口に着いたのは8時前。もう暗くなっていた。そこから車のあるところまで走るが、実は結構距離があった。僕の車に全員乗り、恋ノ岐川出合に戻る。片付けをして、尾上さんと別れる。
高速に乗り、最初のサービスエリアに入る。さあ、久々の下界のめしだ、と意気込んでいたが、なんとレストランは閉まっていた。時計を見ると午後10時、当然か。呆然とするが、仕方なくファーストフード系のまずい飯で我慢する。このとき下山報告をしようと言っていたのに、あまりのショックで忘れてしまう。今度は富岡さんが運転、僕は後ろで爆睡。燃料がやばいという声で起きる。金沢の手前。成田さんに交替。とにかく燃料を入れれるところで入れようということになった。車が動くや、また眠りにつく。そして成田さんの「いかん、ガス欠や」という声で目覚める。そして車がとまった。片山津の少し手前。幸い近くに非常電話があり、責任を感じた富岡さんが電話。今月入ったばかりのJAFがいきなり役に立った。田んぼを眺めながら、JAFが来るのをまつ。費用は軽油の850円のみ。やはりJAFは心強い。気を取りなおして再出発。僕は再び熟睡。車が止まり、起きるともう大津だった。ここから僕に運転交替。京都には5時すぎに到着。まず富岡さんの車のところへいって、彼を下ろし、ついで、高槻へ行って成田さんを送り、最後に枚方へ向かい、津久井邸に一緒に上がりこむ。お風呂と豪華な朝食をいただき、そのまま帰ればいいものを、あまりにも気持ちいいのでだらだらと居座ってしまう。気がつくともう昼前。そうめんを食べ、午後出勤になった津久井さんを職場まで送って、1時半ころようやく家に帰る。