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駆け抜けてしまった芦廼瀬川

 

晴天の日曜日の昼、幾分憂鬱な気持ちで報告書を書いている。これがあと二時間前であれば満足に充ちた報告書となっていたことだろう。

78日のミーティングで沢へ行くと言ったところ、橋川くんが応じたので、二人であれば難しめの沢ということで最初は美濃の川浦谷と決めた。ミーティングが終わって小谷野さんと話していると、どうやら川浦谷はしょぼいらしいということがわかり、芦廼瀬川に行こうと決めた。その晩は例の如くお好み焼きを食べに行って帰りが遅くなったから、橋川くんには翌日連絡することにした。

79日、研究所では夏期講座と称する講演会が行なわれていた。一人目の講演だけ聞いて、そっと抜け出て家に帰り、準備をする。橋川くんにも連絡がついた。芦廼瀬川は通常一泊二日かけていくが、足並みが揃えば日帰りも可能ということで、夜行日帰りで計画した。その際、一番問題になるのは下山である。林道が20km近くあるのだ。ある資料では四時間かかるとある。七時間で抜けてもそこから四時間、つまり朝の八時に出ると晩の七時に車に戻るということになる。そこで一計を案じ、自転車を持っていくことにした。こうすれば時間が短縮できるばかりでなく、下山も楽しめるというわけだ。問題は今の自転車では心もとないこと。ブレーキワイヤーが半分切れており、かろうじてつながっているだけだ。八年前には一緒にチベットにも行った愛着のある自転車であるが、いい機会なのでそろそろ引退させよう。自転車屋を三軒まわって、ようやくいい自転車を見つけた。整備に一時間かかるということで、その間に家に帰ってパッキングをする。せっかく組みたててくれた自転車を、さっそく解体して車に積み込む。風呂から戻って橋川くんをむかえにいく。相変わらずというか、まだ荷物を広げてパッキング中であった。20分くらい待って出発。京大によって小谷野さんから荷物を受け取り、一路大峰へ。滝というところで林道に入り、目的地についたのは午前二時前。ビールを飲んで、寝る。

710日、予想どおりの快晴。朝食をとり、自転車を残置してとりつきへ向かう。8時すぎに谷に入る。おなかの調子がいまひとつよくない。水は澄んできれいだが、冷たい。今回はあわただしく出てきたので、留守本部も置かず、ルート図もコピーしなかった。仕方なく、エアリアマップだけ持っていったので、どの滝がどれで云々ということは皆目わからない。その方が冒険的で楽しかろうと思ったのだが、結果的には失敗だった。一つの理由は谷自体に冒険的要素がかけていたこと。まきみちはきれいに整備され、鎖がたらしてあったり杭が打ってあったりで、「未知」とは程遠い世界だった。北海道の鉢盛沢のようなわくわくした沢登りではなかったわけである。もう一つは後ではなすこととなろう。

最初の滝は整備されたまきみちに従って難なく越える。すぐにまた滝があらわれ、これまた整備されたまきみちを通って越えた。ガイドを読んだときの印象では泳ぎの連続のような沢かと思っていたが、全くそうではなく、ほとんど水につかることなく、ぐんぐん進むことができた。それというのもフジネと呼ばれる岩盤が発達しているからである。また水量が少ないことも原因していたのかもしれない。一箇所を除いて、結局泳がないと突破できないところはなかった。やがて目の前に深い釜を従えた滝があらわれる。釜を泳いで滝の右手が登れそうだった。橋川くんは釜の手前の壁を登っていたが、空身でないと登れないといって下りてきた。このとき僕は滝が登れそうだと言ったのだが、橋川君の登っていたところに残置支点があるということ、それに寒くて釜を泳ぎたくないということもあって、橋川くんの登るに任せた。ロープを出して彼がトップで登る。狭いバンドでピッチを切り、荷物を引き上げて、僕がフォローする。なかなかいやらしい。次はトラバース気味に側壁を登る。ここもいやらしいが、ピンがあったので気は楽だ。30mしかないのであまり進めない。もう一ピッチ橋川くんがトラバースして、四ピッチ目で落ち口に立つ。そこからは明るい岩盤の上を水が流れる美しいところで、しばし歩いてから休憩にした。10時半すぎであった。太陽も射し、体が温まってくると、今度は泳ぎたくて仕方がない。簡単に巻ける所を無理に泳いだり、途中までへつりながら川に飛びこんだりして進んでいく。堰堤があるのは興ざめだが、あとは気持ちの良い遡行が続く。釣り人があらわれだすと、すぐに橋が見えた。終了点である。まだ一時だった。たった五時間しかかからなかったわけである。ここで残りの昼食を平らげ、自転車を組みたてていよいよこれからダウンヒルの始まりだ。ところが意外にも最初の登りが長い。疲れた足にはきつく、自転車を押しながら林道を歩く。暑くて汗がだらだら出る。ようやく下り気味になる。軽い自転車の橋川くんは先に行ってしまった。あと一万円だしてアルミ製のにすればよかったかなあと少し後悔しながらも、新しい自転車はやはり気持ち良い。そのうち歩いている橋川くんを追い越した。タイヤがパンクしたという。あっという間に下についた。沢と自転車というのもなかなかいい組み合わせだ。橋川くんを拾い、温泉地温泉に向かう。公共浴場は400円。露天風呂が気持ち良い。まだ四時だったので、実家に電話して食事の用意を頼む。帰りは順調だったが、五条で渋滞につかまる。風の森峠から裏道を駆使して実家にたどりつく。焼肉をたらふく食べて、京都に戻る。

711日、また快晴。朝、後片付けをしながら、ルート図を見る。「…そしてこの谷の核心部たる洞窟状の釜を持つ8mの滝の前面に立つ。ここは、泳いで滝身に取付き、残置ハーケンの打たれた右手を直登する…」僕らが巻いたあの滝であるが、実は釜を泳いで滝の右手を直登するのが正解であった。芦廼瀬川は初心者でも十分行けるが、あの滝だけがいやらしい、というのが僕らの感想だった。他の滝はあんなにまきみちが整備されているのに、あの滝だけはあんなに微妙な巻きを強いられるのはおかしいと思っていた。滝は登れたのだ。あまりのショックで橋川くんに電話をした。難しいルートをごまかしたというのではない。多分その逆で、巻いた方が数段難しかっただろう。難易度云々の問題ではなしに、登れる滝を登らなかったことが非常にショックだった。もう少し観察すればよかったのだ。僕は眼鏡をしてなかったので、はっきり見えなかったのだが、眼鏡は持って行ってたので、ザックから出す労力を惜しむべきではなかった。あるいはルート図をコピーして持っていきさえすれば、直登したであろう。なんとも残念な話である。

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泳いだ、飛んだ、黒蔵谷

 

7/31 平ヶ岳と出張の疲れが取れないまま、出発当日を迎える。ここ2週間は食欲も無く、今晩もローソンで買ったそばとヨーグルト、それに薬局で「ゼナ」を買って、運転に備える。橋川、岡田両君を拾って京都駅へ。岡田くんは久々の山とあって、はじめからビールを飲んでハイテンション。これに伊藤君が加わって、僕の車には4人、今西号には5人が乗って出発した。24号は思ったより混んでいた。途中、実家によって、メロンを食べ、しばしくつろぐ。あまりに落ち着いてしまって、長居しすぎた。今西号においつくべく、混んだ24号を避け、バイパス、裏道を駆使して飛ばす。五条をすぎ、西吉野へ入っていくと、まず岡田くんが、トイレ休憩を要求。しばらくして橋川くんもトイレ休憩を要求。さて、車を降りるとみんな臭い臭いという。運転席側はとくに何とも無かったのでおかしいなあと、反対側へ見に行くと、確かに臭い。そして後部の入り口付近でぐちゃっと何かを踏んだ。その感覚からして、まさかと思ってあたりを見渡すと(暗いのでものは見えない)、白いトイレットペーパーが散乱しているではないか!そしてスリッパにはうんこの匂いが…。誰だ一体、駐車スペースでうんこするやつは!もみ消し工作にもかかわらず、車にうんこの匂いが充満する。しばらくいくと、今西号が止まっていた。待ってくれていたのかとおもったが、こちらもトイレ休憩だった。ここで再びもみ消し工作。だいぶましになったが、なんかまだ匂うような気がしてならない。あとはつつがなく、大塔川に到着。テントを張って就寝。

8/1 晴天。さすがは「木の国」だけあって、山深い。川もどうやら大きそうだ。京都ナンバーの車が2台通りすぎていった。一つは大津岳志会やら京都趣登の人らのパーティ、もう一つは左京労山。9人のテントスペースを確保すべく、先発隊は出発を急ぐ。しかし僕らが出発したとき、彼らはまだ準備の最中だった。大塔川に降りたって、下流にしばらく行くと黒蔵谷が流れ込んでくる。まずは鮎返滝が現れる。大きな滝壷を持った美しい滝だ。実は巻けるらしいのだが、このときは(というか、今回ずっと)巻くという気はさらさらなく、岡田君が滝壷に飛び込んだのにつづいて、後の3人も泳ぎ始める。滝の右岸側のルンゼにたどり着く。ちょっといやらしそうな登りなので、ロープをだす。そこを登ると、釜の横断。滝のすぐ上だけあって、水流が激しい。念のためロープを出す。このあたりで後発のトップの橋川くんも上がってきた。われわれ先発の使命はとにかく急いで遡行することであるから、そのまま先を急いだ。天気はよくわからない。晴れたかと思ったら、雨が振り出し、結局2日間、ずっとこんな調子だった。やがて谷は廊下状となる。泳がねば突破できない淵が次から次へと現れる。最初は快適に泳いでいたが、だんだん寒くなってくると、泳ぐのがおっくうに成ってくる。しかし他の谷とちがって、泳がねば突破できない。休憩をとったあと、時計がないのに気づいて、谷を引き返したが、ない。買ってまだ1月もたたないのに……ショックは大きい。が、ないものは仕方ない。

11時ころ、高山谷の出合につく。2度目の休憩。ここは広々として、なかなか快適そうなテントサイトだ。後発は泳げない人もいるので、どれくらい遅れているのか少々不安に成ってきた。ここからすぐに「中の廊下」が始まる。これも次から次へと泳いでいく。10メートルほどの滝が出てくる。これはさすがに登れそうも無い。右岸を巻く。すると、その向こうに大きな滝が現れた。そう、黒蔵の滝である。これは圧巻。左岸の急峻なルンゼを登る。ルンゼのつめ付近でいやらしいところがあり、一度ロープをだす。ルンゼを登りきると、トラバース道があり、滝の真上に出た。1時になったので、交信を試みるが、駄目。後発がこれるかどうか、徐々に不安に成ってくる。高山谷で切り上げた方がよかったのではないか。まあ、とにかく第3支流出合まで行ってみよう。あとは、問題なく行けると思ったが、なかなかそうはいかない。チムニーを登ってすぐ向こうを懸垂下降しようとしたときのこと。僕は3人を引っ張り上げていたが、最初に上がってきた伊藤くんは、懸垂の準備をしていた。そして僕のところからはよく見えなかったが、どうやら懸垂を開始したらしく、その途中で支点にしていた木が折れて落ちてきた。伊藤くんは地上まで12メートル付近にいたらしく、大した怪我はしなかった。そして支点にしていた大きな木も幸い途中で引っかかって止まったのでことなきを得た。ぼくは最初、伊藤くんが上から落ちたのかと思ってびっくりしたが、どうやら以上のようであったらしい。次の滝は右岸を登り、すぐでテントサイトが現れる。2時頃だった。

運転の疲れが残る僕は、すぐに昼寝を開始。当分は登ってこないだろう。やがて、趣登の人らが登ってきた。後発の情況を聞くと、われわれより1時間半あとに出発したそうだが、まだ鮎返滝の上部にいたという。ということは後発はあの滝の突破に1時間以上かけているわけか。われわれは彼らの到着が絶望的だと判断した。ただ、ツェルト、ガス、食料などを持っているはずなので、ビバークは可能であるから、心配はしなかった。問題はわれわれの晩御飯で、カレーはあるのだが、ご飯はない。まあ、これも仕方が無い。その後も寝たり、焚き木を集めたりして、時間をすごす。雨が降り出したので、テントを張るが、やがて止んだ。5時になったので、ご飯の準備にかかる。すると、左京労山隊が登ってきて、後発は黒蔵滝の下にいたという情報をもたらした。そしたら、あと少しで来るではないか。ひと安心だ。後発は日の暮れる直前にたどり着いた。その晩の食事は豪華で、話も盛り上がる。僕は一足先に寝る。夜半、雨が降り出した。すぐに止むと思って傍観していたが、止む気配は無く、強くなる一方。隣のツェルトで寝ていた岡田くんと友さんが起き出してツェルトを調整しているが、なんともならないようだ。こちらのツェルトはまだましだったが、頭に雨があたるので、体を縮めて寝た。寒くは無かったが、快適とは言えず、あまり寝られなかった。

8/2 この日も晴れたり降ったりのよくわからない天気。8時すぎに下降を開始する。下降してすぐ、昨日巻いた滝&ゴルジュがあったが、下りの場合、飛び込んで難なく通過。黒蔵谷は左岸ルンゼを懸垂で。そのすぐ下の滝も懸垂したが、ロープがしたまで届かず、5メートルほどジャンプ。こうして飽きるまで、飛び込みと泳ぎを繰り返す。最後の鮎返滝15メートルを岡田くんはジャンプ!これは見ごたえがあった。その後、釜を泳いでいる途中で伊藤くんが溺れかけた。昨日の懸垂に続き、ひやっとした場面だった。大塔川では、なんとビーチパラソルがお出迎え。最後の苦しいのぼりを終えて、林道をしばらくで車に戻ってきた。1時半ころだった。林道を通って帰ってくるはずの後発隊はまだだった。これからの運転に備えて昼寝をするが、暑い。岡田君は大塔川へ泳ぎにいった。そして4時ころ、後発隊が帰ってきた。湯の峰温泉で汗を流し、国道をひた走る。途中、何度かビールを飲んだ岡田君がトイレ休憩を要求したのは、行きと同じ。五条について、ローソンの駐車場で今西号を待つ。30分くらい待って、合流。そのまま国道24号を北上しながら、食堂を探す。得々という和食レストランで、夕食。京都駅には午後11時50分に到着。伊藤くんを下ろして、岡田、河原両氏を送り、橋川くんを下ろしたとき、助手席に財布がおちているのを橋川君が発見。岡田君のところに戻って財布を届け、家に帰ったときには午前1時前だった。

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未知の沢をゆく

野江股谷から水越谷へ

 

814日、午後八時に京都を出発。盆のせいか、車が多くてなかなか進まない。現地には12時を少し過ぎた頃に到着する。すぐさまビールを飲んで寝る。

6時に起床し、江馬小屋谷の出合まで行って朝食をとり、準備をする。7時に出発する。しばらくは谷沿いの林道を行く。すでに沢の格好をしているので、暑くてたまらない。曇っているのが幸いだ。林道の終点は即ち江馬小屋谷と野江股谷の出合である。ここから沢に入る。未知の沢の始まりだ。どんな滝が我々を迎えてくれるのか楽しみである。

しばらくは大岩がごろごろ転がった中を歩く。このまま終わってしまうのではないかと心配していると、両岸が立ち始め、ゴルジュの様相を呈してきた。ほどなく淵に出くわす。ここは簡単に巻けるところだが、淵を泳いでそのまま斜瀑(4m)を越える。すぐに右から沢が入る。そのあと又、淵。これも泳いで、小滝を登る。この辺りは左右の壁が2mくらいにまで狭まっており、高層ビル街の底にいるような感じがする。先は曲がって見えないが、滝の音がする。何があるんだろう、そう思うと居ても立ってもいられない。いそいでへつっていく。曲がったところに滝があった。10mくらい。とても登れそうにない。巻くとなれば、ゴルジュの入り口まで戻らなければならない。右岸がどうにか登れそうだ。フリーで取りついてみるが、逆層なのと滑るのとで、そのまま登る気がしない。ロープを出して登ることにした。この先どれくらい時間がかかるかわからないが、地図でみるとゴルジュ記号は下部のみなので、ここは楽しまないといけない。巻いてしまえば、しんどいばかりでここに来た甲斐がなくなってしまう。荷物を残置して空身でとりついた。一段あがるが、意外に難しい。そのまま行くのは怖いので、ハーケンをリスに打ちこんだ(のち回収するが、落としてしまい、流れに消える・・・)。まあ大丈夫だろう。クラックが斜めに走っており、それに沿って斜上する。傾斜はないが、足元がすべる。クラックの端から上のホールドまでは遠く、ふんぎりがつかない。キャメロットを決めて、思いきり体を引き上げ、手を伸ばす。このつぎがまた、ない。しかしここまで上がったからにはもう落ちられない。キャメロットは効いていると思うが、落ちるのは怖い。プロテクションを決められる体勢ではないし、決める場所もなかった。行くしかない。そんなことはわかってるが、さっきから足がつるつる滑って生きた心地がしない。手が次第に疲れて来た。これは本当に行くしかない。足よ、止まれ。そう心で念じて、体を上げ、膝で立ちこむ。その上は台地になっていた。ロープは30mしかないので、ピッチを切る。短いながらも充実したピッチだった。この台地の先端から対岸の壁までは、足を伸ばせば届きそうなくらい近かった。台地の上の壁はもろそうなので、左から大きく巻いた。次は落ち口まで達したものの、次に又、滝が見え、かつそれは三方が壁でとても巻けそうになかった。残念だが、次の滝も一緒に巻いてしまうしかない。一旦、ビレイ点まで戻り、その上の壁の弱点を探る。右手から斜上すれば、行けそうだが、それは見える範囲の話である。その後がどうなってるかわからないが、そこしかいけそうにない。岩を一段登って、バンドを左上する。ロープが短いので、すぐにピッチを切らないと行けない。最後は中野君がチムニー状を登って、林にでた。そこにはうっすらと道らしきものがあったが、獣道かもしれない。ちょうど、先ほどみた滝の上に懸垂下降する。このあたりで右岸の壁がきえ、ゴルジュは一旦終わる。6mスダレ状を右から巻いた後も、二条2m3m斜瀑、2m2m2m斜瀑と滝が次々とあらわれる。そのそれぞれが直登でき、おもしろくて仕方ない。再びゴルジュとなるが、先ほどと違って巻くのは容易だ。10mトイ状は左からまき、その上の釜を泳いで2mを越え二俣に達する。その後も、泳ぎとシャワークライムを繰り返す。一箇所、ゴルジュの中にある二条2mはフリーで登れず、二つの滝の間にある岩をショルダー(要するに肩車)で越える。巨岩の間を流れ落ちる滝を巻くと、10mの滝。左のガレを登り、岩の上に伸びる木の根を頼りに落ち口へトラバース。右手に炭焼き小屋あとを見るとすぐに二股だ。地図ではこのあたりでゴルジュが解消するが、そんなに甘くはなかった。二段の二条4m。これは絶望的で、右から巻く。斜面が谷まで降りてきているので、巻きは難しくない。下からは見えなかったが、さらに二条12mがかかっていた。あわせて三段の二条滝、壮観だ。再びゴルジュに突入。小滝を越えて行くと、8m滝がかかっていた。両岸は岩が立ちはだかり、巻けない。ゴルジュの入り口まで戻って、右岸の斜面を登る。適当なところで懸垂をして谷にもどる。この懸垂は出だしから空中懸垂となって、緊張した。ようやくゴルジュが終わり、820mの二股だ。これを右にとる。小滝群のあとに現れる8mは右から、そのすぐ上の5mは左から巻く。巻いたところで一休みした。その後、谷は一旦伏流となる。再び水があらわれるが、もう勢いはない。ようやく源流に入ったようだ。何か動いた、と思ったら鹿だった。そういえば、先ほどから悲しげな声が谷にこだましていたが、鹿だったのだ。両岸はゆるやかな斜面で、もう滝はないだろうと高をくくって居たが、甘かった。今までで一番大きな20m滝が目の前に立ちはだかった。左の岩の弱点をたどって抜ける。落ち口に戻ったところが、そこからまたゴルジュとなっていて、小滝を次から次へと越えて行くと6mオーバーハング滝が行く手を阻む。これまた左手の岩の弱点を抜ける。さらにすぐ上にも滝があるので、まとめてまいてしまう。谷は再びおだやかとなる。三段15mがあらわれるが、右手の緩やかな斜面から楽にまける。流れは次第にか細くなり、そして消えた。消えてはじめて、もう滝はないと安心することが出来た。目の前に岩場が現れた。水が少しだけ流れていた。言いようでは滝である。この岩場を右から大きく回りこみ、あとは稜線めがけて林のなかのガレたルンゼをひたすら登る。ヤブがないのはあり難い。110分そしてひょっこりと稜線にでた。、あれだけ次々と滝をかけて僕らを楽しませてくれた野江俣谷も、もはや滝のかけようがなかった。これで全てが終わったかに思えたが、そうではなかった。

下降はそこから不明瞭な山道を池木屋山までたどって下りる方法と、野江俣谷の隣の水越谷を降りる方法があった。山道は長く単調で嫌なので、後者を取りたかったが、ともかく水越峠まで歩いてみることにした。稜線で雨に降られて不快極まりない。ここはエアリアマップで点線になっているとおり、至極わかりにくい道だ。所々にあるテープがなければ誰も道とは思わないだろう。こんな道を池木屋まで行くのはまっぴら御免だ。峠に着く頃にはすっかり谷の下降を決めていた。ただひとつ不安があった。谷の中ほどに風折滝という大きそうな滝があることだ。地形図に名前入りで載っているということはよほど大きな滝であろう。水越谷の源流部は原生林のあちこちに苔で覆われた広場が点在する美しいところであった。ゆるやかな谷を下りはじめてすぐに水が流れ出した。ずいぶん昔に打ち捨てられたような木の切りだし作業場跡があった。右から左から、谷が流れ込んで一条のか細い流れがぐんぐん大きくなっていく。まるで生き物が成長しているかのようで、楽しいかぎりだ。一方で景色を楽しみながら、不安は消えない。滝があらわれ始めたのだ。その多くは簡単にクライムダウンできるものであったが、二つばかり、巻いて下りねばならない滝があった。嫌らしかったが、道らしきものはあった。この分なら風折滝も歩いて下りれるに違いない。やがて、目の前に空が開けた。滝だ。しかも下の景色が見えないところからすると相当でかいにちがいない。こわごわ落ち口まで行ってみる。ものすごい滝だった。森ははるか下にみえ、そこに流れる沢は、いま僕が立っているのとは全く別の沢であるかと思えるくらい、遠く離れていた。水が空中に勢いよく飛び出て行く様子を見ていると、本当に吸い込まれて行きそうになる。少し引き返して、休憩した。谷の左右は注意してみていたが、道らしきものはついぞなかった。左岸はすこし崖っぽいので、右岸から巻いてみることにした。笹薮を抜けて落ち口の右上に出た。その下はスパッと切れている。右の方へ潅木帯をトラバースできそうだった。下は一体どれだけあるかわからないが、そんな壁の中の潅木につかまりながらトラバースしていく。すぐに潅木帯は切れていた。その向こうを見渡してみても、ずっと壁、もしくは急峻な斜面で、道がついてそうな所などない。あるとすれば、よほどの大高巻きとなろうが、もし道がみつかればそれでかまわないが、あるかないかの道を探りつつ大高巻きをしたのでは、日暮れまでに降りれるかどうかわからない。決断の時だ。木が途切れなく下まで続いていれば、懸垂下降できる。しかしここからは下の様子はわからない。左岸の側壁を見れば、下は草付になっている。岩場であれば、ボルトを打てばいいが(三本しかないのは心細いが・・・)、草付はどうすることもできない。登り返すことなど到底できないので、入って見れば命をかけた大博打だ。気の遠くなるような大高巻きができるような体力・気力はもうなかった。下の森が、僕らを呼んでいるようだ。懸垂しよう。未知への挑戦だ。危険のない冒険などあり得ない。障害が行く手を阻めば、最大限の智恵を絞って切りぬけるまでだ。少し戻って、懸垂の準備を始めた。

少し気になったのは、中野君が以前甲斐駒で落ちたことだ。あれもちょうどこんな斜面を下降中の出来事だった。しかしいまは行くしかない。目標の木を定め、下降する。ロープは30mが二本だけなので、つないでも最大30mほどしか下りることが出来ない。こまめに、確実なところでピッチを切って行かねばならない。急斜面の木にへばりつくようにしながら、中野君が下りてくるのを待つ。2ピッチ目を終えたところで、ようやく滝の落ち口と同じ高さまで来た。あと何ピッチあるのか、そこからは見当もつかない。その下はあまり良い木がないので、徐々に右へ移って行く。なかなか高度が下がらないことに苛立ちが募る。懸垂に使う木もだんだん細くなってくる。何ピッチ目かに使ったサルスベリは虫に食われていた。支点に用いていた幹のひとつが折れてはじめて気が着いたのである。6回目くらいで、ようやく立つことのできるほどの傾斜になった。ずっと右手から下りてくるルンゼに向かって懸垂をする。真下は草付で如何ともし難い。ルンゼを歩いて下りれるかと期待したが、滑りやすくてだめで、さらに右の斜面へ移っていった。久々に大きな木を使って懸垂する。まだ届かない。もはや木はない。細い潅木をシュリンゲで結び合わせて支点とする。これで最後になろう。落ちても釜だ、と自分に言い聞かせて最後の下降をする。草付をすぎ、崖ップチから下を見下ろす。ロープは下に届いていた。よし。ゆっくりゆっくり、支点に余計な力をかけないように下りて行く。大地に立って、上を見上げる。直下から見た滝は、凄まじかった。高度計ではかったところ80mあった。ものすごい風が吹きつける。風折の名の由来であろう。滝の左右を見渡す。僕らの下りてきたところは、実はほとんど唯一の弱点であり、あとすこしどちらかにずれていたら、降りれなかっただろう。これは本能だったのか、運だったのか。もし神がいるのなら、感謝せずには居られない、そんなきわどい下降であったことが改めて確認された。下降する前にこの情況を目にしていれば、絶対懸垂なんかしなかったであろう。中野くんは釜に浸かって地に戻った喜びを味わっていた。この下降に二時間を要した。

もう暗くなってきている。先を急がねばならない。幸い、そこから「登山道」と書いたオレンジ色のテープがつけてあり、実際道らしき具合になっていた。しかも危険なところにはロープが垂らしてあった。けれども道はわかりにくく、センスが悪かった。道というのは、できるだけ濡れずにあるくためのものであるから、沢伝いに行けば簡単に行ける所を、変に巻いてしまうのだ。最初は道があるのが嬉しくて忠実にたどって居たが、次第に馬鹿らしくなり、結局沢を歩くのだった。高滝谷との合流点からは、税金をつぎ込んで派手につけられた道があり、快適に歩かせてもらった。林道に出てから、また小雨が降り出す。車のところまでが長く長く感じられる。6時45分に車のところに到着した。あとは温泉とご飯が待っていた。

 

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池郷川本流ゴルジュ

 

 「池郷」といえば、必ず出てくるのが「一に池郷(いけごう)、二に前鬼(ぜんき)、三に白川又(しらこまた)、四に四ノ川(しのごう)」という文句である。これは沢登りの番付ではないが、池郷が北山の名渓であるのは言を俟たない。関西でも屈指の難度を誇るこの谷へは、橋川&松田友ペアが8月末に挑んでいたが、台風のため小又谷に変更していた。今回はその雪辱戦(そして橋川くんにとっては、置き忘れたシューズの回収が目的)となるわけだが、僕もついでに行こうとプランに乗った。

9/11 3時すぎ、友達の引越しの手伝いを終え、今出川通りを職場へ向かって歩いていると、松葉杖をついた女性が…。なんと小谷野さんだった。ひとことふたこと言葉を交わして、職場へ戻って荷物を回収して帰宅。準備を開始する。昨日の晩に出発が今日ということを聞かされたので、何も準備をしていない。しかも食料係なので、食料計画を立てないといけないが、そんな暇もなく、とりあえずイズミヤへ向かう。ところがなぜかイズミヤは休みで、スーパーナカムラへ。α米など勿論無く、すくない食料品を見ながら献立を考える。夜はマカロニスープにサラダ、デザート、朝は焼き豚ラーメンになった。王将で夕食を済ませ、風呂に行き、ビールを仕入れて準備完了。叡山電鉄で出町柳へ。

集合予定の8時前、橋川君が来ていないのは当然として、ともさんもまだだ。15分待って橋川宅に電話すると、まだいた。車で迎えに来てもらおうという魂胆らしいが、ともさんがまだだというので、これから自転車で来るとのこと。30分遅れて全員が集合。免許証を忘れた橋川君が運転する。ところがみんなが車に乗った途端、前方からパトカーが来て、僕等の前で停車した。これはまずいと、すぐに出発する。169号線は随分走りやすくなっている。12時すぎにダムの池郷出合につく。ダムの下のグランドのまえに車を止め、ビールを飲んで、仮眠(翌日、ここにキャンプ禁止の看板があるのを発見!)。

9/12 登山体系にはゴルジュの突破には15-17時間かかるとあり、しかも一旦ゴルジュに入るとろくなテントサイトがないと書いていることから、早めの出発とする。林道途中で、橋川君のシューズを無事回収、6時半におりくちに到着、7時に下降を開始する。出だしからとんでもない傾斜のガレた斜面。草木に頼りながら強引に下りていく。7時40分に池郷川に降り立つ。水量は思ったほど多くない。しばらく遡行すると、早くも泳ぎの個所。思ったほど寒くない。皮張川の出合を過ぎ、巨岩の間を縫っていく。やがて右手に岩峰が見えてくる。「石や塔」だ。丹沢ボッカ駅伝で一緒に走った宮田さんが、ここの岩峰にルートを開いている。よくまあ、こんなところでルート開拓をしたものだ。コンコン滝の上には、きれいな橋がかかっている。一体、どこからどこへ行く道なんだろうか?甚だ興ざめする。

相変わらず巨岩と淵の連続。残置があるところでも、フリーでかなり登れる。(ともさんは一度、釜から上に登ることができず、10分くらい水の中でもがいていた。こういう沢では水際の強さというのが必要だ。)ジャンプ、マントリングといったボルダーチックなムーブが楽しい。僕のフェルト足袋の底はもうぺらぺらで、フリクションが今一つ、膝なんかも積極的に使って攻める。大釜のむこうに流れ落ちる215メートルは、橋川君がリード。釜を泳いで取りつく。彼が2ピッチ目の工作をしていると、後ろから2人パーティがやってきた。そのうちの1人はなんとタンクトップだ。世の中にはすごい人がいるもんだ。僕は見ただけで寒気がした。滝を突破すると上部は平凡で、すぐに大又谷の出合だ。ここにはいいテントサイトもあり、休憩をする。ちょうど12時だ。どうやら今日中にゴルジュは抜けれそうだ。ただし核心はこれからだが…。

連続する長い長い瀞を泳ぎ終えると、流水溝のようなつるつるの213メートル。広い釜を泳いで右岸に取りつき、トラバース。相当に高度感があるが、落ちても釜なので死にはしないからロープを出さなかった。そのすぐ上は5メートルの滝。これも直上できず、左岸の壁を登る。今度は僕がリード。水に飛び込んでから、岩へ這い上がり、ボルトとハーケンを使って外傾バンドに達し、そこからバンドをトラバース。ちびった靴ではこわいところだ。先ほどのパーティが追い着いてきた。彼らは速いのか遅いのかよくわからない。それが終わると、滝を2つばかり越え、そしてそれで終わりだった。明るく広い河原が続いている。まだ1時半、遡行時間はわずかに6時間だった。個人的には本谷を遡行したかったが、このまま下山ということに決定。下山道は、登山体系ではヨコテ小屋谷の一本向こうの沢になっているが、そこにはもう道はなかった。ヨコテ小屋谷に戻って、踏み跡を登っていく。これはかなりきれいな道だ。2時半、つまり30分たらずで大又谷に出る。きれいな河原だが、あとでまわりを歩いてみると上下とも堰堤があってがっかりする。水浴びをして最後の登りにそなえる。この登り道の入り口は大変わかりにくい。林道までは思ったよりあっさりと登れた。石や塔の岩峰群を眺めながら林道を下る。4時前に車のところへ戻る。出発前にインターネットでチェックしておいた、ダムの下にある下北山温泉で汗を流す。500円だが、相当いい温泉だった。帰りは郡山の「とくとく」で食べるが、3人とも食べ過ぎで苦しむ。とくに食前までお菓子をぼりぼり食べていた橋川君は…。そして10時すぎに京都に戻ってきた。

 池郷は、ものの本によれば6級の沢らしいが、残置が増え、フリーのテクニックが向上した今となってはそれほど難しいと感じなかった。僕は沢のグレードはよくわからないが、本チャングレードで言えば、4級上か5級下くらいだろう。今回使用したボルト、及びハーケンは残置のものが、10本、#1のキャメロットが1回、ロープを出したのは3ヶ所であった。確かに水が少なかったのと、天気が良かったのは考慮に入れなければならない。しかしゴルジュの中であっても林道へ抜ける道は何本かあったし、テントサイトも皆無ではなかった。つまり登山体系から想像するほど壮絶な谷ではもはやないといえよう。コンコン滝にあった橋などはどこからどこへ行く道がついているのかわからないが、今の池郷の象徴でもある。今度は、初心者を連れて、上流の本谷でも登りに来よう。

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