[PR]テレビ番組表
今夜の番組チェック

東北の沢と山と温泉と

また東北に戻ってきた。昨年の山行ですっかり東北の沢に魅せられたのだ。

【期日】 2000/7/28〜8/7

【天候】 前半は晴れ。後半は大気が不安定で朝は晴れ、午後早くから夕立

【目的】 東北の美しい沢と山をめぐり温泉と祭で夏を楽しむ

【メンバー】 高嶋、上戸

【日程】

7/28 京都発→(¥18800、981.2km)

7/29 →盛岡IC→網張温泉→林道終点→滝の上温泉→大石沢出合(泊)

7/30 →北の又沢→八瀬森山荘→関東沢出合(泊)

7/31 →ナイアガラの滝→北の又沢→大深岳→三つ石山→林道終点→水沢温泉(泊)

8/1 →乳頭温泉めぐり→抱返り渓谷→田沢湖→森吉(泊)

8/2 →森吉山・ノロ川周遊→森吉山ヒバクラコース登山口(泊)

8/3 →森吉山→黄金崎不老ふ死温泉→ウェスパ椿山→道端(泊)

8/4 →岩木山→嶽温泉→青森(ねぶた祭)(泊)

8/5 →岩泉(岩場鑑賞)→真崎海岸(海水浴)→小本温泉→宮古(生うに丼)→岳駐車場

8/6 →河原坊→早池峰山→小田越え→岳駐車場→花巻温泉→花巻→仙台(七夕祭)→蔵王

8/7 →蔵王温泉→蔵王熊野岳→峨峨温泉→白石IC→京都

【装備】 沢、岩、ハイキング用具、及び宿泊用具と食料(塩200g)、ほか温泉セット、水着、花火、フリスビー、浴衣など

【食料】 最初の沢以外は現地調達。途中で米(秋田小町)を買い、これが重宝した。刺身、とりわけホタテが最高。名物としては稲庭うどん、わんこそば、またぎめし、牛タン、生うに丼、うーめん、など。

【記録】 高嶋

7/28 上戸家を午後7時前に出発。京都南ICから高速にのる。ここから約1000キロ、長いドライブの始まりだ。2人で運転を交代しながら北陸道を飛ばす。新潟から磐越道、そして郡山から東北道にはいり、ほどなくして盛岡の南にある紫波サービスエリアに到着。ここで仮眠する。

7/29 7時頃に起床、朝ご飯を食べて盛岡に向かう。盛岡ICで下車し、46号線を雫石へ。1998年の葛根田川源流部を震源とする岩手山南西地震の影響で道路が寸断されて葛根田川遡行のベースである滝ノ上温泉へは車で直接入ることはできない。そこで今回は入谷の方法に頭を悩ませた。昨年のように松川温泉から入るか、乳頭温泉から入るか、はたまた大深沢から入るか…。最新版のエアリアを見たところ、網張温泉から伸びている林道がもう三ッ石山荘の近くまで来ていることがわかった。これを使わない手はない。ただインターネットでみた釣り師の記録に林道から登山道までわずか300mしかないにもかかわらず2時間のヤブこぎを強いられたとあるのが気にかかってはいた。この林道は2回大きく湾曲して高度を上げる。2回目の湾曲部のほうが登山道に近いが、120mも高い位置にある。これから下ろうとするのだからできるだけ低いところから出発したいという判断で、下の湾曲部に車を置く。赤い布がぶらさがっている。ゆっくりと準備をして10時半に出発する。赤布はすぐに消え、目の前には濃密な笹薮が横たわっていた。がむしゃらに突き進むしかない。根曲がり竹のヤブは上下方向には比較的進みやすいが、水平方向にトラバースするとなると厄介である。思ったように進まない。水を持っていないことに気づいた。半時間ほどヤブと格闘したが、やっと半分進んだだけだ。先を見渡しても絶望するばかり。きっと上の湾曲部には道があるはずだ。もうヤブこぎはたくさん。戻ろう。もと来たコースを戻るのはなかなか難しく、どうしても下へ下へと行ってしまう。突然、さっ、と手が空を切って道に出た。登山道へ向かうトラバース道だ。道を歩けば5分とかからない。そこからは懐かしい道を下ってゆく。天気は芳しくない。どんより垂れこめた雲。昨年はきらきら輝いてまぶしかったブナの森も今年は暑さの底に沈澱しているようだ。1時間ばかりで白煙が立ちこめる滝ノ上温泉に出た。温泉は休業中だが地熱発電はまわっているようだ。涼しげな川の音を聞きながら、暑い暑いアスファルトの道をてくてく歩いていく。昨年は早く入谷しすぎて失敗したので、今年はできるだけ道を歩いた。一度は行ってみたい栗木ヶ原、そこから流れ落ちる松沢を過ぎる。沢床は硫黄分のせいで黄色い。上流には温泉が湧いているはずだ。今度はこの沢を登ってみたい。黒滝沢の出合を見送った辺りで道を離れ、笹薮を漕いで川に下りる。しばらくは川沿いの小道を歩く。道が不明瞭になってきたところでようやく川に入った。火照った足が一気に癒される。もう1時をすぎようとしている。川原でソーメンを作って食べる。A子は夜行疲れか元気がない。雨がぽつぽつ降ってきた。さてこの先大丈夫だろうか。

川原歩きが続く。ナメ床が所々現れるようになるとお函も近い。2度目のお函は、やはり素晴らしかった。いきつくまもなく美しい床、滝が次から次へとあらわれ応接に忙しい。昨年よりも随分水量が多い。その分本流の滝は迫力があった。川が穏やかになるとやがて大石沢の出合だ。今日はここでテントを張ろうと思っていたのだが、すでに先客がいた。仕方なく大石沢を遡行する。なかなかいい場所が見つからない。どうにかテントを張れる場所をみつけてそこで我慢することにした。イワナを釣ろうと糸を垂れるが、今年はイワナの影すら見当たらない。時間もないのですぐにあきらめ食事の準備にかかった。米がうまい。寝不足もあって暗くなるやいなやすぐに寝ていた。

 

7/30 いい天気だ。大石沢はあまり遡行の対象になってないが、存外美しい沢である。ナメ床を楽しみながら葛根田川との出合まで下る。本流はなお美しいナメ床が続く。沼の沢、中の又沢を分けると水量も随分少なくなる。葛根田大滝を越えると、川原の続く平凡な渓相となる。昨年泊まった川原はあとかたもなく消えていた。9時前に滝の又沢出合に到着。ここで一休みする。マットの上にごろんと寝転ぶ。ブナの葉はどこまでも透明で青い空を映し出していた。ブナの緑と空の青。本来別々の色たちは、ブナの透明とゆらめく風のせいで一つながりの光となって、河原の僕たちを照らしていた。ここで進路を右手の北の又沢にとる。すぐに右手より支流が流れ込んでくる。昨年は本流を行ったが、今年はこの支流に入る。小滝を連ねてぐんぐん高度を上げていく。20分もすれば傾斜がなくなり、沢はブナ林のなかを蛇行しながら穏やかに流れるようになる。どこまでものどかな風景だ。10時半に上部二俣に到着。パンをかじる。今回は行動食が少なく、ガス欠気味。しばし川原状を歩くがすぐにナメとなる。ウスユキ色に輝くナメ床、水は流れる水晶。ナメと釜がおりなす得も言えぬ光景に浸りながら遡る。このあたりが葛根田の真骨頂であろう。上部へいくと崩壊が激しく、何度も倒木を踏み越えていく場面があった。昨年の沢でこんなことはなかったのに、少し残念だ。おなかがすいてくらくらしてきた。15mほどのナメ滝の手前でチョコレートを口にする。やや元気を取り戻し、滝をまく。滑りやすい草付だ。最後は湿原に飛び出すはずであったが、水流が途切れたところは林の中だった。どうやら最後のツメを間違えたらしい。目の前にはヤブ。ともかく一休みだ。空身でちょっとヤブを覗きにいくと、すぐに道にでた。ピークを越えると大場谷地と呼ばれる湿原が我々を迎えてくれた。真新しい八瀬森山荘を見学にいき、1時前に出発する。ニッコウキスゲの咲き乱れる湿原をすこし後ろめたい気持ちで歩いていく。湿原の端から沢(関東沢支流)に入る。まだ幾ばくも下っていないのに思った以上に水が流れている。

小さな流れが次々に集まって大きくなっていく。沢を下るのもまた楽しいものだ。この沢はずっとナメで至極歩きやすい。「平凡な沢」とガイドにはあり、たしかに滝らしい滝はないが、美しいナメは十分沢のよさを堪能させてくれるにちがいない。滝だけが沢ではない。志水哲也は沢屋は滝を見て沢を見ず、釣り師は魚を見て沢を見ないと書いているが、蓋しそのとおりであろう。3時すぎ、大深沢出合に到着。左岸の台地にテントを張り、早速竿を持って糸を垂れる。魚はときおり見えるのだが、かからない。A子は先にイワナを釣り上げた。と、すぐに僕にも当たりがきた。しかしこちらは人差し指くらいの子イワナだったので沢に戻した。30分ほど釣っていただろうか、結局A子の釣った1匹だけだった。今回は塩を200gも持ってきていただけにちょっと残念だ。貴重な1匹はムニエルにして頂いた。

 

7/31 5時45分にテン場を出発し、朝の柔らかい光に包まれながら大深沢を遡行する。川面からは一斉に水蒸気が立ち上る。太陽が差し込むと、もうそこは白い闇のなかだ。6時半、俗称「ナイアガラの滝」につく。この滝の素晴らしさは実際目にしないとわからない。美しいスダレ状の滝が20〜30mにもわたって広がっている。冷たい水を浴びながら真中の草のついた部分を登る。親切にもロープが張ってあるが、ちょっと興ざめ。滝の上は滝以上に驚くべき風景だった。川幅一杯に一面のナメとなって水がたおやかに流れきたる。それはかのクワウンナイ川に決してひけをとるとは思えない美しさである。すぐに三俣。まんなかの北の又沢へ進む。東の又沢もずっとナメが続いているようだ。これから先はまるで夢のようで、この素晴らしさを描写する能力は僕にはない。ナメを流れる水がダイヤモンドのようにきらきらと光りおち、ブナの葉を透過した太陽は限りなく優しい。これほど美しいナメの造形を見たことがあっただろうか。(大深沢は不遇な沢である。隣接する葛根田川があまりも有名でその影に隠れてしまっている。僕自身、今年に計画を立てるまでその存在を知らなかった。ただ日本百名谷にも選ばれているように、沢の美しさは折り紙つきである。東北へいく機会があれば是非とも行ってもらいたい沢である。)源流の間近までイワナがたくさんいる。三俣にベースを置いて北の又沢と東の又沢をゆっくりと釣りあがればどんなに楽しいことだろうか。登山体系では北の又沢の最後は1時間のヤブこぎとある。インターネットで調べたところでは、ほとんどヤブこぎせずに稜線に出られる道が途中にあり、よくよく注意していないと標識を見落とすとあった。この素晴らしい沢を1時間ものヤブこぎで閉めたくはない。源流に近づくと標識に注意して歩いた。1250mをすぎ傾斜が急になったところで右岸に赤布が垂れているのを発見した。まだまだ大深沢を楽しみたかったが致し方ない。そこは道ではなく小さな沢だった。すぐに二俣になっている。どっちだろうか。根拠はないが右のような気がしたので、しばらく右を歩いてみることにした。すぐに水が涸れたのであわてて水を汲みに戻り、ルンゼ状を登る。傾斜が緩やかになると笹薮の間を再び水が流れ出した。時々濃くなる笹をわけながら水流を辿る。やがて沢は蛇行を始める。周囲は背丈を越える笹原、一体どこに向かっているのやら…。こっちでよかったのかなあ、と不安になり始めたとき赤布がぶら下がっているのが目に入った。どうやらあっていたらしい。水流がなくなるまで笹をわけゆく。水流がなくなると、ヤブこぎの始まりである。ただ高度からして登山道はもう近いはずだ。方角の検討をつけてヤブの薄いところを狙って進む。尾根を越えた。もうすぐ道のはずだ。木に登ってみると、すぐ目の前に道らしきものがある。喜び勇んで突き進むと、あっけなく登山道に出た。大深沢から1時間。ヤブこぎは実質10分くらいですんだ。

太陽がぎらぎら照りつける、暑くけだるい道を大深岳に向かう。登りか下りかわからないような道を行くこと30分で山頂に到達。そこからの稜線歩きが辛かった。関東森分岐からは昨年もとおった道だ。ここから一旦くだり、そのあと小畚岳の急登が待ち受ける。つづれおりの山道が縮れたラーメンに見えるほどお腹がすいていた。1448mのピークで塩バターラーメンを食べて元気を取り戻し、ラーメンパワーで三ッ石山を乗り切る。三ッ石山荘にいたおっちゃんの話では林道の上部湾曲部に通じる道があるらしい。山荘から滝ノ上温泉へ下る道を歩いていくと木で道が通せんぼしてあり、そこから左にヤブを刈り払った道がついていた。約5分で林道に出る。10分ほどで車に戻った。

下界はどうしてこんなに暑いのだろう。夜行明け直後の3日間、沢を歩きつづけた疲れがどっと出た。せめて今日くらいは宿に泊まろう。乳頭温泉に行ってみたかったので、お風呂もはいらず山越えして田沢湖町へ向かう。駅前の観光協会で推薦してもらった水沢温泉郷のホテルニュースカイが今宵の宿となった。乳頭温泉は冷房がなく、今日のような暑い日はたまらないということだ。ニュースによれば今日は秋田で史上2番目の37度を記録したらしい。道理で暑いわけだ。

 

8/1 一体何時間寝たのだろうか。それでもまだ体は重い。朝風呂を浴びて朝食をとり、すぐさま乳頭温泉に向かう。我々が向かったのは地形図で黒湯の南に記された温泉マークの地点である。設備はなにもなく、自分で湯船を作って温泉に入れるかもしれない…と淡い期待を抱いて小道を歩く。気持ちのいいブナ林だ。地図上の温泉マークは、黒湯の源泉で、給湯施設があるだけの殺風景な場所であった。まあ、これも風呂前のウォーミングアップだ。黒湯は原始的な外観をした露天風呂だった。空の下で裸でいるというのはどうしてこんなに気持ちがいいんだろうか。ありのままの自分をさらけだしているような妙な解放感があってよい。A子はここで湯当たりしてしまった。駐車場の木陰に椅子を出して涼みながら今後の日程を考える。折角来たのだからと、鶴の湯に行く。ここは真っ白な湯が印象的だ。内湯と露天風呂に入るが、暑いので長居はできない。昼は稲庭うどんと決めていたが、お目当ての店が定休日だったので、角館までいくことにした。しかしあと2キロというところで断念し、ドライブインっぽい店に入った。僕は冷たいのをA子は熱いのを食べたが、稲庭うどんのあのほそさは冷たい方が適している気がした。ついで抱返り渓谷というおもしろい名前の渓谷を見にいく。深い蒼色の水が印象的だ。散策路が川沿いについているのだが、水面のはるか上にあって、水を見ながら水に入れない。にんじんをつるされた馬だ。散策路の入り口すぐのところに川に降りれるところがあり、川におりて泳ぐ。鮎が一杯いた。水にはいると体がひきしまる。田沢湖を経て105号を北上する。森吉町で食料を仕入れる。明日桃洞沢を登り、夕方から森吉山にのぼって上で泊まり、翌日ご来光を拝んで下山する予定だ。米は適当な大きさのがなく5キロの秋田米を買った。レトロな柄のすきやきふりかけがうれしい。駅には温泉が併設されているが、もう日も暮れそうなので先を急がねばならない。小又川沿いの道をぶっ飛ばす。途中、あずまやがあって「霊泉」が湧いていた。ここを今宵の宿と決める。すぐに暗くなる。ランタンをつけて夕食の支度をしていると、小さな羽蟻がたかってきた。たまらずテントの中に避難する。テントの中は熱く、大汗をかきながらの晩御飯となった。この夜は暑くて寝苦しかった。

 

8/2 空は今ひとつだが、暑い。今日はノロ川の桃洞沢を登り赤水沢を下る予定だ。ノロ川キャンプ場あと(いまはクマラ保護センターの建物がある)に車をおき、出発する。トチノキ、ヤチダモ、サワグルミ、そしてブナ。風にそよめく碧紗のようにサファイアの緑はどこまでも軽やかで心地いい。この付近は上谷地と呼ばれ豊かな森が広がっている。左手にノロ川の、その名のとおり緩やかな流れを何度か見ながら散歩道を行く。原始の森、森の原風景、なぜか青春の日を過ごしたニューイングランドの森が重なり合う。小一時間ほどで桃洞沢に出会う。さっそく腰ちかくまでの淵。ハヤ止めの滝を越えると完全なナメとなる。沢床の輝石安山岩は光線の具合によって、まだら模様の大理石のようなブナの樹幹の色にみえるが、水にぬれると黒っぽくなる。そのためか水に映る空がキラキラと目映く感じた。やがて川床だけでなく両岸もナメ状の一枚岩となり、滑らかな小滝が連続するようになると桃洞滝も近い。桃洞滝を見たときの感動は筆舌に尽くし難い。写真を見るだけでも感動的だが、実物を目の当たりにすると、ただただ呆然、である。神の遊び心に感謝せねばなるまい。桃洞滝はステップを使って簡単に登ることができる。この上の滝もそうだが、難しいところにはステップが切ってあって(ただし、浅い)、初心者でも愉快な沢歩きができるところだ。桃洞滝の上は驚嘆の渓相が続く。延々とナメ。大深沢が正統で直球的な素晴らしさとすれば、桃洞沢は異端で変化球的な素晴らしさといえよう。この渓相にはただただ唖然とするほかない。750m附近の二俣は2つの記録を見ると左の支流を取っている。そちらを覗いて見るがパッとしないので本流をいくことにした。いつのまにかあたりは秋田杉の美しい自然林に変わっている。支流をどんどんわけて、水流が細くなり、両岸の樹木が下がってきても黒光りするビロウドのナメは消えない。分岐ごとに赤テープが張ってあったが、825m附近の分岐で赤テープは右の支沢へ導いていた。それでは赤水沢に行けなくなるので、なおも本流を遡り、835mの分岐を左にとる。水流は細くなったがナメは続く。ナメは稜線の100mほど手前まで続いた。そこからルンゼ上を登り稜線に出る。稜線を乗り越して向こう側へ下りる。この間、やぶこぎはほとんどなかった。降りたところはまたナメ。この小さな沢を下るとやや大きな流れに出る。この沢は桃洞沢の支流で750mの二俣を左にとるとここに出る。これをしばらく遡行し、再び稜線を越す。またもやナメに助けられ、やぶこぎはほとんどなし。越えたところは赤水沢の源流だ。ナメばかりの沢をぐんぐん下っていくと赤水沢本流の大きな流れに出会う。これより下流は赤水沢のハイライトで、無数のナメ滝を落としている。あるものはダイレクトに下り、あるものはステップを使って巻いた。歩いて下りれないナメ滝は走って下りる。まるで水になったかのような不思議な感覚。滝を走る。機会があれば是非試してほしい。連瀑帯の途中で昼ご飯とする。湯を沸かしていると急に雨が降り出してきた。沢の水も増えてきたが心配するまでもない。この沢で徒渉できないような増水というのは考え難い(『山と渓谷』2000.5には「悪天増水時危険」と書いてあるが・・・)。食事が終わる頃には雨も上がり、太陽が出てきた。水があまりにもまぶしい。ときどき甌穴に足をとられながら延々と続くナメをのんびりと下っていった。魚影は濃かったが、このあたりは禁漁区に指定されている。遊歩道に出た頃に再び雨が降りだした。3時にとりつきに戻る。もともとこの日のうちに森吉山の避難小屋まで登るつもりだったが、これから森吉山に登るにはあまりに疲れていたので、湯の沢温泉で汗を流してからヒバクラ岳登山口に移動し、ここにテントを張った。近くの牧場の牛の声がなんとものどかな感じをいだかせる草原の中の駐車場だ。

 

8/3 快晴。6時半、午後から天気が悪くなる状況がつづいているので早めのスタートにする。この登山道は最新のエアリアに載っているが他に情報はなく、最近出来た道のようである。エアリアでは歩き出してすぐに沢を横切ることになっていたから、ジュースだけで水は持たなかった。ところがエアリアの道がどうやら間違っているようで、沢には下りず延々と尾根を上がっていった。このままでは上でラーメンが食べられない、と危機感を募らせていた頃、水のおとが聞こえた。小さな流れが道のすぐ脇を流れていた。ここで水を汲んで一安心。やがて高原状の地形となり沢をいくつか横断した。東北の山は驚くほど上でも水を確保できる。自然が豊かな証拠である。沢を横切ると東側の尾根への急登である。急登がおわると道は平坦となり、しばらくいくと湿原に出た。とおく岩木、八甲田が見渡せる。ここで小休止してから緩やかな稜線を描く森吉山へ向かった。ここから望む森吉山は平ヶ岳にそっくりだ。頂上直下はニッコウキスゲが咲き乱れ、美しい。9時20分に到着。1時間ほど休憩して、もと来た道を下る。湯の沢温泉に入り、白神を目指して北上する。能代の巨大モールで食料を仕入れる。次の目的地は黄金崎不老ふ死温泉。昨年の経験から露天風呂はただで入れることがわかっていたのでホテルのフロントに行かず、そのまま露天風呂へ向かう。昨年より人はすくない。しばらく温泉に浸かってから海に浸かる。雲がどこまでも続いている。そしてまた温泉に戻る。温泉からあがると、つぎはウェスパ椿山に向かう。このウェスパ椿山は、ガイドブックの写真がとても印象に残っていたが、不老ふ死温泉のすぐちかくなだけにきっと不遇をかこっているにちがいない温泉と見ていた。温泉のよさを何にもとめるかは人それぞれであるが、ここの展望風呂はずば抜けてよかった。少なくとも不老ふ死よりはいい、と僕は感じた。A子も同様の感想を持ったようだ。ここのよさは、開放感である。雄大な日本海の絶景、椿山岬に沈む夕陽、素晴らしいの一言に尽きる。また行きたい温泉である。不老ふ死温泉からウェスパ椿山までの道の途中に最高のテント場がある。芝生の上、広大な日本海を目の前にしたテント場である。もちろんそこはテント場として存在するのではないが…。暗くなるとイカ釣り漁船の漁火が水平線を照らし出す。なんといってもホタテの醤油焼きがうまかった。今後ホタテを食べる度に青森のことを想いだすだろう。青森といえばホタテ、ホタテといえば青森。青森は最高だ。

 

8/4 今日は白神岳に登って、ねぶた祭りを見るという忙しい日だ。もうすっかり早起きの生活に慣れてしまった。広大な海を眺めながらの優雅な朝食を済ませて車に乗り、少し行った所で雨が降りだした。白神はあきらめて観光に切り替えた。しかし朝の7時から観光といっても何もすることがない。自然と岩木山に吸い寄せられる。スカイラインを登って8合目まで車であがる。しかし雨。車の中で様子を見る。やがてガスが少し晴れて雨が止んだ。この機を逃すなとばかりに登り始める。鳳明ヒュッテ手前で瓦礫の世界に変わり、いかにも火山という感じの中を登っていく。頂上では展望なし。霧雨となる。紅茶を飲んで早々に下る。スカイラインができ上がってからの岩木山は登る価値はなく、眺めるだけの山となってしまった。天気がよければ、あるいは下から登れば違った感想を持ったかもしれない。しかし富士山にせよ、ここ岩木山にせよ、形の美しい火山というのは、えてして変化がなく登る山としては今ひとつだ(魅力といえば雄大さか)。深田はこの手の山が好きだったのか、百名山のなかにこの手の山が多く選ばれている。眺める山と登る山、やはり区別すべきだろう。爽快感、陶酔といったものを今回の岩木山に求めることはできなかった。嶽温泉はヒバ作りの浴槽で木の芳香が心地よかった。またぎ飯なるものを食べる。岩木山の懐をぐるっと回って青森市へ。臨時駐車場に車を止めてねぶたを見にいく。何度見てもいいもので、近代都市とねぶたのおどろおどろしい世界との対照がなんともいえない。最後まで見てから昨年泊まった梵珠山の県民の森へ向かう。すでに先客がいたのでベストポジションを取ることが出来なかった。昨年同様ホタルの光と星の光が美しかった。今宵もまたホタテ。サザエも買ったがやはり網がないとつらい。馬刺しやタタキなど刺身づくしの晩餐となった。

 

8/5 久々にゆっくり起きた。といっても6時半。朝食を済ませて高速にのる。本日は宮古で生うに丼を食べて、盛岡でわんこそばを食べる予定。安代ジャンクションで八戸自動車道に入り、九戸で下りる。とうもろこしと赤松が目に付くのどかないなか道を南へ下る。岩泉でかの有名な竜泉洞に入る。外気温とは10度以上の差があり、半袖では寒い。ここの水はとてつもなく透明で、ライトに照らし出される湖底は気味悪ささえ感じさせる。「地底湖の水」は環境庁が選んだ名水百選にも入っている。カルシウムの含有量が多く、紅茶にいいらしい。「お金を入れないで下さい」という看板が目に付いた。お金の金属分が石灰岩によくないという。よくよく考えてみればおかしなことだ。いったいこの看板を掲げた人はどれくらい正気なんだろう。この素晴らしい洞窟に通路や階段をつけるためにどれくらいの鍾乳石が破壊されたのだろうか。コインならだめだが、鉄はいいのだろうか。もっといえば、四六時中照明をつけ、多くの人間をなかに入れる、その行為自体がどれほど破壊的なことか自覚しているのだろうか。「保護」というのは「開発」の免罪符である。開発なくして保護はない。目先の小さな保護にとらわれて、開発という大きな悪を見逃してはならない。

10度ちょっとの肌寒い洞窟を出ると、そこは30度近い真夏の空。一般人には竜泉洞が有名であるが、クライマーの世界で岩泉といえば、かの「ひょうたんケイブ」に代表されるどっかぶりの岩場がよく知られている。本当は偵察するだけのつもりだったが、見ると登りたくなった。昼食を食べてから、我々は岩場に向かった。この時点で夕食は生うに丼となり、わんこは翌日に持ち越しとなった。とりつきを歩いているさなかに雨が降りだしてきた。岩場には青森のクライマー3人が来ていた。雨が降る前から染み出しで濡れていたという。岩の状態がよくないので登るのを断念して、ひょうたんケイブの上にある縄文の遺跡を見にいく。雨がひどくなってきた。遺跡には金網が張ってあり、中の様子はよくわからない。ひょうたんケイブに戻って荷物を回収し、取り付きまで下る。雨はやみ、水蒸気が一面に立ちこめていた。暑い。泳ぐしかない。太平洋を目指して東に進む。真崎海岸の海水浴場では霧が立ちこめ、とても海水浴という雰囲気ではない。人はそこそこいたが、泳いでいる人はほとんどいない。水着に着替えて海に入るが、やはり冷たい。もっぱらフリスビーをして時間を過ごす。遊びあきると次は温泉だ。少し北上して小本温泉に入る。ここは最近出来た温泉でガイドにもあまり載っていない。塩分がきつく、含有物の量は県内でも一番だとか。湯を楽しんだあとは、うに。宮古の駅前にある魚彩亭すみよしで生うに丼2500円を食す。牛乳瓶一本分というキャッチフレーズどおり、うにがどんぶり鉢の上にぎっしりと盛られている。口に入れるととろける。歯ざわりがなんともいえない。食べても食べてもなくならない。ほどよい甘味だが、最後にはくどく感じられた。宮古に来たら是非おためしあれ。ダイエーで買いだしをして早池峰の登山口に向かう。雨が激しく降り、雷がひっきりなしに鳴っている。106号線から340号線に入り、江繋から小田越に向かおうとしたところ、車がたくさん止まって人が集まっていた。聞いて見ると川が増水して通行止めになったという。見に行ってみるとものすごい勢いで水が流れている。ばあちゃんの話ではここ数十年ではなかったとのことだ。仕方なくもと来た道を引き返し、106号線から根田茂川沿いの峠道を越える。途中で舗装がきれ、寂しい道だ。岳の駐車場についた頃には雨も上がっていた。すっかり遅くなった。風が強い。テントを張って早々に寝る。

 

8/6 

早池峰山嶺       宮沢賢治

あやしい鉄の隈取りや/数の苔から彩られ/また捕虜岩(ゼノリス)の浮彫と/石絨の神経を懸ける/この山嶺の岩組を/雲がきれぎれ叫んで飛べば/露はひかってこぼれ/釣鐘人参(ブリューベル)のいちいちの鐘もふるへる/みんなは木綿(ゆふ)の白衣をつけて/南は青いはひ松のなだらや/北は渦巻く雲の髪/草穂やいはかがみの花の間を/ちぎらすやうな冽たい風に/眼もうるうるして息吹きながら/踵を次いで攀ってくる/九旬にあまる旱天つづきの焦燥や/夏蚕飼育の辛苦を了へて/よろこびと寒さとに泣くやうにしながら/ただいっしんに登ってくる/・・・・・向ふではあたらしいぼそぼその雲が/まっ白な火になって燃える・・・・・/ここはこけももとはなさくうめばちさう/かすかな岩の輻射もあれば/雲のレモンのにほひもする

「雲のレモンのにほひもする」というなんともいえない爽やかな句で終わるこの詩は、美しい早池峰とは対照的に苦しみにあふれた下界から黙々と登ってくる白衣姿の農民たちが描かれている。時は1924年の盆、蚕の季節を終えて早池峰の頂を目指す農民たちの心境はいかなるものだったのか。この詩には先駆形があり、こちらのほうが描写はより詳細で、信仰の影も濃厚である。少し長くはなるが、引用しておこう。

・・・・・・うるうる木の生えたなまこ山・・・・・・・/苔瑪瑙(モスアゲート)の小田越あたりに雲が湧き/薬師は朧ろな青い寒天(アガー)にかはってしまふ/・・・・・・風はきれぎれ叫んで過ぎる・・・・・・・/南には早くも翔ける竜巻の尾もあれば/西山稜の巨きな逞しいカーブに沿って/乱積雲の大行進曲(グランドマーチ)も北へそそぐ/露はひかってこぼれ/blue bellのいちいちの鐘もふるへる/・・・・・・・はるかにひかる積雲のいちれつ・・・・・・/みんなはあたらしい白いきものをつけて/遠野口の青いはひ松のなだらや/黒くごりごりした露岩をわたり/また門馬口のまばゆく旋る雲のなかから/草穂やいはかがみの花のあひだを/ちぎらすやうなつめたい風に/眼もうるうるしてふるへながら/祖先たちのたどったその一一の石をよぢ/白堊紀からの方尖碑(オベリスク)/青白い虚空の淵に/ぎざぎざ刻みのこされて/さけ目には石絨の神経が通り/列罅には赤い鉄さびをうかべ/奇怪な灰いろの苔にいろどられ/ひきちぎられたその恐ろしい捕虜岩(ゼノリス)をたもつ/この蛇紋岩のけはしい山嶺にのぼってくる/挿秧どきのせはしくゆらぐ焦燥や/九旬にあまるその旱天の忍従や/はげしいま夏の辛苦を終へ/よろこびと寒さとに泣くやうにしながら/どしどしいっしんにのぼってくる/・・・・・向ふではあたらしいぼそぼその雲が/まっ白な火になって燃えあがる・・・・・/ここはこけももと花さくうめばちさう/かすかな岩の輻射もあれば/雲のレモンのにほひもする

山に登るという行為は祖先たちのたどった道を追体験することに他ならない。祖先とは父母や祖父母といった世代ではなく一気に白亜紀まで遡ってしまうものであった。そこでは祖父の時代も白亜紀も区別はないのである。彼らは下界から距離的高度的に離れて行くばかりでなく、時間的にも離れていった。山は時間を超越した混沌とした世界であり、それはあの世の一部でもあった。山に登ることはこころとからだの浄化を意味した。

われわれが泊まった駐車場のすぐ上に岳の集落がある。深田が訪れたころは20戸ほどの山村で、頼めばどこの家でも泊めてもらえたという。百名山めあてに登山者がどっと押し寄せる今では「日本のチベット」とも呼ばれた頃はもはや昔語りの世界である。岳は「どんぐりと山猫」の主人公かねた一郎の住む村とされる。「どんぐりと山猫」は『注文の多い料理店』に収められている。山猫から送られてきた奇妙な手紙から文章が始まる。

かねた一郎さま     九月十九日

あなたは、ごきげんよろしいほで、けつこです。

あした、めんどなさいばんしますから、おいで

んなさい。とびどぐもたないでくなさい。

山ねこ  拝

一郎はどんぐりたちの争いを「一分半」でかたづけ、裁判官の山ねこから名誉判事の称号を授けられ、お礼に「黄金のどんぐり」をもらった。馬車別当が一郎を送り返す場面は次のように描かれている。

馬車は草地をはなれました。木や藪がけむりのやうにぐらぐらゆれました。一郎は黄金のどんぐりを見、やまねこはとぼけたかほつきで遠くをみてゐました。馬車が進むにしたがって、どんぐりはだんだん光がうすくなって、まもなく馬車がとまったときは、あたりまへのどんぐりに変つてゐました。

どんぐり、山ねこ、馬車、どうもトトロの世界がだぶってくる。

5時半起床。早池峰は夏の土日に一般車の通行規制をしているので、ここ岳からシャトルバスで登山口まで行かねばならない。河原坊からいくコースと小田越えから行くコースがあり、後者の方がコースタイムは短い。どちらにしようか迷ったが沢沿いの道のほうが涼しかろうということで河原坊からいくことにした。ゆっくり食事をしていると6時20分になり、あわてて準備をして6時39分のバスに駆け込む。河原坊で降りたのは我々2人とおっちゃん1人だけだった。やはり短時間コースに人気があるようだ。昔ここには寺があったという。深田は宮沢賢治の「河原坊」という詩の最後の一節を挙げる。黎明の河原坊をよんだこの詩は、やはり最初の一節が印象的である。

わたくしは水音から洗はれながら/この伏流の巨きな大理石の転石に寝よう/それはつめたい卓子だ/じつにつめたく斜面になって稜もある/ほう、月が象嵌されてゐる/せいせい水を吸ひあげる/楢やいたやの梢の上に/匂やかな黄金の円蓋を被って/しづかに白い下弦の月がかかってゐる/空がまた何とふしぎな色だらう/それは薄明の銀の素質と/夜の経紙の鼠いろとの複合だ

宮沢賢治の詠んだ河原坊はなんとも幻想的であるが、僕の見た河原坊は朝の透明な光に包まれ、早池峰のどっしりとした山容を背景に、のどかなせせらぎの音に包まれていた。コメガモリ沢をしばらく行くと、あたりが開け、まるで黒部の源流を行くような雰囲気になる。前方には早池峰の主峰がそびえたつ。それは蛇紋岩の露岩を金剛石のようにちりばめた淡い若草色の絨毯だ。一般道はやがて沢と分かれて尾根に上がる。ここは「コウベコウリ(頭垢離)」と呼ばれるところ、深田著では「垢離頭」となっている。コメガモリ沢は立派な沢のコースで、登山大系には「一般コースより豊富な高山植物に接することができるのが楽しい」と記されるが、百名山ブーム以前の話だろう。いまや沢にはロープが横断して侵入者を拒んでいる。これを踏み越えて沢を登ったりすれば、他の登山者やパトロールの人から何と言われるかわからない。実際百名山を歩いていて一番厄介なのは、困難な岩や雪渓や急な坂道ではなく、人なのである。

早池峰の花の種類の豊富さは驚くばかりだった。有名なハヤチネウスユキソウを始め、ナンブトラノオ、クルマユリ、タカネナデシコ、そのほかたくさんの知らない花々が道の両端を埋めていた。左右にトラロープを見つつ(百名山は山を狭くしてしまった)、岩場の間をゆく。コメガモリ沢左俣には初心者向けの2つの岩稜があるはずだが、はっきりとはわからない。しばらくして頂上に出た。ガスが湧いて視界はきかない。頂上には魅惑的などっかぶりのボルダーがあった。人目を気にしながらトライするが、デットポイントからクラックへのジャミングが届かず登れない。ラーメンを食べてからもう一度トライする。岩にぶら下がった状態から思いっきり伸び上がると指先がクラックにかかった。きっちりジャミングを決めると、あとは簡単に乗り越せた。このクライミングは集団登山で来ていた中学生を痛く感動させた(ようだった)。気分好く小田越え道を下る。こちらは道がいいが、花は少ない。11時27分のバスに間に合わせるべく、急いで下る。なかなか小田越えにつかず、時計の針が27分を指し、もうだめかと思った矢先にあと百メートルとの看板が見えたので、全力で走った。なんとかバスに間に合い、12時前には車のところに戻ってきた。さあ、わんこそばだ。わんこそばといえば盛岡が有名だが、発祥の地は花巻らしい。駅の南西にある花巻文化会館は「わんこそば全日本大会」の会場である。大正12年創業、かの宮沢賢治が農業校教師時代に立ち寄っててんぷらそばとサイダーを好んで注文したという老舗やぶ屋に入る。頂上でラーメンを食べたせいか食がすすまず20皿ちょっとでギブアップした。ちなみに10皿で1人前、この店の最高記録は250皿だという。食べた後は温泉。花巻温泉へ。松雲閣という総ヒノキ造りの立派な旅館に入った。ここ松雲閣は「一九三一年極東ビヂテリアン大会見聞録」の舞台である(宮沢賢治はベジタリアンだった。作品では主人公が松雲閣で温泉につかる。僕もまたこの温泉につかったのだが、ヒノキ造りの建物本体とは違ってタイル張りの安っぽい造りで少々興ざめだった。松雲閣の隣にはバラ園がある。このバラ園の前身は宮沢賢治が設計した花壇である。これは確か一年中花が途切れないように設計されていたはずだ。彼の設計になる日時計もあるが、現在花巻の西にある宮沢賢治記念館にも再現されている。以前、花巻をめぐっていたときこの日時計の下で野宿をしたことがある(もう一箇所はイギリス海岸)。懐かしい限りだ。この日のスケジュールは苛酷で、バラ園による時間もなく、すぐに高速に乗って仙台へ向かった。仙台ではいま七夕祭りが行われている。わざわざ持ってきた浴衣を是非着てみたいと仙台にやってきたのだ。(本来ねぶたできるはずだったが、青森ではあまり浴衣の人がいなかったので止めた)。駅前の駐車場に車をおき、その場で浴衣に着替えた。僕は浴衣で街中を歩くのは初めてだったので、とても新鮮だった。すぐに夕立となり百貨店で時間つぶしを余儀なくされる。本屋や喫茶店で時間をつぶして、雨があがったころ、街に繰り出した。通りは人であふれかえっていた。久しく人ごみにもまれていないので、酔ってしまった。七夕祭りに何をするのか、行ってみるまで知らなかった。パレードなんかもあるみたいだが、七夕の飾りで彩られた商店街をぶらぶら歩くだけで、ねぶたのように見世物的要素は少ない。どちらかといえば祇園祭りに似ている。お腹がすいたころ、仙台名物牛タンを食べるべく、飲み屋風の牛タン店に入る。人が一杯なのと要領が悪いのとで長い間待たされた。空腹のままあの牛タンを焼くにおいが充満する店の中でじっと待つのはつらいものである。だが十分に報われた。もう9時過ぎだ。今宵は蔵王の麓まで行かねばならない。山形道で山を抜け、蔵王の西面に出る。予定していた公園はカップルであふれかえっていて、とてもテントを張って泊まれる状態ではなかった。もうしばらく車を走らせ、広い駐車場を見つけてテントを張る。花火を買っていたのだが、毎晩遅いのでとうとうする暇がなく最後の晩を迎えてしまった。この日ももう遅いので、椅子に腰かけ星を見ながらビールを飲んで寝た。

 

8/7 もう相当に疲れていたから、車から降りて40分という蔵王のような山はツアーの後半には貴重な存在である。まずは蔵王温泉の大露天風呂で朝風呂とする。いい温泉の条件はいろいろあるが、湯量の豊富さ、広さ、自然との近さ、素朴さ、などこの温泉は多くの条件を満たしていた。ウェスパ椿山とならんで今回入った温泉のなかで最高の温泉だった。蔵王エコーラインをあがり、刈田岳から歩き始める。ターミナル附近は人であふれかえっていた。お釜を右手に望みながら、緩やかな稜線上を主峰熊野岳へと向かう。10分も歩けば喧騒は止み、山は静けさを取り戻す。頂上附近ではコマクサが咲いていた。ツアー後半には、こうした手ごろな山がありがたいが、しかし疑問を感じないわけにはいかなかった。これで山に登ったことになるのだろうか。もしこれで山に登ったことになるとすれば、いったい山に登るとはどういうことなのか。頂上近くまで車やロープウェイを使い、ほんの数分散歩して帰るのも山に登ることになるのか。

深田が始めて蔵王に行ったとき(彼が最初に蔵王に行ったのは1933年の冬であった)にすでにエコーラインがあったら、彼は果たして蔵王を百名山に入れただろうか。『百名山』の「蔵王」は次のような言葉で締めくくられている。

近年刈田岳のすぐ近くを経て、宮城と山形をつなぐバス道路も開かれて、何の苦労もなくお釜見物も出来るようになったが、それだけ魅力も少なくなった。

別のところでは、

秘玉であるならばそれに行きあたるまでに労苦がなくてはならぬ。昔はそれがあった。営々と額に汗して登って来て、突然目の前にこの湖が現れた時には、それはひとしお貴いものであった。ところが近年エコーラインと称する蔵王横断の自動車道路が出来て、その途中からやすやすと湖のそばまで近づけるようになった。お釜の幽邃と神秘は消えうせた。・・・私は頑固に山上を走る自動車道路を好まない。便利になったと人は言うが、有形の便利のためにどれほど無形の損失をしているか分からない。ああ、なつかしい戦前の蔵王よ。

彼が控えめに「今は登山というより遊山といった方が適切で」と言うように、蔵王はもはや登山の対象としての価値は少なくなった。蔵王はかつての百名山であって、もはや登山の対象としての名山ではないのである。蔵王の頂上(頂上こそ深田がこだわるところであると僕は考える)はもはや御在所(深田は「遊園地化していた」と言っている)と変わらない。確かに沢はまだ登る価値があるかもしれない。静かな南の稜線を縦走するのもいいだろう。御在所の頂上へ行く価値はないが、藤内壁に行く価値があるのと同じようなものだ。

百名山ブームは深田自身の登山の歴史を一切捨象して、山のリストだけをとりあげてしまった。百名山を目指す人のいったいどれくらいが深田の著作を読んでいるだろうか。リストというのは恐ろしいもので、それを目の前にすると人は内容を顧みることなく、リストを片付けるのに夢中になってしまう。結果として安直短コースに人が集中する。人が集中すれば、金が動き、更なる安直短化を招く。百名山の功罪は多々あるが、その「罪」の最大は登山者の過度の集中による山の荒廃である。その惨状は実際眼を覆いたくなるほどである。百名山は山の一つのスタイルであり、それ自体は決して悪いものではないが、みなが集中することで山の世界を極めて狭いものにしてしまっている。(現代のファシズムだ)僕が常々、老後に百名山を目指すと言っているのは、集中を緩和するためでもある。その頃には百名山ブームも下火になって、百名山が再び真の百「名山」に戻っているかもしれない。

何度も言うが、百名山を選定するという行為自体は悪いことではない。要は、なぜその山が選定されたかという理由を考えることもなく、ただリストに従って頂上を目指す、しかも多くの人が集中して、という点にある。蔵王のような「元」名山は百名山のなかにいくらでもある。八幡平、草津白根山、美ヶ原などなど。

妙な言い方だが、山には、登る山と遊ぶ山とがある。前者は、息を切らし汗を流し、ようやくその頂上にたどり着いて快哉を叫ぶという風であり、後者は、歌でもうたいながら気ままに歩く。もちろん山だから登りはあるが、ただ一つの目標に固執しない。気持ちのいい場所があれば寝ころんで雲を眺め、わざとわき道へ入って迷ったりもする。

これは「霧が峰」の冒頭である。もし霧が峰へ行って、最高地点を踏んで帰るだけであれば、これは一体何をしに行ったのかわからないことになる。これは極端な例ではあるが、何時間も歩かねばならない他の山とて意識の面では同じことである。百名山を目指す人々はあまりに頂上にこだわりすぎないだろうか。頂上はたしかに特別な一点だが、やはり一点にすぎない。あたかもスタンプを押しに頂上を転々とするような登り方はやめるべきだろう。頂上と「百名山」という呪縛から解き放たれたとき、そこには豊かな山の世界が広がっていることだろう。

山を選ぶという行為は深田に始まったわけではない。歴史好きの深田自身がその「後記」で述べるように、橘南谿の「名山論」(9座)、谷文晁の『日本名山図絵』(90座)がある。後者について深田は日本アルプスの山が駒ヶ岳、御嶽、立山の3座しか挙がっていないことに不満であった。その反動か、百名山の4分の1以上が日本アルプスの山で占められてしまった。これは百名山の基準を1500m以上に限るという理解不可能な条件が理由の一つである。深田は単に名山を列挙するという従来から行なわれていた行為を現代的な視点からやり直したわけだが、すでに彼が百名山を選んでから46年が経ち、当時は道すらなかったいくつかの山にも道ができ、あるいは車やロープウェイで行けるようになった。深田百名山には、もはや名山に値しなくなった山がいくつもある。蔵王もその一つであろう。いま百名山にとらわれることなく、本当にいい山とは何かを考える時ではないだろうか。

 

何もかも変わった。それは当たり前だが、変わり方が激しすぎる(深田)

 

再び喧騒のなかに戻る。エコーラインを宮城側に下る。峨峨温泉(いまひとつだった)で汗を流し、白石名物温麺(うーめん)を食べて高速にのる。上戸家には午後11時、そして我が家には12時前に到着した。

戻る

写真を見る